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2007年12月27日 (木)

天津科技大学の中日友好講座第十二回 天津科技大学中日友好交流講座日本側常駐 春日嘉一先生

天津科技大学の中日友好講座第十二回は、天津科技大学中日友好交流講座日本側常駐 春日嘉一先生による「第一学期中日友好交流講座のまとめといった内容のお話でした。

最初に、日中友好促進に努力した日本人像についてお尋ねになりました。日本鬼子と日中友好促進に努力した日本人像について。そして、日本鬼子だった人が日中友好促進に寄与するようになった「教育、反省、教育、自覚、行動」の過程についてお話下さいました。

日本の戦前の教育がどんなものであったのか、軍国主義教育によって作り出された嘘の世界への認識。その後の自己反省。プロレタリア文学の学習。そして、労働運動や日中友好運動の活動家となった人々について語って下さいました。

右翼から身をもって中国からの賓客を守った日本人の話し。各講師の仰らなかった秘話。各講師のご活躍のご紹介。

そして、現在の日系企業での問題点。学習する側が留意する点。

多くのことに興味関心を抱き、アンテナを張り巡らし、国際人としての資質を向上させて頂きたいという春日先生の熱い想いが伝わってくるお話でした。

最後に、大学関係者、聴講した学生に対して謝辞を述べられ、特に、本学の韓国人留学生については、「日中韓三国人民は団結しましょう。」「団結して北東アジアの平和を守り、ともに繁栄しましょう。」というメッセージで締めくくられ、拍手を送って下さいました。

毛沢東主席の言葉を引用され、その後に、「抗日戦争以後の偉大な国際主義精神を継承・発展させる責務は君たちにあり、また我々にある。しかし結局は、すべてを君たちに託さなければならない。」と結ばれました。

 共に平和共存するために、まず、自己の内面を高めることが重要であるというメッセージが伝わったことを祈って止みません。

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2007年12月25日 (火)

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

「プロフェッショナル 仕事の流儀」私の好きな番組です。

  その中で、「怒り」の制御方法、相手を別の角度から見て想像してみる。相手の気持ちに共感する。と言う言葉が引っかかりました。 もっとも、相手が異常な場合は論外でしょうが。
  それから、初対面の人に対する第一印象というのは、過去の経験から生まれるもので、正しいことが多い、というのも納得。「良い感じだな。」って思うと、大概すごくいい人で、ずーっとお付き合いすることになり、「わーちょっと。」と思うと、その人の言語行動から、ますます、その人の器の小ささを感じて、「やっぱりね。」と思うことが実に多いです。相手も察知するんでしょうか。大抵交際しなくなります。   

 今日出演した視聴者が、茂木さん個人のブログを読んでいないことにちょっとびっくりしました。私は、「世界一受けたい授業」で茂木さんを知って、最初は「目つきよくないなーでも、なんか面白い人だなー」って思ったのですが、この「プロフェッショナル仕事の流儀」を見て、ブログを読んで納得。あーだからなんだな。と思うことが多いです。特にこの番組内で彼自身のことを扱った時があって、私も以後実践しているのが、朝一のメールと、いろいろな日常の雑事をピリオドとする時間の使い方です。また、音楽を聴いて、頭を切り換えるのも、思い出してはやっています。集中力は確かにUPしたと思います。

  もっとも今は中国語三昧で、暇さえあれば中国語を聞くようにしているので、なかなか音楽まで行き着かないですが・・・。 羽生さんの「才能とは努力し続けること。」そっか、ずーっとしつこく英語の作文書き続けたり、中国語聞き続けてることが、「語学が得意」と思われる驚きの現象に結びついているのかもしれないと思いました。なにせ、学生時代、英語は大嫌い。中国語に至っては、すっかり忘れ去っていたのですから。 これからも、しつこく勉強しようと思いました。だって話せると友達が増えるんですもの。それもいろいろな国の人と友達になれるって、本当に面白いですから。 これも以前、言及がありました。「世・・・一」でもやってましたが、「やらされているのではなく、自分が進んでやっていると思うとポジティブになれる。」というのも本当だと思います。面白いと思うのが一番なんですね。 また、この番組を見て、ちょっとポジティブになりました。いよいよ休暇中に語学の勉強を本格化します。ちょっとは話せるようになって帰国したいです。

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2007年12月21日 (金)

