2008年7月25日 (金)

ご購読ありがとうございました。

日本語

担当していた教科の教科書編纂者と、校正のお話しをし、今後の教科書について、意見を述べさせて頂きました。今後は著作権の問題でいろいろ変わってくるのだろうと思いますが、語学教科書は、最新情報と恒久的真理、整った文体や規範となる文章、学習者のレベルに合っている等、条件が有りますから、難しいと思いました。また、ワークも、レベルにあったもの、特に1級試験をイメージしているので、その学習を効率的に進めるためのものが必要であり、例文も慎重に作成する必要が有ります。今後も継続的に改訂が必要な教材と言えるでしょう。

日本語科のY先生、Z先生と、新任のK先生(母校後輩)および門倉先生の教え子のMさんと、ここで最後の学習会を行ないました。今後更にアカデミックな学習会になりそうで、続けてきてよかったと思っています。

残務整理

多くの学生が、学習内容はもちろん、「平和の架け橋となる。」「幸せはいつも自分の心が決める。」といった私のメッセージをしっかりと受け止め、「日本人の見方が変わった。」と、私の人格について認めてくれるメッセージを残してくれました。成果は予想以上に大きいものだったと自信を持って言えます。送り出して下さった多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げたいです。また、今後も日中両国の友好のために、尽力したいと考えています。最後の最後まで来客が絶えず、延べ900人近い学生や先生方、友人が訪れてくれたことに感謝したいです。また、専家楼のスタッフの方々とも親しくなり、またすぐ戻るようにと言われ、本当に別れがたく、素晴らしい人間関係を構築できたことにも感謝したいです。中国人だけでなく、様々な国々の方々とも交流できたことは得難い経験でした。帰国後も、様々なところでこの二年間の経験を生かしていきたいと思います。

HSK

4級合格しました。3級が一番下です。総得点数は5級レベルでしたが、聴解が3級レベル。読解は7級レベルでした。実質10日の受験勉強にしては上出来か、と思います。

太極扇48式

夜討ち朝駆け。仕舞には、膝にテーピングしないと動けなくなるまで、特訓が続きました。お陰様で、なんとか最後まで行き着きました。しかし自分一人でやるのはなかなか難しいことです。

継続は力なりなんですが、厳しい~

最後の旅行

週末を利用して、長城の東の端、秦皇島を訪れました。行きの汽車は席がなく、食堂車に座ったのですが、外見は中国人と思われた私が、英語で会話し、日本人と分かると、鈴なりの人だかりが出来、注目されました。前に座っていたのは、人民軍空軍の整備士という男性。私の訪中の理由や、日中関係について質問を受けました。他の人からも質問を受けました。カタコトの中国語も交え、英語は同行してくれた太極拳の先生に通訳していただきながら会話をしました。

我々は地球人であり、私がここにきたのは、平和と友好のためであること。ハルピンでは、731部隊を、南京では、七〇周年記念式典の国際会議に参加したことも伝えました。そして、日本を紹介し、帰国後、中国の実態を紹介し、両国人民同士の理解を深めるために努力したいのだと話しをすると、退役軍人だという男性が、下車する時エスコートしてくれると言い出したのです。それもそのはず、立錐の余地もないほど、人と荷物でごった返す車内を、二両分移動することがいかに困難であるか、思い知ることになりました。彼は、前を空けるように叫びながら、私達を先導してくれたのです。車外に出て、握手を交わしました。そして、食堂車に座っていた整備士の男性に、外から手を振り、見送りました。本当に有り難いことです。一日本人として、一地球人として、私の一挙手一投足が、彼らの共感を得たことを大変嬉しく思いました。

帰国

いよいよ帰国という前日、アフリカ人の学生が尋ねてきてくれました。もう二階のフロアーには私とドイツ人の女性しか残っていません。私が、彼女に、写真を撮ってくれるように頼むと、「あなたはいろいろな国の人とお友達なのね。どうやって友達になったの?」と聞かれました。彼女には、何度も、来訪者との写真を撮ってもらうことをお願いしてきたからです。

チャンスがあるごとに、様々なところに出向き、気軽に声をかけられる雰囲気を持っていたことが、その理由だろうと答えました。外出しても、学内で道を聞かれない時は少なかったのも、その証拠だろうと思います。

帰国の朝、学生と太極拳の先生方が見送りに来て下さいました。泣きついてくれた学生がいたことは、本当に教師冥利でした。成田に降りたった時も、二胡を棚から下ろす時、手伝ってくれた青年が、私を中国人と思って、声をかけてきて、パスポートをチェックする時にも、どこに並ぶのか教えました。これが出張最後の中国語での会話となりました。

二胡は、中国ではノーチェック。日本でも、ノーチェックに等しい状況。あの「麻煩」さは、一体、なんだったんでしょうか。それとも、パスポートから、すでに手続きしている情報が分かるのでしょうか。いずれにしても、無事に通関できて良かったです。

この二年間様々な出会いがありました。日本語を教えに行ったのですが、逆に、教えられたことのほうが多い、充実した二年間でした。機会があれば、「戻っておいで。」と多くの人々に言われた言葉通り、是非、第二の故郷天津に「戻り」たいと思っています。

転勤先には在県中国人学生も通っており、中国語の授業もあるところ。また、中国語が堪能な方もいらっしゃいます。引き続き、中国語の勉強をやっていこうと思っています。

天津日記は今回を持って終了と致します。ご購読、ありがとうございました。

写真だけは未整理でしたで、これからもUP致します。ご高覧下さい。

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2008年7月10日 (木)

カウントダウン

採点終了  

 みんなすごくよくがんばってくれました。受験者は全員合格。しかも、ほとんどが70点以上。80点、90点以上も大勢いました。古典は100点も出ました。よかった!! ラストメッセージ  皆さんの書いて下さった感想を読むと涙が出てしまいます。 私が一番伝えたかったことが、ちゃんと伝わったのだ、という実感が湧いてきます。 「平和の架け橋」となりたい、と多くの学生が書いてくれました。また、「幸せはいつも自分の心が決める」という言葉を一生忘れない、と書いてくれた学生も大勢いました。 日本人に対するイメージが変わった、とも書いてくれました。私の授業準備、真面目さ、人間性も評価してくれました。本当に教師冥利です。 本当に本当にみんな、ありがとう!! あなた達との出会いは、私の宝であり、夢でもあります。 若い世代の皆さんこそが、平和でよりよい地球を築いていく力です。 どうぞお元気で、活躍なさって下さい。私も同じ空の下から、いつも応援していますから。

