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2008年6月22日 (日)

最後の授業

夏目漱石・宮沢賢治・谷川俊太郎・相田みつを等々、お気に入りの詩や文章を紹介し、「世界平和」について、話しをしました。一番大切なことは、皆が平和に暮らすこと。そのためにどうしたらいいか、それを考えるのが人生だと思っています。

  夏目漱石は自分の作品を批判する文士についてこんなコメントを残しています。「他人は決して己以上遙かに卓絶したものではない又決して己以下に遙かに劣ったものではない。特別の理由がない人には僕は此の心で対して居る。」一九〇六年二月 森田草平へ宛てた書簡。また、「牛になることはどうしても必要です。~」芥川龍之介と久米正雄に送った漱石の書簡は私の座右の銘でもあります。
漱石が博士号を送られるというのを断ったというエピソードも話しました。森鴎外、森林太郎(もり りんたろう)の話も。
やっぱり素晴らしい人は肩書きにこだわらないのですよね。良く分かります。この2年、様々な方々にお目にかかってきましたが、皆さん、肩書きなどない私をとても大事にして下さいました。それは、お目にかかった方々が素晴らしい方々だったという証拠でもあると思います。
「雨ニモマケズ」のフレーズや「世界全体が幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉。
「はなののののはな はなのななあに なずななのはな なもないのばな」や「死んだ男の残したものは」に込められた谷川俊太郎の思い。
「幸せはいつも自分の心が決める」(相田みつを)の言葉。など、枚挙にいとまはありませんが、共通しているのは、信念を貫き、命を大切にする考え方だと思っています。

  ヒロシマについても話しをしました。南京からヒロシマへ。ヒロシマから南京へ。歩平先生がおっしゃったことも伝えました。
日中の架け橋にお互いがなること。その民間交流こそ、平和への希望であると信じています。

2年間授業でお目にかかった皆さん、つたない授業を受けて下さって、本当にありがとうございました。皆さんが下さった、たくさんの温かいメッセージを胸に、日本に帰ります。そして、いつかまた、皆さんと再会したいと思っています。その日まで、共にがんばりましょう。

HSK試験  

終わりました!正直、ホッとしました。せめて3級は受かりたいですが、分かりません。ただ、中国に来たときは、ほとんど何も分からなかったのに、この2年間で、何を言われているのか、少しは分かり、自分も中国語で答えられるようになったこと、特にこの2月以降は、自分なりに頑張ったと思っています。今では、この専家楼の方々と中国語でやりとりしています。試験勉強をやった御陰で、どういう点に注意して、今後勉強したらいいかも見えてきました。 Kさん、そして、Yさんに感謝しています。プッシュしてくれてありがとう!日本に帰っても、勉強を続けようと思います。
 そして、家族にも感謝。2年間も、単身赴任させてくれて、本当にありがとう!命の洗濯ができました。それに、お互いに冷静に見つめ合う時間もとれたと思います。応援ありがとう!

関東地方にも暴風雨警報

異常気象、そして地震。地球が悲鳴を上げているのかもしれません。所詮人類など小さな存在だと思い知らされることばかりです。とにかく、できることをできるときに、できるだけ。なんでもそうなんだと思います。皆さん気象や地震に警戒して下さいね。

太極拳

愛大の学生さんもいっしょに馬蹄湖で久しぶりに汗を流しました。皆さんとお目にかかるのは、久しぶりなのですが、温かく迎えて下さいます。本当に懐の広さを感じます。帰国後、ご近所でこんなことができるといいのですが…。

卒業式

朝6時集合。着物を着るので、早寝しますと書いて、寝たら、10時半過ぎに学生から電話。「着物はやめた方がいいとみんな(って誰?)が言っています。目立ちすぎて危険。反日感情を持っている人(学生)もいますから。」とのこと。でも、彼女と20分くらい話して、着物を着ているからって危害を加えるようなそんな学生がいるとは思えない。と答え、着物で行くことにしました。後で、少し悲しくなりました。日本語を学んでいる学生がそんな心配をしなくてはならないということは、彼らが日本語を学ぶ時、どれほど、周りとの関係で気を遣ったことか。最初に挨拶した通り、「日本語を学んでくれてありがとう。周総理の遺志をついで、一番手を組みたくない相手を理解しようと、手を差し伸べてくれたことに感謝します。」というのはやはり当たっていたのだと再認識しました。