天津科技大学の中日友好講座第十一回 学法文化センター 金子泰生 主幹

第十回は残念ながら南京に行っていて拝聴出来ませんでした。

天津科技大学の中日友好講座第十一回は学法文化センター 金子泰生 主幹による「日本留学指南」というテーマでした。

日本の物価の実態、留学先の選び方等、かなり具体的例をあげてお話下しました。学生からはため息がこぼれていました。

また、写真で日本の有名大学を紹介して下さったり、東京の町並みを紹介してくださったりしました。

浅草や原宿が懐かしかったです。私もそういった写真をとっておけば良かったと思いました。(日本から海外へ出ようとお考えの方々、是非、日本の日常の写真や若者に人気がある雑誌等、お持ち下さい。)

そして、何よりも留学経験者にいろいろ聞くのが一番とのこと。

私も、ここで生活されている日本人の友人からいろいろ教えて頂いて、二年間ではとても知り得ないことを先取りできて、充実していたと感謝しています。特に、来てすぐに誘って頂いた太極拳。これは以後の生活を決定することになるくらい影響が大きかったです。孫先生との出会い。毎週作って頂いている家庭料理。何ものにも代え難い交流。そして買い物、郵便の出し方など、日常生活全般。どれだけ助かっていることか。実感として分かります。

日本の入国管理局がチェックする項目、日本円で200万円はないとだめとのこと。しかも、今年だけというのでは、借金をして急に得た収入と捉えられるので、貯蓄としてお金がないとだめというお話。しかし、ここでは物価はほぼ1/10。そうなるとかなりの高額と言えます。結局、お金の問題が教育の問題なのでしょうか。

つい我が家のことに思いが至ってしまいました。子供達に充分な教育の機会を与えたいというのはどの国も同じこと。しかし、現実は厳しいです。

 一般的に日本では、文系で年間300万円、理系で500万から2000万円かかると言われていますから、教育費は頭痛の種です。

 留学生の多くはアルバイトをせざるを得ないのが実態で、気が付くと、本末転倒になっているケースも多いわけです。

 私の学生の何人かは日本の大学院留学を希望しています。彼女達の夢が叶うことを願って止みませんが、現実の厳しさも気になっています。

 卒業見込み証明書と紹介状が必要とのこと。果たしてどうなることやら。

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2007年12月20日 (木)