国境の町

 週末に、朝鮮民主主義人民共和国との国境、図門に行ってきました。橋を渡れば、対岸は別の国。というsituationが初めてだったので、不思議な感じがしました。国境を警備する中国兵も少しピリピリしているかんじ。私のことは中国人だと思っているようでした。橋の1/3のところに線があって、そこから先は行けません。兵士が観光客が行くたびについてきます。誰もそこまで行かなければ、手前の検問所で待機しています。その橋に行くのに一人20元。そこはしっかり、有料。

長白山天池

 延吉市から、安図を経由したので、4時間の長距離バス。そこから更にシャトルバス、そして四駆に乗り換えて頂上へ。運転が荒いと聞いてはいたものの、やはり、へたなアトラクションよりすごかったです。 快晴とはいきませんでしたが、前日も翌日も雨だったにしては、日が差し、霧がかかっているものの、湖は見えました。なんでも、一回目で見られる人は1/3しかいないとのこと。そして、一回目に見られた人は、以後、ずっと運が良いと言われているそうです。 私はいわゆる「晴れ女」で、どこに行っても、自分が乗り物から降りると晴れたり、雨があがったり、いつもそんな感じなので、今回も、きっと見られると思っていました。 同行した、孫先生、ニュージーランド人の英語の先生、孫先生の知人のお爺さん。そして、私の学生、5人は、ラッキー!でした。

タクシー

 天津臨時駅の降り口が二つになって、タクシーに乗る人は、切符も見せずに、タクシー乗り場に直行できるようになっていました。でも、タクシーに乗るのが、また、一苦労。乗ったタクシーの運転手が、たちが悪かったのです。まず、場所を告げると、もう一人お客を拾おうとしました。ノロノロ走って客引きをしそうだったので、「快!快!」と叫びました。そして、エアコンが壊れていると嘘をついて、窓を開けて走ったのです。でも渋滞に突っ込んで、もう我慢出来ない状態。私が「自分でやる!」と言って、スイッチを押そうとしたら、彼女が自分でやって見せました。「ほら!私だって暑いのよ!」と言い出す始末。しかし、車はトヨタの新車です。そんなに簡単にエアコンが故障するはずがありません。風量のスイッチを入れるように指示。動き出しました。やっぱり嘘。更に「早く言ってくれればいいのに。」という始末。渋滞は分かっていたのにわざと突っ込み、迂回路を過ぎてから、「最初に言わないからだ。」と言うし。乗った途端に急いでいると言ったはず。こんなことはしょっちゅうです。もちろんとてもいいドライバーもいます。どこの国でも、何人(じん)でも、いい人もいればそうではない人もいる。すべてはパーソナルな問題。どうしてこんな人生にしてしまったのか、彼女の人生、先行きの暗さを感じました。

太極拳

 48式の扇の特訓。毎朝やることに。あと一週間を切りました。難しい!!

荷物整理

 結局、また、SAL便で2箱送ることになってしまいました。学生に手伝ってもらって、本当に助かりました。一緒に日本食を食べて、別れを惜しみました。

二胡

  書類がやっと整いました。なんて煩雑なんでしょう。とにかく、驚きの連続でした。

着付け

 フロントの女性が着物を着たいというので、最後まで送らずにいました。着付けに長時間かかると話したら、びっくりしていました。ほとんど中国語で会話できるようになりました。

ストレス解消

 やっと静かな日がやってきました。(2008年4月6日に書いた記事の人物)日本の某G大学で博士をとったことが自慢の、アカハラ・セクハラ男が帰国したのです。もうチェーンをかけなくても暮らせます。日本人であることに誇りを持てる日が来ました。あと一週間ですが、精神的に本当に楽になりました。

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2008年6月22日 (日)

最後の授業

夏目漱石・宮沢賢治・谷川俊太郎・相田みつを等々、お気に入りの詩や文章を紹介し、「世界平和」について、話しをしました。一番大切なことは、皆が平和に暮らすこと。そのためにどうしたらいいか、それを考えるのが人生だと思っています。

  夏目漱石は自分の作品を批判する文士についてこんなコメントを残しています。「他人は決して己以上遙かに卓絶したものではない又決して己以下に遙かに劣ったものではない。特別の理由がない人には僕は此の心で対して居る。」一九〇六年二月 森田草平へ宛てた書簡。また、「牛になることはどうしても必要です。~」芥川龍之介と久米正雄に送った漱石の書簡は私の座右の銘でもあります。
漱石が博士号を送られるというのを断ったというエピソードも話しました。森鴎外、森林太郎(もり りんたろう)の話も。
やっぱり素晴らしい人は肩書きにこだわらないのですよね。良く分かります。この2年、様々な方々にお目にかかってきましたが、皆さん、肩書きなどない私をとても大事にして下さいました。それは、お目にかかった方々が素晴らしい方々だったという証拠でもあると思います。
「雨ニモマケズ」のフレーズや「世界全体が幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉。
「はなののののはな はなのななあに なずななのはな なもないのばな」や「死んだ男の残したものは」に込められた谷川俊太郎の思い。
「幸せはいつも自分の心が決める」(相田みつを)の言葉。など、枚挙にいとまはありませんが、共通しているのは、信念を貫き、命を大切にする考え方だと思っています。

  ヒロシマについても話しをしました。南京からヒロシマへ。ヒロシマから南京へ。歩平先生がおっしゃったことも伝えました。
日中の架け橋にお互いがなること。その民間交流こそ、平和への希望であると信じています。

2年間授業でお目にかかった皆さん、つたない授業を受けて下さって、本当にありがとうございました。皆さんが下さった、たくさんの温かいメッセージを胸に、日本に帰ります。そして、いつかまた、皆さんと再会したいと思っています。その日まで、共にがんばりましょう。

HSK試験  

終わりました!正直、ホッとしました。せめて3級は受かりたいですが、分かりません。ただ、中国に来たときは、ほとんど何も分からなかったのに、この2年間で、何を言われているのか、少しは分かり、自分も中国語で答えられるようになったこと、特にこの2月以降は、自分なりに頑張ったと思っています。今では、この専家楼の方々と中国語でやりとりしています。試験勉強をやった御陰で、どういう点に注意して、今後勉強したらいいかも見えてきました。 Kさん、そして、Yさんに感謝しています。プッシュしてくれてありがとう!日本に帰っても、勉強を続けようと思います。
 そして、家族にも感謝。2年間も、単身赴任させてくれて、本当にありがとう!命の洗濯ができました。それに、お互いに冷静に見つめ合う時間もとれたと思います。応援ありがとう!