5時50分には一人でグランドに入りました。学生はまだ外。ボチボチ集まってきたというところ。車が入る門のところで、工作証を見せて、「我是外国語学院日語老師。我想参加卒業典礼。進入可以ma?」と聞いたら、「可以!可以!」と快く入れてくれました。卒業証書を渡すテーブル横の席に早々に陣取って、待つこと1時間半。7時半にやっと始まり、開会。起立して国歌。(旗は無かったです。)全員呼名して全員壇に上がって、学長以下、学部長等いっぺんに20人くらいから証書を受け取るものでした。その数約5000人。挨拶、校歌(メロディーは「もみの木Christmas tree」)斉唱。終わったのは9時半。学生が心配していたようなことは何もなく、むしろ、挨拶をしてくれたり、一緒に写真を撮らせてと言われたり、良かったです。我が子をビデオやフィルムに収めようという親で、前はふさがり、見えない状態。

後で、過去にも「日本らしい行事を外でしないで。」と、学生に申し入れされ、たとえば、「お月見」をキャンセルしたなんてことがあったと聞きました。反日感情は根強いとのこと。日本でも中国嫌いな人のほうが多いですし、韓国に対しても、チマチョゴリを着ている学生がひどい目に遭うなんてこともあるわけですから、学生の心配は当然といえば当然かもしれません。

帰ってきてから、卒論を担当した学生と一緒に食事。去年と同じ、ステーキ。ニンニクチャーハン。思いがけずカマルとセドゥも途中から参加してくれて、楽しい思い出ができました。それから、模擬試験の結果を聞きに行きました。聴解は4級レベル。閲読は5級レベルでした。でも文法が全然ダメ。3級に4点足りず。それから二胡を買いに行きましたが、またしてフライング。楽器の上部にヒビがあったのです。担当の先生に、お琴を演奏した人だろう。HSKも受けたよね、知ってるよ、と言われました。明日また行くことになりました。

夜半から雷雨。今日でお別れ。それぞれの道に進む学生達。いつか天津で、そして日本でも会いましょう。

最後の試験

まず3年生は記念撮影。これでもう二度と会えなくなるかも知れない。そんな思いがこみ上げてきて、泣きそうになるのをこらえ、笑顔をつくっていました。黒板に「我愛你们!祝你们健康,幸福!谢谢!再见!欢迎你们来日本!」と書き、テストが終わって提出する一人一人に声をかけました。

19人

その3年生が、夜、花束とお皿を持って来てくれました。みんなで集合写真を撮ったあと、一人一人と撮影会。みんなありがとう!今まで最高12人がこの部屋に来たことがあったのですが、記録更新です。通算で855人。

本当にいい想いをさせて頂きました。皆さんが世界平和の架け橋となって下さることを切に願っております。

加害者

最近、日本では死刑が執行される件数が増えているという報道がありました。連続少女殺人事件を起こした犯人は、死刑執行まで、何の反省の言葉も被害者と家族に対して言わなかったというのを聞いて、ご家族の方々はどんな気持ちだろうと思いました。ひどい目にあった人に対して、謝罪の一言もなく、しかも、その加害者がのうのうとしていて、その上、周りが加害者をかばったり、何もなかったように扱ったりするのは、個人レベル、国家レベルであることですが、こんなことだから、平気で不正義がまかり通るのだ、と思います。

日本でも、南京虐殺はなかった、などと言う者がいるのは恥ずかしいことです。もちろん個人レベルでも、謝罪しない者は許されません。「良心の呵責」という言葉が通用しない人間もいるのでしょうか。中村哲さんのいう「人間は愛するに足る」というのは、ギリギリの生活をしている人々の、食べるための悪事を言うならわかりますが、人格破壊を起こしている人間には通用しないんじゃないか、とやはり思います。

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2008年6月16日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第12回 劉徳有 氏  

田中角栄元総理が日中国交回復後、ロッキード事件で逮捕。三木総理ではなく、福田総理の時になぜ平和条約を結べたのか、実は前日、南村先生からその時のお話しを少し伺っていたので、その全容が分かって、すっきりしました。周恩来総理を取り巻く人々の分析力の凄さ、そして、それをフルに活用した周総理の手腕。今の胡錦涛・温家宝体制も、周総理を踏襲する部分があること。歴史の節目に立ち会った、劉先生の分析。こんなお話しを伺えるのも最後となりました。
 しかし、10月21日午後4時から、NHK教育テレビで、劉先生ご出演の番組放映があるとのこと。 皆さんも是非ご覧下さい。 戻ってから、みんなで食事をしました。一年間良い勉強ができました。ありがとうございました。

端午節

農業暦で6月7日は端午の日。ドラゴンボートレースの日。今年から3日間の休日となりましたが、あいにく土曜日スタート。大型連休とはなりません。この日は、ちまきを食べる習慣があります。屈原が汨羅(べきら)川に身を投げた時、人々が魚に屈原の身体を食べさせないために投げ入れた等、いろいろ民間伝承があるようです。日本と違って、中国北方は甘いちまきです。中には山査子などの干した果物や餡が入っています。交流処がくれたちまきは、二種類。肉と卵の黄身がはいっている物も。これは月餅にも入っていたちょっと歯ごたえのある黄身。好き好きかという微妙な味。学生も持ってきてくれました。孫先生も、餡の入った餅米の主食を下さいました。