南京大虐殺七十周年

南京大虐殺七十周年にあたる2007年12月13日、ちょうど授業がないので、外国語学院でもOKがとれて、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館新館の開館式と侵華日軍南京大屠殺史国際学術研討会議に、朱成山館長と歩平先生のご紹介で参加することができました。
主催者側の発表によると、当日の式典には外国からの参列者を含め8千人。新館を訪れた南京市民は10万人とのことでした。
13日にまず、南京大学の友人と拝観。お互いに涙を流しながら回りました。
展示場内部の撮影は禁止です。まず、地下に降り、空襲のシーン。そして、亡くなった犠牲者の数、三十万の文字が天井に映し出され、正面に遺影が順次浮かんでは消え、側面には犠牲者の名前が刻まれた壁のある広い部屋、いろいろな証拠の品々、写真や、再現場面等の展示、そして、何層にも重なる、おびただしい人骨が発掘された場所は、辛く、慚愧に堪えられず、涙が溢れてしまいました。どうして虐殺はなかったなどと言えるのか、全く理解できません。
侵華日軍南京大屠殺史国際学術研討会議初日は、13日午後、中山陵中腹の会議場で行われ、歩平先生と再会。中日韓の歴史認識に関する基調講演を拝聴。本田勝一氏が南京大虐殺を取り上げるジャーナリストとなったいきさつや、著名な方々のお話も拝聴することができました。第二次大戦における日本の虐殺を始め、従軍慰安婦問題等に対する各国の対応。また、元日本兵の方も事実であるとの証言をなさいました。
14日午前は分科会。ここで、北海道での強制労働から奇跡的に生還した鳳儀萍氏(日本・中国・韓国=共同編集「未来をひらく歴史」第1版の134ページに氏についての記載あり。)や南京大虐殺の幸存者、王之民氏もご一緒でした。また、当時の南京における安全地帯を死守された欧米の方々の関係者、「The RAPE of NANKING」を書いたIRIS CHANGさんのご両親、広島からいらした毒ガス関係の問題を扱っていらっしゃる方、日中友好協会、大学関係者、原爆や戦争・平和に関する記念館関係者等々、様々な分野で活躍されている方々ばかりでした。
自己紹介ということで、鳳氏がご自身のことをお話下さり、その辛い体験の一端をご紹介下さいました。またまた、涙が止まらなくなり、自分の自己紹介の時に、鳳氏を含め、皆様に申し訳ない思いで一杯だ、と申し上げました。その後、鳳氏とご一緒のテーブルで昼食を取らせて頂き、午後は分科会の報告と自由討論でした。
その席上、カナダのCanada Association for Learning & Preserving the History of WWⅡ in Asia(ALPHA)の共同主席である、列國遠さんの夫の湯鵬挙さんから、日本の一般人の現状についてのご質問があり、僭越ながら発言させて頂きました。その発言後、偶然隣席だった趙建民復旦大学歴史学系教授や周正偉珠海学院文学院助理教授や何人かの方が名刺を下さり、私の真意をご理解頂けたことは、大変有り難かったです。
夜の交流会も、鳳儀萍氏とは英語、趙建民教授とは日本語でお話を伺うことができました。趙教授がお調べになって分かっただけでも、たとえば日本軍が香港大学東方文化研究院図書館のすべての本を略奪し、その書籍は日本の国会図書館や早稲田大学等を含む17カ所の図書館が所蔵しており、中国へ返還された図書は僅かである(上記図書館では6%)というものでした。この事実が、中国のあらゆるところで日本軍が起こした略奪のほんの一部にすぎないことを実感して、大変ショックを受けました。趙教授は、この不幸な二国間の状況がなぜ引き起こされたのかを知るために、日本史を研究し、両国の友好関係に役立てたいと仰っていました。
15日午前にも再度、検討会の代表者と紀念館の見学。この時は、鳳儀萍氏や、IRIS CHANGさんのご両親、そして周正偉助理教授ともご一緒でしたから、いたたまれない気持ちになり、大変辛かったです。IRIS CHANGさんのコーナーでは思わずお母様に駆け寄って泣いてしまいました。
バスで鳳儀萍氏が隣に座るように仰ってくださって、英語と日本語で会話をさせて頂きました。また、アメリカやカナダの方ともカタコト英語で話しをさせて頂きました。そして、今後やるべき具体的な事を課題として託されました。鳳儀萍氏は昼からご親戚と再会されるとのことで、バスを途中下車されました。
ホテルに戻って、昼食時、趙建民教授が、同じテーブルにつくように促して下さって、連れの全くない私にとっては有り難かったです。しかし食事は、あまり喉を通りませんでした。食事が終わりかけた頃、隣の席で食事をとっていらした幸存者の王之民氏が、名刺を私に下さいました。今回の会議参加者で唯一の幸存者と分かっておりましたので、お名前を見た瞬間に涙が溢れ、「真対不起!」を繰り返し、泣き崩れてしまいました。王之民氏は「日本的朋友」と言って、私を抱いて支えて下さいました。趙建民教授も周正偉助理教授も、賈元良 遼寧省趙尚志研究会副秘書長も、「言葉ができなくても真心は伝わる。」と言って下さいました。
午後は総統府を拝観。趙建民教授と周正偉助理教授がご一緒して下さいました。本当に皆さんの暖かなお心遣いを感じることができ、私はここで見聞きした真実を、様々な形で日本に帰って伝えようという思いを新たにしました。
(後日、鳳儀萍氏がChina Dailyに写真入りで大きくとりあげられ、こちらの学生にも見せました。日本人を恨むべきではないという言葉が目にとまりました。)
 15日の夜は友人と昆曲を見ました。充実した日々でした。

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2007年12月 9日 (日)

天津科技大学の中日友好講座第九回 中国社会科学院近代史研究所 歩平 所長

天津科技大学の中日友好講座第九回は中国社会科学院近代史研究所 歩平 所長による「未来の歴史認識構築―中日歴史問題の考察」というテーマでした。

先週まで日本で、中日歴史共同研究の会合に出席され、ご多忙の中の講演となりました。今週はまた南京でお話を拝聴できる予定です。

靖国神社問題、首相の参拝・不参拝、教科書問題、実は「新しい歴史教科書」の採択率の低いこと。靖国神社の遺族会のこと。右翼のこと。日本人であっても、様々な考え方があり、一面的に見るべきではないこと。広島から南京へ、南京から広島へというメッセージ。被害を受けた人民と人民が共に理解し合い、もう二度と同じ不幸をくりかえさないために努力すべきだというメッセージが心に響きます。