関東地方にも暴風雨警報

異常気象、そして地震。地球が悲鳴を上げているのかもしれません。所詮人類など小さな存在だと思い知らされることばかりです。とにかく、できることをできるときに、できるだけ。なんでもそうなんだと思います。皆さん気象や地震に警戒して下さいね。

太極拳

愛大の学生さんもいっしょに馬蹄湖で久しぶりに汗を流しました。皆さんとお目にかかるのは、久しぶりなのですが、温かく迎えて下さいます。本当に懐の広さを感じます。帰国後、ご近所でこんなことができるといいのですが…。

卒業式

朝6時集合。着物を着るので、早寝しますと書いて、寝たら、10時半過ぎに学生から電話。「着物はやめた方がいいとみんな(って誰?)が言っています。目立ちすぎて危険。反日感情を持っている人(学生)もいますから。」とのこと。でも、彼女と20分くらい話して、着物を着ているからって危害を加えるようなそんな学生がいるとは思えない。と答え、着物で行くことにしました。後で、少し悲しくなりました。日本語を学んでいる学生がそんな心配をしなくてはならないということは、彼らが日本語を学ぶ時、どれほど、周りとの関係で気を遣ったことか。最初に挨拶した通り、「日本語を学んでくれてありがとう。周総理の遺志をついで、一番手を組みたくない相手を理解しようと、手を差し伸べてくれたことに感謝します。」というのはやはり当たっていたのだと再認識しました。

5時50分には一人でグランドに入りました。学生はまだ外。ボチボチ集まってきたというところ。車が入る門のところで、工作証を見せて、「我是外国語学院日語老師。我想参加卒業典礼。進入可以ma?」と聞いたら、「可以!可以!」と快く入れてくれました。卒業証書を渡すテーブル横の席に早々に陣取って、待つこと1時間半。7時半にやっと始まり、開会。起立して国歌。(旗は無かったです。)全員呼名して全員壇に上がって、学長以下、学部長等いっぺんに20人くらいから証書を受け取るものでした。その数約5000人。挨拶、校歌(メロディーは「もみの木Christmas tree」)斉唱。終わったのは9時半。学生が心配していたようなことは何もなく、むしろ、挨拶をしてくれたり、一緒に写真を撮らせてと言われたり、良かったです。我が子をビデオやフィルムに収めようという親で、前はふさがり、見えない状態。

後で、過去にも「日本らしい行事を外でしないで。」と、学生に申し入れされ、たとえば、「お月見」をキャンセルしたなんてことがあったと聞きました。反日感情は根強いとのこと。日本でも中国嫌いな人のほうが多いですし、韓国に対しても、チマチョゴリを着ている学生がひどい目に遭うなんてこともあるわけですから、学生の心配は当然といえば当然かもしれません。

帰ってきてから、卒論を担当した学生と一緒に食事。去年と同じ、ステーキ。ニンニクチャーハン。思いがけずカマルとセドゥも途中から参加してくれて、楽しい思い出ができました。それから、模擬試験の結果を聞きに行きました。聴解は4級レベル。閲読は5級レベルでした。でも文法が全然ダメ。3級に4点足りず。それから二胡を買いに行きましたが、またしてフライング。楽器の上部にヒビがあったのです。担当の先生に、お琴を演奏した人だろう。HSKも受けたよね、知ってるよ、と言われました。明日また行くことになりました。

夜半から雷雨。今日でお別れ。それぞれの道に進む学生達。いつか天津で、そして日本でも会いましょう。

最後の試験

まず3年生は記念撮影。これでもう二度と会えなくなるかも知れない。そんな思いがこみ上げてきて、泣きそうになるのをこらえ、笑顔をつくっていました。黒板に「我愛你们!祝你们健康,幸福!谢谢!再见!欢迎你们来日本!」と書き、テストが終わって提出する一人一人に声をかけました。

19人

その3年生が、夜、花束とお皿を持って来てくれました。みんなで集合写真を撮ったあと、一人一人と撮影会。みんなありがとう!今まで最高12人がこの部屋に来たことがあったのですが、記録更新です。通算で855人。

本当にいい想いをさせて頂きました。皆さんが世界平和の架け橋となって下さることを切に願っております。

加害者

最近、日本では死刑が執行される件数が増えているという報道がありました。連続少女殺人事件を起こした犯人は、死刑執行まで、何の反省の言葉も被害者と家族に対して言わなかったというのを聞いて、ご家族の方々はどんな気持ちだろうと思いました。ひどい目にあった人に対して、謝罪の一言もなく、しかも、その加害者がのうのうとしていて、その上、周りが加害者をかばったり、何もなかったように扱ったりするのは、個人レベル、国家レベルであることですが、こんなことだから、平気で不正義がまかり通るのだ、と思います。

日本でも、南京虐殺はなかった、などと言う者がいるのは恥ずかしいことです。もちろん個人レベルでも、謝罪しない者は許されません。「良心の呵責」という言葉が通用しない人間もいるのでしょうか。中村哲さんのいう「人間は愛するに足る」というのは、ギリギリの生活をしている人々の、食べるための悪事を言うならわかりますが、人格破壊を起こしている人間には通用しないんじゃないか、とやはり思います。

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2008年6月16日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第12回 劉徳有 氏  

