天津科技大学の中日友好講座第七回 南開大学外国語学院林麗yun院長
天津科技大学の中日友好講座第七回は南開大学外国語学院林麗韫院長による「中日関係についての自己体験」というテーマでした。
まずはご自身の北京大学入学までのいきさつを、生き生きとした語り口でお話下さいました。
先生の御講演で、特に取り上げられた広島・長崎に投下された原子爆弾、そしてその後の核実験禁止についてのお考えはとても感銘を受けました。私もたくさんの広島・長崎原水禁運動のバッチを持っていました。
1960年代の日本がどうであったのか、その前後のことは、白黒テレビのニュース画面を思い出すような心持ちでした。日本で、デモをやっていたその同じ時に、天安門でも多くの中国人が支援してくださっていたとのこと。
学生諸君には過去の歴史ですが、実際にその時代に居合わせた人々にとっては、決して遠い記憶ではなく、まるで昨日のことのように鮮明に浮かぶものなのだろうと思いました。
また、林(リン)先生は台湾ご出身ということで、そのことも心惹かれました。
私も12年前に台湾に友人を訪ねて行ったことがあります。故宮博物館は圧巻でした。もし日本なら、何メートルか置きに、ガラスケースにゆったりと並べられるだろうほどの至極の財宝ともいえる文物が、無造作であるかのように床面に所狭しと並べられていました。その、あまりの価値の高さと量に絶句しました。それと同時に歴史やこの間の複雑な関係についても思い至りました。
周総理の通訳を務められた林麗韫院長の暖かなお人柄に接して嬉しかったです。
一方で、いろいろなことが走馬燈のように巡っていました。子供の頃、父母から戦争中に体験したことを毎晩のように聞かされ、戦争は絶対いけないもの、平和がどれだけ大切かを教えられて育ってきたことを思い出しました。
父は、川崎の学童動員で芋を作っている時に、顔が見えるのではないかと思われるほどの低空で、アメリカ軍の機銃掃射の攻撃に遭い、芋畑の間に身を伏せ、隣の列の友人はみな、背中から弾を受け、ひっくり返すと、内蔵が全部出て死んでいた時のことを繰り返し私に話しました。同級生だった、後に「焼き肉ジャン」を作った(すでに癌で亡くなった)モランボンの社長と共に助かった話は、目の前でその地面をたたき付ける銃の音と、飛行機の通過する強い風と土と血の匂いを感じるくらいの実感を持って、私の脳裏に焼き付いています。
母の学童疎開の話も壮絶です。薪拾いの話・しらみの話、どんなに心細かったことか。とにかくよく生きていたものだと思うことばかりです。
戦後のGHQで船に乗っていた父の話しも、強烈です。南の島のどこかで、枕木のように並ぶ米兵の死体。その認識証のネックレスを一人一人確認する作業は、「人間は消耗品なんだ。」と感じたと聞きました。
父は男の人がネックレスをするのを嫌います。その時のことを思い出すからなのです。
私には、映画の一シーンのように、その様子が浮かびます。「風と共に去りぬ」にも、似たようなシーンがありますが、地平線まで続く枕木と思ったものが、近づいていけば、死体だったという、身の毛もよだつような光景と、その上を渡る、生ぬるい臭気を帯びた風と土埃を、そこでも感じてしまいます。
(余談ですが、宮崎駿の漫画で良く風が出てきますが、あれは、さまざまな実感を表現しているのではないか、と勝手に思っています。)
中国に来て一番強く感じるのは、「私一人ではない」ということです。
日本にいると、「平和」を語ると、しらける空気を感じ、寂しい思いをすることがママあります。しかし、ここでは、「共に世界平和のために、できることをやりましょう!」と言うと、「一緒にがんばりましょう。」と答えてくれます。
何国人は関係ありません。地球人。人類として、愚かな争いによって人々の命が奪われないための努力を、できる限りする以外ないと強く思っています。
歩平先生
12月に侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館で開催される国際学術研究討論会について、せっぱ詰まって、歩平先生にお尋ねしました。すぐにお返事を下さいました。今、中日歴史共同研究のために日本にいらっしゃるというのに。
私のような、何の役職も肩書きもない、重要人物でもない者に、誠意を持って接して下さる歩平先生のメールに胸があつくなりました。
私に何ができるか分かりませんが、とにかく、出来ることをやっていこうと、また気持ちを新たにしました。
古典の授業
とうとうコンピュータを使って、画面を映し出す授業をやりました。
ずーっとやりたかったことが実現しました。教室環境の問題はありますが、パワーポイントを新たに作り、次回に臨みたいと思います。
「らくらく古典文法」のページは、
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もうすぐ15万件のアクセスを頂くまでになりました。これも小林國雄先生を始め、web問題作成ツールを作って下さった入江先生、打ち込みをやってくださった増田さんを始め多くの方々の御陰です。
このページが少しでも皆さんの学習のお役にたつことを祈って止みません。
The theme of the seventh session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the president of Nankai University Foreign Language School Lin Liyun, was about her experiences from the Japan-China relationship.
First of all, she told us a lively story about herself when she applied for entrance to Beijing University.
She spoke about the atomic bombs dropped on Hiroshima & Nagasaki, and about activism against nuclear tests. Her lecture made a deep impression on me. I also agree with her opinion.
She spoke about Japan circa 1960, and I can still recall the black-and-white TV news from that era. At the time of the demonstrations to stop the US-Japan Security Treaty some Chinese people also gathered for the same purpose at Tian’anmen.
The students must have felt like the events discussed were distant history, but she remembers them clearly.
Lin Liyun came from Taiwan. That place is familiar to me. I went there to visit my friends 12 years ago. I went to the Gugong Museum at Taiwan. That Museum is the best. Many rooms were filled with many cultural items. Those things have great worth. I couldn’t find any words to say.
And I thought about China and Taiwan.
She worked as an interpreter for Zhou Enlai. She is a very thoughtful person. I felt very happy to meet her.
Many horrible memories passed before my eyes. When I was a little girl, my parents used to talk about what happened in WWⅡ. They told me war was ill, peace is valuable.
When my father was a student he encountered US machine-gun fire. His friends died while he was unharmed. He narrowly escaped death with his friend, who became a CEO afterwards.
I could imagine that scenery the sounds, the wind, and the smell of earth and blood.
A violent story my mother told was also intense. They survived by a miracle.
When my father went on board a GHQ ship, he checked American soldiers corpses at some southern island. Those bodies looked like railroad ties. He felt that the humans were consumable goods.
He didn’t like to see men with necklaces because of they reminded him of dog tags on those dead American soldiers.
I feel I am not alone here. I said, “ Love peace. And do something for peace.”
My students said, “Yes, we will do something for peace.”
We live on the same planet. We are human beings. We should stop stupid conflicts.
Mr. Bu Ping
He is a very famous Chinese historian and delegate. I sent an e-mail to him about Nanjing Museum holding a workshop. He replied immediately. I’m not a VIP. He is a very wonderful person. I cannot possibly put my thanks into words. Only to say, I do my best.
My lesson
At last, I was able to use a computer in my lesson. I showed my website to my students.
My website comes up if you Google it. The computer in that room was not very good. But, I will make some power points files for my lesson.
I hope my website will aid in the study of classical Japanese grammar for many students.


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