先生のお話を拝聴するたび、いつもその人格の素晴らしさに感銘し、尊敬の念を強くしています。昨年来、様々な機会で、いろいろ勉強させて頂き、今回南京に行くに際しても、私のような一般人のためにいろいろと連絡を取って下さり、本当にお世話下さって、感謝の言葉もないほどです。そのご厚情にどうお答えするのか、それが、私の今後の進むべき道と思っています。

天津養老院訪問

衣料から食事から、すべて政府が支給してくれるという子供のいない老人のための養老院見学に行きました。五五年の歴史があるとのこと。桃色の建物で、こざっぱりしたきれいな施設でした。食事のメニューも、体調に合わせ、糖尿病対策用や、高血圧対策用等、テーブルに指定があって、びっくりしました。皆さん音楽、読書、ゲーム、コンピュータ、絵や書など、様々な趣味で楽しんでいらっしゃいました。お一人の女性に、布に書いた花と鳥の絵を頂戴しました。ありがとうございました。

おにぎりとおみそ汁、中華料理

日本人留学生と中国人学生九人が来ました。中国語と日本語が飛び交う中、お腹一杯おいしいものを食べて満足しました。何事も経験。私も中国語を話すチャンスができて嬉しかったです。

休日ショッピング

セーターを買うために、太極拳の孫先生に付き合って頂きました。中国語と英語で話すのですが、中国語で話す割合が増えました。気に入ったものが買えました。良かったです。これで南京に行けます。帰りに八里台で降りそびれました。バス停が150m手前に出来ているので、七里台と勘違い。御陰で天塔まで行って、徒歩で戻ることになってしまいました。「運動!運動!」と言って下さったので、有り難かったです。いつもお世話になっています。

朝の太極拳

王さんと李さんが剣を教えて下さって、うれしかったです。太極拳も中国語も進歩したと誉めて下さいます。

たくさんの中国人の方々に支えられ、幸せに暮らしています。でも、それももうカウントダウン。休暇中に中国語の勉強を頑張ろうと思っています。

忘年会

M先生のご紹介で、先日お知り合いになった中国人の方から忘年会のお誘いを受けました。人と人の出会いに感謝感謝です。

赤ちゃん

友人の待望の赤ちゃん誕生ニュース。今年一番のbig ニュースで、嬉しい限りです。早速アメリカに国際電話。声を聞いてホッとしました。また会いたいです。彼女は私のアメリカ人の親友です。彼女達の幸せを祈っています。

The theme of the ninth session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the Institute of Modern History Chinese Academy of Social Sciences Bu Ping Director was “building a common recognition of history between China & Japan.”

He went to Japan last week, and he had a meeting about common recognition of history between China & Japan. He is a very busy man, so he worked the talk into his busy schedule. This weekend I will be able to listen to his speech again in Nanjing.

He spoke about the Japanese prime minister paying homage at the Yasukuni shrine, the Fuso company-authorized history textbook being unpopular, Yasukuni shrine is bereaved family group, and the Right. Japanese people are not all the same. You shouldn’t think that they are a homogenous mass of people.

Message from Hiroshima’s people to those of Nanjing, and vice versa. Both cities suffered in WWⅡ. We should know each other and come close together. We should try our best.

His argument was persuasive. I listened to his speech again and again. I felt that he was a very wonderful person. I have the greatest respect for him. I appreciate his many kindnesses. I will return the favor to him, and that will be my way to live.

Tianjin retirement home

Nankai University foreigner section invited some international students and teachers to the Tianjin retirement home. The pink neat building had a 55-year  history. 

The dining room has an adaptable menu for old people. They enjoyed music, arts, games and many hobbies. One of them gave me a picture. Thank you!

Onigiri and Omisoshiru

Some Japanese and Chinese students came my room. They did some cooking. They enjoyed conversation. Everything is our experience of life. I also enjoyed to speak Chinese.

Shopping

I went shopping in town. My taichi teacher helped me. She is an English teacher.

We always speak in English. But, that Sunday we spoke in Chinese more. She said she could understand my Chinese. I was very happy to hear that.