田中角栄元総理が日中国交回復後、ロッキード事件で逮捕。三木総理ではなく、福田総理の時になぜ平和条約を結べたのか、実は前日、南村先生からその時のお話しを少し伺っていたので、その全容が分かって、すっきりしました。周恩来総理を取り巻く人々の分析力の凄さ、そして、それをフルに活用した周総理の手腕。今の胡錦涛・温家宝体制も、周総理を踏襲する部分があること。歴史の節目に立ち会った、劉先生の分析。こんなお話しを伺えるのも最後となりました。
 しかし、10月21日午後4時から、NHK教育テレビで、劉先生ご出演の番組放映があるとのこと。 皆さんも是非ご覧下さい。 戻ってから、みんなで食事をしました。一年間良い勉強ができました。ありがとうございました。

端午節

農業暦で6月7日は端午の日。ドラゴンボートレースの日。今年から3日間の休日となりましたが、あいにく土曜日スタート。大型連休とはなりません。この日は、ちまきを食べる習慣があります。屈原が汨羅(べきら)川に身を投げた時、人々が魚に屈原の身体を食べさせないために投げ入れた等、いろいろ民間伝承があるようです。日本と違って、中国北方は甘いちまきです。中には山査子などの干した果物や餡が入っています。交流処がくれたちまきは、二種類。肉と卵の黄身がはいっている物も。これは月餅にも入っていたちょっと歯ごたえのある黄身。好き好きかという微妙な味。学生も持ってきてくれました。孫先生も、餡の入った餅米の主食を下さいました。

『万葉集』『古今集』『新古今集』そして俳句 

足早に駆け抜けるような状況。枕詞、序詞、縁語、掛詞などなど。修辞法の数々を復習。歌の成り立ち。特に防人の歌や東歌は、何故悲しい別れの歌なのかを説明しました。 古代から、人はなぜ争うのか。権力者の野望のために、犠牲になるのはいつも一般庶民です。我々はもっと賢くならなくてはなりません。そして、民族の違いをも超えて、仲良くならなければなりません。それがお互いのためなのですから。

HSK模擬試験 

二週間前よりは分かるようになった気がします。でも、当てずっぽうも一杯!本番まであと一週間。接続詞(関連詞)のセットをちゃんと覚えないとダメです。単語力が足りないのはもう仕方ありませんが、点のとれるところで、確実に答えられる問題を最低10問くらい増やさないと。 でも、日本で受けたら8000円もかかるし、受験会場も遠いし、試験は午後の眠くなる時間帯だし。Kさんに感謝します!やっぱりうけることにしてよかったです。もし、受けなかったら、今頃ダラダラとしていたかも知れません。充実しまくってます。さすがに今日はリラックスタイムにしました。たまっていたメールの返信や、このブログ、そして、「篤姫」「中国激流」も見ました。張りすぎた糸は切れやすいですから。などと言い訳。明日からまたがんばります。

太極拳友

イングランドから来ていたバーバラさんが帰国するので、お別れ会をしました。彼女の明るさには本当に救われます。学生から丑年の自筆の額をもらったと、見せてくれました。メッセージもすばらしかったです。イングランドにも行きたいです。彼女が自宅に泊めてくれるそうです。初めてのレストラン。ニュージーランド人のジムさんの中国語が通じるところがすごい。ピンイン、声調、共に、明らかに違うのに、分かってもらえるなんて。私なんて中国人だと思われるから、正確に発音しないと「何?」って最初は言われちゃいます。外国人と分かると、人によって聞き取ろうとしてくれますが。料金は、みんなでワリカン。こういうのもいいなって思いました。

難しいのに。孫先生がビデオを持ってきてくださって、ダビングしました。やー難しい。大学生の中国武術全国大会のビデオも見せて下さいました。雑伎団と同じくらい、早い。すごい。こんなことができちゃう人がこんなに大勢いるなんて。日本の空手がスローモーションのように感じます。身体の柔らかいこと。ジャンプも高いし、着地もぶれないし。オリンピック選手は、この人達のさらに上をいっていると思うと恐ろしいくらいです。馬馬虎虎。私の太極拳は体力の維持のため。「気」を高めるためのもの。楽しめたらいいと思うのですが、やっぱり武闘家に習っているので、そうも行きません。
  専家楼のお掃除の方に、太極拳を誉められました。冗談に「習いたい」と言われました。遠目では、少し様になってきたのでしょうか?でも、越学越難。やればやるほど難しいです。細かいところをチェックされます。HSKが終わったら、太極拳にシフトします。帰国後、クラブを立ち上げられるといいのですが。

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2008年6月 6日 (金)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第11回 南村志郎 神奈川県日中友好協会副会長

南村先生も四川大地震のお悔やみから始められました。

そして、周恩来総理とのエピソードをお話し下さいました。周総理の「相手が分かる言葉で、分かるような内容を話さなくてはダメ。」というお考えをご紹介下さいました。そして、周総理に会ったみんなが、周総理に魅了されたとのこと。その中には右翼の人もいたということ。

 人的往来の中身についての吟味の必要性、青年交流では、「行かなければ分からないこと。」を分かって欲しいこと。そのためにホームスティーは有効な手段であるということ。

 旅行社のガイドの実態。「ガイドは政治家であれ!」つまり、中国を好きにして帰さなければならないというお話し。これは日本語教師も同じで、日本を好きになってもらわねば、その価値はないということだと思います。本当に身につまされるお話しで、肝に銘じたいと思います。

 科技大には着物で行ったので、学生記者の方に、写真を撮らせて欲しいと言われました。

『奥の細道』

「夏草やつはものどもが夢の跡」

学生が引き上げた教室で、その残像を心に浮かべながら、あと数回で授業も終わり、そして二年間の任期が終わり、中国を去る日が来ることに思いが至りました。

試験も提出し、着々といろいろなことが進行していきます。合戦の跡を、夏草の生い茂る大地で芭蕉が感じたように、様々なシーンを思い浮かべては、感慨にふけるのは古今東西を問わないのだと思います。次週はいよいよ『万葉集』を始めとする和歌や俳句の学習です。