『万葉集』『古今集』『新古今集』そして俳句 

足早に駆け抜けるような状況。枕詞、序詞、縁語、掛詞などなど。修辞法の数々を復習。歌の成り立ち。特に防人の歌や東歌は、何故悲しい別れの歌なのかを説明しました。 古代から、人はなぜ争うのか。権力者の野望のために、犠牲になるのはいつも一般庶民です。我々はもっと賢くならなくてはなりません。そして、民族の違いをも超えて、仲良くならなければなりません。それがお互いのためなのですから。

HSK模擬試験 

二週間前よりは分かるようになった気がします。でも、当てずっぽうも一杯!本番まであと一週間。接続詞(関連詞)のセットをちゃんと覚えないとダメです。単語力が足りないのはもう仕方ありませんが、点のとれるところで、確実に答えられる問題を最低10問くらい増やさないと。 でも、日本で受けたら8000円もかかるし、受験会場も遠いし、試験は午後の眠くなる時間帯だし。Kさんに感謝します!やっぱりうけることにしてよかったです。もし、受けなかったら、今頃ダラダラとしていたかも知れません。充実しまくってます。さすがに今日はリラックスタイムにしました。たまっていたメールの返信や、このブログ、そして、「篤姫」「中国激流」も見ました。張りすぎた糸は切れやすいですから。などと言い訳。明日からまたがんばります。

太極拳友

イングランドから来ていたバーバラさんが帰国するので、お別れ会をしました。彼女の明るさには本当に救われます。学生から丑年の自筆の額をもらったと、見せてくれました。メッセージもすばらしかったです。イングランドにも行きたいです。彼女が自宅に泊めてくれるそうです。初めてのレストラン。ニュージーランド人のジムさんの中国語が通じるところがすごい。ピンイン、声調、共に、明らかに違うのに、分かってもらえるなんて。私なんて中国人だと思われるから、正確に発音しないと「何?」って最初は言われちゃいます。外国人と分かると、人によって聞き取ろうとしてくれますが。料金は、みんなでワリカン。こういうのもいいなって思いました。

難しいのに。孫先生がビデオを持ってきてくださって、ダビングしました。やー難しい。大学生の中国武術全国大会のビデオも見せて下さいました。雑伎団と同じくらい、早い。すごい。こんなことができちゃう人がこんなに大勢いるなんて。日本の空手がスローモーションのように感じます。身体の柔らかいこと。ジャンプも高いし、着地もぶれないし。オリンピック選手は、この人達のさらに上をいっていると思うと恐ろしいくらいです。馬馬虎虎。私の太極拳は体力の維持のため。「気」を高めるためのもの。楽しめたらいいと思うのですが、やっぱり武闘家に習っているので、そうも行きません。
  専家楼のお掃除の方に、太極拳を誉められました。冗談に「習いたい」と言われました。遠目では、少し様になってきたのでしょうか?でも、越学越難。やればやるほど難しいです。細かいところをチェックされます。HSKが終わったら、太極拳にシフトします。帰国後、クラブを立ち上げられるといいのですが。

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2008年6月 6日 (金)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第11回 南村志郎 神奈川県日中友好協会副会長

南村先生も四川大地震のお悔やみから始められました。

そして、周恩来総理とのエピソードをお話し下さいました。周総理の「相手が分かる言葉で、分かるような内容を話さなくてはダメ。」というお考えをご紹介下さいました。そして、周総理に会ったみんなが、周総理に魅了されたとのこと。その中には右翼の人もいたということ。

 人的往来の中身についての吟味の必要性、青年交流では、「行かなければ分からないこと。」を分かって欲しいこと。そのためにホームスティーは有効な手段であるということ。

 旅行社のガイドの実態。「ガイドは政治家であれ!」つまり、中国を好きにして帰さなければならないというお話し。これは日本語教師も同じで、日本を好きになってもらわねば、その価値はないということだと思います。本当に身につまされるお話しで、肝に銘じたいと思います。

 科技大には着物で行ったので、学生記者の方に、写真を撮らせて欲しいと言われました。

『奥の細道』

「夏草やつはものどもが夢の跡」

学生が引き上げた教室で、その残像を心に浮かべながら、あと数回で授業も終わり、そして二年間の任期が終わり、中国を去る日が来ることに思いが至りました。

試験も提出し、着々といろいろなことが進行していきます。合戦の跡を、夏草の生い茂る大地で芭蕉が感じたように、様々なシーンを思い浮かべては、感慨にふけるのは古今東西を問わないのだと思います。次週はいよいよ『万葉集』を始めとする和歌や俳句の学習です。