My friend has a baby.

My friend Christine has a baby. I called and told her,“I’m very glad.”  That is the biggest news for me this year. I hope for their happiness.

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2007年12月 1日 (土)

天津科技大学の中日友好講座第八回 元人民日報東京駐在員 張雲方氏

天津科技大学の中日友好講座第八回は元人民日報東京駐在員・国務院中日経済交流会張雲方秘書長による「中日国交正常化三五年」というテーマでした。
鄧小平氏の改革開放政策があったればこその現在の中国の発展であることは周知の通りですが、日本を訪問し、日本をモデルにしようといたこと。ロボットを見て、「ロボットはストレスがなくていい。」と雑談で語ったエピソードなど、合理主義者と言われる小平氏の知られざる側面を紹介して下さいました。文化大革命の際、不遇であった小平氏。しかし、捲土重来、不屈の精神で、中国の発展のために尽力された御陰で現在があり、日本経済界からの人的援助も大きかったことをお話下さいました。

日本語弁論大会
本学外国語学院日本語科代表者の発表のお手伝いをしました。敢闘賞を頂戴したとのこと。即席スピーチが難しかったそうです。思った通りにその場で話すことは大変です。私も、英語はやっと、簡単なことは言える気がしてきましたが、中国語は思うように話せないもどかしさを感じています。ゆっくり地道にやるしかないのでしょう。

棒術
K大学留学生と太極拳の先生のところに伺いました。江戸時代の寺子屋で「読み書き算盤」を学習したような感覚。中国武術の裾野の広さを目の当たりにしました。

昆曲
日本語科の京劇サークルで活動している学生から、昆曲(昆劇)の鑑賞に誘われ、拝見しました。演目によってはアクロバット的要素もありました。京劇の元になったものとのこと。彼女の先生は60代とのことですが、美しい舞台に魅了されました。武術にしろ、劇にしろ、宙返りもお手の物。オリンピックの演技のようなことを普通にやってしまう人々の何と多いことか。筋力、バネの良さ、柔軟性、瞬発力、驚きの連続でした。朝、太極拳をやっている方々も60歳以上ですが、柔軟で、動きもしなやかな方が大勢いらっしゃいます。太極拳だけでなく、運動を楽しむ環境があるということでしょうか。

連続ドラマ
中国語の連続ドラマを見るように中国語の先生に言われ、お掃除の方からも天津のニュース番組を紹介され、仕事の片手間に見るようにしています。字幕を見れば、内容が少し分かるようになってきました。あと半年、なるべく中国語をたくさん聞こうと思っています。

The theme of the eighth session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the former China People’s Daily newspaper correspondent to Tokyo, Zhang Yunfang was the Japan-China relationship over the last 35 years. 

We learned that Deng Xiaoping promoted economic policy and till now, many things have improved. We called Deng Xiaoping a rationalist. Zhang Yunfang introduced a side of Deng Xiaoping’s that we didn’t know. When Deng Xiaoping visited Japan, he thought he should borrow the Japanese way. When he saw a Japanese robot, he said to himself, “A robot doesn’t feel stress. I envy that.”

During institutional revolution, Deng Xiaoping was in misfortune. But, he was determined to make a comeback. He was very tenacious. Also, the Japanese business community people helped China, and that was very important.

Japanese speech contest

I helped my student write a draft for the speech contest. She got the “fighting spirit” prize.

She said that the improvised speech part was very difficult. I know that is difficult to say in my mind. I can say a very simple sentence in English. But, I can’t say even an easy simple sentence in Chinese. Slow and steady wins the race.

Stick Martial arts

I went to my taichi teachers school with K University students. It looked like the Japanese Edo period private school, “Terakoya.” Chinese Martial arts has a big following.

Kunqu opera

One of my students invited me to see the Kunqu opera. Some of them looked like  acrobatics. That was a basic Beijing opera. Her teacher was over 60 years, but very beautiful. I was fascinated with them. We were all charmed by their performance.

I was very surprised at both Martial arts and Kunqu opera players, because they had very flexible bodies. Even people over 60 can move gracefully. I think that they have a custom that they enjoy some spots in Chinese people.

TV program

My Chinese teacher recommend to me the Chinese drama. The cleaning lady also gave me an announcement to watch Tianjin news program. I can see that I saw Chinese captions. I would like to watch many Chinese programs.     

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