HSK

とうとう、馬先生の授業が終わりました。20課まで行き着いてしまったのです。寂しいです。土曜日、Kさんから冗談半分に「HSKを受けてみたらどうですか。」と言われ、中国人学生にも、「先生はいつも私達に、チャンスがあったら、何でも挑戦しなさいと仰っていますから、受けたらいかがでしょう。」と言われ、引っ込みがつかなくなりました。でも、あとわずかしか時間がありません。言われた日に初めて過去問を購入。やってみたら、惨憺たる結果でした。今まで、他人事で、全く考えていなかったので、ギョッとなっています。無謀ですが、このままだと中国語の勉強を全くしなくなりそうなので、取りあえず3級(一番下)を目指して受験することにしました。申し込みにKさんも付き合って下さって、模擬試験まで受けることになり、なんだか妙な気分です。副詞の位置、接続詞、介詞など、もっと、ちゃんと意識して勉強すべきだったと反省。まあ、でも、そういうことを勉強する必要があることが分かっただけでも良かったと思います。

チケット購入

7月20日(日)、北京発成田行きの昼便。朝7時半くらいにここを出発することにしました。

約3000元也。4年生は6月23日に卒業式。朝5時くらいから8時まで。

別れの朝を想像したくありません。絶対に泣くと思います。

 専家楼の受付の女性からも、別れを惜しむ言葉を頂きました。皆さんそう思って下さっていると言って下さいました。また、天津に来て下さいとも言われて、もちろん!と答えました。

 天津は私の第二の故郷となりました。

交流処の写真撮影会と会食

外国人教師が周総理の銅像の前で集合写真。私は着物を着ました。その後、少し離れたレストランでお食事会。ほとんどがアメリカ人。ドイツ人2人、日本人2人。会話はもちろん英語。しばらく使っていなかったので、すぐに浮かんで来なかったのですが、それでも、楽しめました。いろいろお世話になった、退職した陳元専家科科長も参加。「中国での滞在はどうでしたか?」と聞かれ、「天津は好きだし、学生も優秀で、大変楽しかったです。」とお答えしました。Kさんに写真を撮っていただいて、早速、皆さんにプリントし、データが必要ならメールを下さるように一筆添えてお配りしました。すぐに、インディアナ大学卒のこの間知り合ったばかりの先生からメールをもらいました。まさか、中国でインディアナ州の関係者と会うなんて思ってもいませんでした。インディアナもまた行きたいです。

そうそう、少し前にChristineからメールをもらって、さくらちゃんの映像を見ました。もう、かわいくて仕方ないのが良く分かります。また、カリフォルニアも行きたいです。

ビジター

この部屋に来て下さった方々は、2年間で延べ、820人になろうとしています。帰国していなかったトータル1ヶ月、また、旅行や研修でいなかった日、学生の休業中を考えると、実質、20ヶ月くらいでしょうか。皆さんのおかげで、寂しい思いをすることなく、思い出一杯の日々を過ごすことが出来ました。本当に感謝感謝!です。

今日来た学生に、「先生は観光地で、中国のどこが一番良かったですか?」と聞かれ、「九サイ溝」と答えました。しかし、今は四川大地震で、大変なことになっていると思います。一日も早い復興を祈らずにはいられません。復興したら、必ず家族と一緒に行きたいと思っています。

そして、本当はこの夏に行こうと思っていた、「都江堰」にも行きたいです。今,私は、「I Love China中国加油!」というTシャツを着ています。多くの人が、四川復興支援の思いを抱いてこのTシャツを着ています。

太極拳

とうとう扇も始めることになりました。最後の最後に、こんなフルコースをやっていいものか、とも思いますが、がんばるしかありません。私は体育苦手なのに~。こんなに毎日のように運動をするなんて考えてもいませんでした。でも、帰国したら、できるかどうか不安です。

昼休みか早朝、やるしかないかしら。放課後は会議ばかりとのことですから。それが一番心配になってきました。少なくても年に一回は天津に来て、李先生に教えて頂かないと、さびてしまいそう。

前に、Yさんの彼が、中国剣法の先生を訪ねて中国に習いに行ったという話を聞いていましたが、その気持ち、今は良く分かります。やはり、中国の太極拳を始め、スポーツの裾野の広さはすごいです。日本の13倍から15倍の人口で、若い人も多いですから、当然なのでしょう。

良き師、良き友、良き学生に出会うことができ、私は幸せ者だと思います。

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2008年6月 2日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第10回 佐藤嘉恭 元駐中国日本大使

  四川大地震のお悔やみから始められた先生は、胡錦涛国家主席の訪日を踏まえ、今後の日中間の新たな局面についてご講義下さいました。
① 戦略的互恵関係のついて。長期にわたる友好こそ、両国の唯一の選択である、ということ。
② 未来志向について。早稲田大学での胡主席の御講演で、歴史を記憶しているのは平和を守るためであるという点について触れられました。
③ 協力のパートナーについて。お互いがお互いを支持し、積極的に評価をすることが大切であるという点について言及がありました。
そのために、対話と協力が不可欠であり、両国首脳が交互に毎年訪問するということ。国民的レベルでの人的交流、特に青少年の交流について、2008年は重要な年であるというお話しがありました。また、環境・エネルギー分野での積極的交流の重要性を強調されました。また、宮中晩餐会で、長い友情は両国の財産であるという認識が、天皇と胡主席の話題になったというエピソードなどもお話し下さいました。 
2005年の反日デモについて、学生から質問がありましたが、それはもう、両国民は乗り越えたのではないか、とのお答えでした。
 メディアを通してしか知り得ない、こういった方々の人となりや発言に、いろいろ考えさせられることがあります。

『更級日記』

この作品には一つの思い入れがあります。教育実習で母校の高校三年生に教えたのが、まさにこの作品でした。この時に初めて助動詞の活用表に細かい訳を併記したものを作り、恩師小林國雄先生にお見せしたのが、つい昨日のようです。それまで、日本中のどの教科書にもそういった表がなかったのです。また、市販されていた文法書にもそういったものはありませんでした。その後、高校の教員となり、出版社数社に「著作権を放棄するので、掲載してくれるように。」と依頼し、今では逆に数社を除いて、殆どがその形態の活用表を掲載しています。
そして、今、古典文法のホームページはアクセス数18万件に届こうという勢いです。これも小林國雄先生の御著書をすべてアップするということができたからこそ、と感謝申し上げています。ドイツから中国に留学してきた日本人学生の方にも、「ドイツで見ていました。」と言われてびっくりしました。皆さんが活用して下さって、本当に嬉しい限りです。

