ご購読ありがとうございました。
日本語
担当していた教科の教科書編纂者と、校正のお話しをし、今後の教科書について、意見を述べさせて頂きました。今後は著作権の問題でいろいろ変わってくるのだろうと思いますが、語学教科書は、最新情報と恒久的真理、整った文体や規範となる文章、学習者のレベルに合っている等、条件が有りますから、難しいと思いました。また、ワークも、レベルにあったもの、特に1級試験をイメージしているので、その学習を効率的に進めるためのものが必要であり、例文も慎重に作成する必要が有ります。今後も継続的に改訂が必要な教材と言えるでしょう。
日本語科のY先生、Z先生と、新任のK先生(母校後輩)および門倉先生の教え子のMさんと、ここで最後の学習会を行ないました。今後更にアカデミックな学習会になりそうで、続けてきてよかったと思っています。
残務整理
多くの学生が、学習内容はもちろん、「平和の架け橋となる。」「幸せはいつも自分の心が決める。」といった私のメッセージをしっかりと受け止め、「日本人の見方が変わった。」と、私の人格について認めてくれるメッセージを残してくれました。成果は予想以上に大きいものだったと自信を持って言えます。送り出して下さった多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げたいです。また、今後も日中両国の友好のために、尽力したいと考えています。最後の最後まで来客が絶えず、延べ900人近い学生や先生方、友人が訪れてくれたことに感謝したいです。また、専家楼のスタッフの方々とも親しくなり、またすぐ戻るようにと言われ、本当に別れがたく、素晴らしい人間関係を構築できたことにも感謝したいです。中国人だけでなく、様々な国々の方々とも交流できたことは得難い経験でした。帰国後も、様々なところでこの二年間の経験を生かしていきたいと思います。
HSK
4級合格しました。3級が一番下です。総得点数は5級レベルでしたが、聴解が3級レベル。読解は7級レベルでした。実質10日の受験勉強にしては上出来か、と思います。
太極扇48式
夜討ち朝駆け。仕舞には、膝にテーピングしないと動けなくなるまで、特訓が続きました。お陰様で、なんとか最後まで行き着きました。しかし自分一人でやるのはなかなか難しいことです。
継続は力なりなんですが、厳しい~
最後の旅行
週末を利用して、長城の東の端、秦皇島を訪れました。行きの汽車は席がなく、食堂車に座ったのですが、外見は中国人と思われた私が、英語で会話し、日本人と分かると、鈴なりの人だかりが出来、注目されました。前に座っていたのは、人民軍空軍の整備士という男性。私の訪中の理由や、日中関係について質問を受けました。他の人からも質問を受けました。カタコトの中国語も交え、英語は同行してくれた太極拳の先生に通訳していただきながら会話をしました。
我々は地球人であり、私がここにきたのは、平和と友好のためであること。ハルピンでは、731部隊を、南京では、七〇周年記念式典の国際会議に参加したことも伝えました。そして、日本を紹介し、帰国後、中国の実態を紹介し、両国人民同士の理解を深めるために努力したいのだと話しをすると、退役軍人だという男性が、下車する時エスコートしてくれると言い出したのです。それもそのはず、立錐の余地もないほど、人と荷物でごった返す車内を、二両分移動することがいかに困難であるか、思い知ることになりました。彼は、前を空けるように叫びながら、私達を先導してくれたのです。車外に出て、握手を交わしました。そして、食堂車に座っていた整備士の男性に、外から手を振り、見送りました。本当に有り難いことです。一日本人として、一地球人として、私の一挙手一投足が、彼らの共感を得たことを大変嬉しく思いました。
帰国
いよいよ帰国という前日、アフリカ人の学生が尋ねてきてくれました。もう二階のフロアーには私とドイツ人の女性しか残っていません。私が、彼女に、写真を撮ってくれるように頼むと、「あなたはいろいろな国の人とお友達なのね。どうやって友達になったの?」と聞かれました。彼女には、何度も、来訪者との写真を撮ってもらうことをお願いしてきたからです。
チャンスがあるごとに、様々なところに出向き、気軽に声をかけられる雰囲気を持っていたことが、その理由だろうと答えました。外出しても、学内で道を聞かれない時は少なかったのも、その証拠だろうと思います。
帰国の朝、学生と太極拳の先生方が見送りに来て下さいました。泣きついてくれた学生がいたことは、本当に教師冥利でした。成田に降りたった時も、二胡を棚から下ろす時、手伝ってくれた青年が、私を中国人と思って、声をかけてきて、パスポートをチェックする時にも、どこに並ぶのか教えました。これが出張最後の中国語での会話となりました。
二胡は、中国ではノーチェック。日本でも、ノーチェックに等しい状況。あの「麻煩」さは、一体、なんだったんでしょうか。それとも、パスポートから、すでに手続きしている情報が分かるのでしょうか。いずれにしても、無事に通関できて良かったです。
この二年間様々な出会いがありました。日本語を教えに行ったのですが、逆に、教えられたことのほうが多い、充実した二年間でした。機会があれば、「戻っておいで。」と多くの人々に言われた言葉通り、是非、第二の故郷天津に「戻り」たいと思っています。
転勤先には在県中国人学生も通っており、中国語の授業もあるところ。また、中国語が堪能な方もいらっしゃいます。引き続き、中国語の勉強をやっていこうと思っています。
天津日記は今回を持って終了と致します。ご購読、ありがとうございました。
写真だけは未整理でしたで、これからもUP致します。ご高覧下さい。


最近のコメント