最後のお食事会

料理の得意な学生に、中国料理を作ってもらい、私は、前からお約束していた、ホットケーキを用意したり、お寿司を買ってきたり、みんな忙しくて、人数は少なかったけれど、楽しく過ごしました。こうしてみんなで食事を作るのは最後です。
この二年間が走馬燈のように巡ります。4年生とは特にいろいろな思い出があって、感無量です。日本に留学が決まっている学生、大学院に進学が決まっている学生、天津で就職を探す予定の学生、みなそれぞれですが、中日の架け橋となって活躍して欲しいと願って止みません。

アフリカンウイーク

  天津在住のアフリカからの留学生が一同に会して、ファッションショーやダンス、料理などを披露する会に、招待されました。なにしろ、学生会の会長、ザクと主要ポストにいるカマル、それに前会長のセドゥの3人は、私の日本語の学生であり友人ですから。彼らがいかにすごい人達だったのか、本当に思い知らされました。
食事会では、いつも上座に座らせてくれて、天津大学の教授や他のゲストと同じように案内をしてくれるという厚遇を受け、恐縮してしまいました。カマルもセドゥも7月に帰国。でも私達の友情は永遠です。いつか、マリにもコモロにも、ナイジェリアにも行きたいです。本当にありがとう!!

太極拳

久しぶりに馬蹄湖前に行きました。剣も扇もやってみました。日本人留学生と3人で参加。皆さん、剣や扇を持っていない学生に貸して下さるので、有り難いです。愛大生や欧米系の留学生に教えている太極拳の先生が、ちょっとだけ参加を認めて下さったので、一緒にやってみました。そして、愛大の方にも、私達と一緒にやってみませんか、と誘いました。彼女たちは運動神経もいいし、身体も柔軟で、身のこなしきれいです。帰国しても、きっとできるだろうな、と眩しく思っています。

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2008年5月25日 (日)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第9回 福川伸次 元通産省事務次官

日中環境技術交流について 資源は無限であるということが前提で、科学技術はあったのが、現在は、有限の資源であって、それも、近未来に無くなるということを前提にどう考えるかの提言がありました。

石油は34年。石炭であっても150年持つ程度。資源の枯渇はもちろんそれを原料とした製品の生産もできなくなるということ。産業構造を根底から揺るがすような状況で、我々はもっと危機感を持って、対策に取り組まなくてはならないのですが、どうも、資源は無尽蔵という考え方から脱却できていないのが実情です。人口の爆発的増加。地球温暖化。リサイクルの必要性。

日本のリサイクル技術が全世界に浸透すれば、6割は節約できるとのこと。これはすごいと思いました!

1997年京都議定書の二酸化炭素排出量の義務を負っているのは全体の30%の国に過ぎないとのこと。日中間でもプロジェクトが進んでいて、環境問題解決の技術開発、都市計画、都市エネルギーの供給システム等々、新しい具体的課題解決段階に来ているということ。

途上国は環境を守りながら発展することが重要であり、政府が長期的視点から見通しをたて、技術開発を主導し、企業と学術機関共同研究をし、住民が一体となって取り組まねばならない課題とのことでした。

一軒で、電気と水の循環がある程度完結できる家屋を建築するというのが、私の小さい頃からの夢でした。そうすれば、送電線も水道管も排水菅もガス管もいらないわけで、これで免震構造なら地震大国日本の理想の家屋になるはずです。そして、そのようなHow toは全世界に通用すると思うのです。つまり宇宙ステージョンや水中で生活するのをイメージして、陸上で暮らせないものか、というのが発想の最初だったのです。SFや宇宙に興味を持っていた子供の頃の素朴な夢です。

また、二酸化炭素を燃料とできるような仕組みって作れないんでしょうか?それは小学生の時に光合成を勉強した時に思っていたのですが。そこが発端で、細胞に興味を持ち始め、顕微鏡を覗くのが大好きだったのです。今やっている仕事は全くそこから離れてしまっていますが、若い世代の皆さんに是非、そんなものを作って頂きたいな、と思っています。

『土佐日記』

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。」この冒頭部分、何百回聞いたことでしょう。今回は日本の大学生が使っている古典の影印本教科書を見せ、変体仮名の元の漢字も紹介しました。このあと『更級日記』、『奥の細道』『万葉集』とやっていきます。そろそろ試験をつくらねばなりません。

卒論発表会

終わりました!お互いにホッとしているという感じです。昨年よりぐっとレベルUPした感じです。どうしてもレポートになってしまって、独自の論を展開するのは難しいのですが、日本語で、しかも12000字以上ということですから、大変だったと思います。

お疲れ様会

 日本語科の先生方で食事会。中国語で話されても、苦痛ではない感じ。私の置かれている事情も、やっとわかっていただけたようで、それはそれで良かったと思います。「百聞は一見にしかず。」ということでしょう。これもまた、詳しくはメールでお伝えします。

レッスン

帰りの航空券、荷物のことなど外事処に聞かねばならないことを聞いて頂きました。郵便局に頼むか、業者に頼むか検討中です。基礎の301句も中級の教科書もあと2~3課を残すところとなりました。中級2の教科書を買いました。とうとうS先生と同じ教科書に行き着きました。しかし超特急ですから、まだまだちゃんと理解しているわけではありません。中国に居る間は出来ないかも知れませんが、パラパラ見ようかな、と思います。

太極拳

24式で、ふっと42式と勘違い。説明しながらやる難しさが分かりました。やはり教えるとなると相当、身体に入っていないとダメということなんでしょう。馬蹄湖のところで、42式をやる時に、前が二人で、後ろが5人というアンバランスな状態で、場所がなかったので、前でやるように言われました。申し訳ないような、嬉しいような、複雑な感じ。レッスンの時も、前でやるように、ということが時々あります。32式の剣は、しかし、まだ無理!3カ所くらい苦手なところがあります。もっと低く構えるように、とか、重心の移動、手の位置、足の位置、とか、細かいところのチャックが入りました。本当に奥が深くて大変です。帰国したら「表演」できるように、あるいは「教えられるように」と、先生達も考えて下さっているのが良く分かります。

Kさんにも私の悪い癖が移っているところがあって、「まずい!」と思っていますが、こちらが真似して欲しくないところが強調されて移るものなのだ、と思い知らされています。そういえば、娘が空手で、Don先生に似ていると言われていましたが、そういうことなのかな?と今になって思い当たります。私も李先生や孫先生と似ているところがあるのかしら?これは分かりません。

李金蘭さん

 馬蹄湖メンバーの一人、李さんから、手作りの花束を頂きました。とってもきれい!時間がかかっただろうな、と思います。涙が出てしまいました。メッセージも嬉しかったです。

「你那天真活泼可愛的身影一直在我心!中回荡希望你常来中国、増加中日友好和我们之间的友誼。特送你我亲手編织的丝网花。祝你们全家亲福、安康!永远快乐!」

読み返すと、またまた涙が溢れてしまいます。あー本当に、お別れの時が近づいているのだ、と思うと悲しいです。会うは別れの始まりですが、こんな気持ちにお互いなれたことは良かったと思います。言葉や文化は違っても、心は通うものなのだ、と実感しています。

バーバラさん

太極拳仲間のバーバラさんがイギリスに6月末帰るというので、お部屋をみんなで訪問しました。もう大体船便で送り出してしまったと言っていましたが、彼女のセンスたっぷりの装飾がありました。お茶とクッキー。お気に入りのカジュアルドレスでファッションショー。陽気な彼女らしいおもてなしでした。ハグされて、彼女の気持ちを感じました。ずっと英語。郵便局への持ち込み方法や、タオルで巻いたお皿の梱包方法など、見せてくれました。彼女の家の側にかかっている橋の写真について説明してくれました。「緑がいっぱいなの!」と彼女。なるほど、天津にはモネの睡蓮に出てくるような森や泉や橋はないですものね。「ここにいるとイギリスが恋しくなり、イギリスにいると中国が恋しくなる。」なんて話していました。私も江ノ島をNHKで見ると、ホッとします。数秒間の映像でも、嬉しいです。ここで会ったいろいろな人々と別れがたい気持ちと、心は揺れ動いています。

 Y先生のお祝い

大学院合格祝いを東北料理のお店でやって下さいました。おいしかったです!奥様との出会いのお話しもちょっぴり聞かせて下さいました。まだ、小学生の女の子さんがいらっしゃるとのこと。これからのご活躍が楽しみです。K先生と学習会を是非続けて頂きたいものです。

停電・ネット接続不良

 システム交換のため?朝6時から夕方6時まで。と朝から昼まで停電。ネットが繋がらないのは本当に毎度のことで、困ります。それにNHKも見られなくなるし。日曜日唯一の楽しみが~。

昨日止まっていた冷蔵庫の中身が心配。今朝、ヨーグルトの味に違和感がありました。他の物のチェックは恐くて、停電が終わってからでないと出来ません。雑菌の巣になっちゃってるかも。

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2008年5月18日 (日)

『徒然草』の「花は盛りに」と本居宣長の『玉勝間』

「花は盛りに」もちろん、これをやるなら本居宣長の『玉勝間』も引き合いに出さねばなりません。

「あなたはどっち?」と聞いてみたら、『徒然草』支持のほうが若干多かったです。どちらが正しいとか価値があるとかは関係ありません。大事なのは、「自分を知ること」だと思います。自分が文章を読んだ時にどう感じるのか、普段無自覚な自分の感覚を再発見する、これこそ学習の醍醐味だと思うのです。ちなみに私は『玉勝間』派。でも学生の時は、『徒然草』派でした。今は「楽しい」ことを「楽しい」と言えるようになった気がします。その変化には深い意味があるのですが、これはまた、お目にかかった時に、お話し致しましょう。

語学パートナー

「組むことが出来ました。」とメールをもらったのですが、その後どうなっているかは聞いていません。A大学の太極拳講座が終わってしまって、皆さんに会えなくなってしまいました。また、次期、でしょうか。私の後輩に託していくしかないようです。

卒論!卒論!卒論!

 今週はメチャクチャでした!はっきり言って倒れそうというか、時々倒れてます。(笑)徹夜に近い状態。夜討ち朝駆け。でも、こちらもレポートではなくて、自分のオリジナルの考えを求めていますから、妥協はできません。

提出当日はお昼を用意。5人でスパゲティーを食べながら、必死。や~だから早くやってって頼んだのに~。おっと、「のに」がつくと愚痴が出る。(相田みつを)の言葉になっちゃいますね。いけない、いけない。

卒論発表会の打ち合わせで、5分間は自分で説明してもらって、それから質問にすぐ答えてもらうことになりました。あと一週間。お互いにがんばりましょう!さー読んで質問考えなくっちゃ!

Pay Forward

 四川の大地震、本当に大変な状況です。思った通り、煉瓦の家がもろく崩れ去って、瓦礫の山。中国のどこに行っても、煉瓦の家がたくさんあるのは同じです。専家楼にも義捐金ボックスが置かれました。署名と金額を書き込むようになっていました。とりあえず1000元。ガードマンの方が握手して下さいました。本当はもっと出したいのですが、あと2ヶ月の暮らしと、引き上げにどれくらいお金が必要か見えないので。最後に通帳にお金が残ったら、全額寄付したいと思っています。

卒論を担当した学生が、ご迷惑をお掛けして申し訳ないから、先生に食事を奢りたい、と言ってきました。でも、私は、そう思った金額を四川に送ってくれるように頼みました。私がやったことを私に返してはそれで完結してしまいます。Pay Forward.私も中国で大勢の方から頂いたご恩に報いるために、日本に帰ってからも、出来ることをしたいと思っています。だから、彼らにも、私がやったことを嬉しいと思ってくれるなら、それを、今助けが必要なところに出して欲しいのです。世の中はそうして廻っていくもの。やさしさとは本来そういうものなのではないでしょうか?

できるときに、できることを、できるだけ。

有時間的時候、尽量做能做的事情.Ni覚得幸福就是幸福.幸福是Ni的感覚.

レッスン

卒論のことでいっぱいいっぱいになり、完全に忘れていて、先生に無駄足させてしまいました。本当に申し訳ない!!もうすぐテキストが終わるのに~

太極拳

32式の剣、ちょっとできるようになってきました。食事の時とか、とにかく、ビデオを繰り返し見て、必死です。毎朝、留学生のKさんと八段錦と24式・42式をやっているおかげで、どこがあやふやか分かってきました。やっぱり人に教えるのが一番の学習です。Kさん、付き合って下さってありがとうございます。私の方が学ばせて頂いているのです。留学生のSさんも加わって、3人でやっています。

誕生日

娘の誕生日。ピッタリ予定通り陣痛が始まって。あの朝のことは今も鮮明に覚えています。朝方のうっすら曇った空。とにかく、とんでもない痛み。臍の緒は夫に切ってもらって。助産師の先生に取り上げて頂いて、本当に良かったです。自分の人生を大切に生きて欲しいものです。明日は孫先生の誕生日。こちらでは、孫先生と内々で誕生会をやります。これが中国での誕生会の最後となるでしょう。

帰国準備

チケットを予約しました。引っ越しの手配も今、問い合わせ中。二胡を持ち帰るのにちょっと手間がかかるらしいです。荷物も極力減らしたいですから、譲るリストを作成中。というか、使わなくなった段階でドンドン放出しています。まずは冬物衣類。本やDVDは後輩に預けるか、後任の方に預けるかというところ。9月からの担当教科も伺いました。

私が戻ったら、何をやるのか、伺っていなかった~。

取りあえず、今は、目の前のことをやっていきます。

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2008年5月12日 (月)

5月12日 四川省の地震

お問い合わせ下さった皆さん。ありがとうございます。 天津は全く影響なしです。日本地図で見比べて頂ければ、どれほど離れているかお分かり頂けると思いますが。 本州の端から端までよりも距離がありますから。 成都は行ったことがあります。九サイ溝に行ったとき、往復立ち寄りました。中心部は天津とそう変わりない大きな街です。 中国はどこも煉瓦の家が多いです。高層ビルも壁が煉瓦ということは珍しくありません。また、日本ほど建築基準法が厳しくないようで、鉄骨の数も非常に少ないと思います。 某アネなにがしの建築でもここならOKかもしれません。 ですから、メディアが放送していない被災地が気がかりです。 地下もそんなに深く掘って基礎を作っているかどうか・・・。 明日は我が身の地震大国日本。 私がここに居る間に関東に大地震が来るんじゃないかと思っていましたが、このままだと、帰国後、一緒に被災者になりそう?かしら。 帰国したら、私だけ家から離れた勤務地なので、取りあえず集合場所はF中かな~?といった具合に、皆さんも連絡場所とかいろいろ家族と話してみるのもいいのでは?

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2008年5月11日 (日)

科技大の講座はお休み

徒然草

 第二弾は、「調子に乗るな。」の鼎をかぶってしまった「是も仁和寺の法師」。「勝負は一発!真剣勝負!」の「弓を射ること習ふに」。思いこみは禁物の「猫また」。「人の噂を気にするな。」の「堀池の僧正」。子供を持って初めて人情が分かるという「心なしと見ゆる者も」などなど、有名な話しをメドレーで紹介。「中国にも同じような話しがあります。比較を卒論で書きたくなりました。」という学生も。おもしろいと思ってくれるのが一番!

語学パートナー

 朝、中国拳法をやっているA大学の方に「がんばって!」と声をかけたのがきっかけで、うちの学生と語学パートナーを組んで頂くことに。私の部屋でまずは顔合わせ。お互いに実り多い時間を過ごせることを心から祈っています。できれば、あと15人くらい需要があるのですが~。

卒論!卒論!卒論! 

 一気に大量の添削。少しずつ書いて出して欲しい!!頭がウニのよう。

レッスン

 中国語も英語も日本語も小休止。それなのに時間が足りません。睡眠時間を大幅に削り、肌荒れし放題。とうとう金曜日夜の映画会もキャンセル。身が持ちません。

太極拳

 剣、少し分かってきましたが、細かいところは覚えきれません。真似しているうちはできるのですが、「自分で!」と言われると、「???」真っ白。砂上の楼閣。あと2ヶ月だというのに。家でビデオを見て、確認。前回よりは進歩したとほめられましたが、まだまだ・・・。こういうのって終わりはないですから。気を発するまでには十年二十年かかるそうです。まあ、「気」長にやろうと思います。

学習会

 今週のヒットはこの2時間の学習会。なにしろ北京大学大学院博士課程に合格した新進気鋭のY先生を始め、日本語教授法が専門の方々、日本の国立大学で博士を取得された方が、ざっくばらんに話すという私的な会ですから、脳に刺激が与えられることこの上なし。聡明で、しかも謙虚な方々の会話は実に痛快です。濃厚な時間で、充実していて、願ったり叶ったりの時間の過ごし方。同じ所をグルグル廻ってる会議とか、無駄話とは全然違います。同じ24時間過ごすなら、できるだけ今日のような時間の割合を多くしたい、そんな気がしました。今日は天気は雨でしたが、心は晴れやかです。

母の日

 日本の義母から電話をもらいました。花が届いたことを知らせてくれました。元気そうでなにより。自分の子供達とも話しをしました。子供を持って初めて分かること。それは、親も親になっていくんだな、っていう当たり前のことでしょうか。

帰国準備

 一昨年の今頃、歩平先生のお話を拝聴したのが昨日のようです。先輩が「砂時計の砂がこぼれるような日々を大切に。」と手紙に書いて下さいましたが、本当にその通りです。冬物を休みの度に洗い、箱に詰め、着ない物を処分し、どれを誰に託していくかを決め、少しずつ準備を始めました。食べ物も、逆算して、あるもので済ませるようにしています。

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