HSK

とうとう、馬先生の授業が終わりました。20課まで行き着いてしまったのです。寂しいです。土曜日、Kさんから冗談半分に「HSKを受けてみたらどうですか。」と言われ、中国人学生にも、「先生はいつも私達に、チャンスがあったら、何でも挑戦しなさいと仰っていますから、受けたらいかがでしょう。」と言われ、引っ込みがつかなくなりました。でも、あとわずかしか時間がありません。言われた日に初めて過去問を購入。やってみたら、惨憺たる結果でした。今まで、他人事で、全く考えていなかったので、ギョッとなっています。無謀ですが、このままだと中国語の勉強を全くしなくなりそうなので、取りあえず3級(一番下)を目指して受験することにしました。申し込みにKさんも付き合って下さって、模擬試験まで受けることになり、なんだか妙な気分です。副詞の位置、接続詞、介詞など、もっと、ちゃんと意識して勉強すべきだったと反省。まあ、でも、そういうことを勉強する必要があることが分かっただけでも良かったと思います。

チケット購入

7月20日(日)、北京発成田行きの昼便。朝7時半くらいにここを出発することにしました。

約3000元也。4年生は6月23日に卒業式。朝5時くらいから8時まで。

別れの朝を想像したくありません。絶対に泣くと思います。

 専家楼の受付の女性からも、別れを惜しむ言葉を頂きました。皆さんそう思って下さっていると言って下さいました。また、天津に来て下さいとも言われて、もちろん!と答えました。

 天津は私の第二の故郷となりました。

交流処の写真撮影会と会食

外国人教師が周総理の銅像の前で集合写真。私は着物を着ました。その後、少し離れたレストランでお食事会。ほとんどがアメリカ人。ドイツ人2人、日本人2人。会話はもちろん英語。しばらく使っていなかったので、すぐに浮かんで来なかったのですが、それでも、楽しめました。いろいろお世話になった、退職した陳元専家科科長も参加。「中国での滞在はどうでしたか?」と聞かれ、「天津は好きだし、学生も優秀で、大変楽しかったです。」とお答えしました。Kさんに写真を撮っていただいて、早速、皆さんにプリントし、データが必要ならメールを下さるように一筆添えてお配りしました。すぐに、インディアナ大学卒のこの間知り合ったばかりの先生からメールをもらいました。まさか、中国でインディアナ州の関係者と会うなんて思ってもいませんでした。インディアナもまた行きたいです。

そうそう、少し前にChristineからメールをもらって、さくらちゃんの映像を見ました。もう、かわいくて仕方ないのが良く分かります。また、カリフォルニアも行きたいです。

ビジター

この部屋に来て下さった方々は、2年間で延べ、820人になろうとしています。帰国していなかったトータル1ヶ月、また、旅行や研修でいなかった日、学生の休業中を考えると、実質、20ヶ月くらいでしょうか。皆さんのおかげで、寂しい思いをすることなく、思い出一杯の日々を過ごすことが出来ました。本当に感謝感謝!です。

今日来た学生に、「先生は観光地で、中国のどこが一番良かったですか?」と聞かれ、「九サイ溝」と答えました。しかし、今は四川大地震で、大変なことになっていると思います。一日も早い復興を祈らずにはいられません。復興したら、必ず家族と一緒に行きたいと思っています。

そして、本当はこの夏に行こうと思っていた、「都江堰」にも行きたいです。今,私は、「I Love China中国加油!」というTシャツを着ています。多くの人が、四川復興支援の思いを抱いてこのTシャツを着ています。

太極拳

とうとう扇も始めることになりました。最後の最後に、こんなフルコースをやっていいものか、とも思いますが、がんばるしかありません。私は体育苦手なのに~。こんなに毎日のように運動をするなんて考えてもいませんでした。でも、帰国したら、できるかどうか不安です。

昼休みか早朝、やるしかないかしら。放課後は会議ばかりとのことですから。それが一番心配になってきました。少なくても年に一回は天津に来て、李先生に教えて頂かないと、さびてしまいそう。

前に、Yさんの彼が、中国剣法の先生を訪ねて中国に習いに行ったという話を聞いていましたが、その気持ち、今は良く分かります。やはり、中国の太極拳を始め、スポーツの裾野の広さはすごいです。日本の13倍から15倍の人口で、若い人も多いですから、当然なのでしょう。

良き師、良き友、良き学生に出会うことができ、私は幸せ者だと思います。

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2008年6月 2日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第10回 佐藤嘉恭 元駐中国日本大使

  四川大地震のお悔やみから始められた先生は、胡錦涛国家主席の訪日を踏まえ、今後の日中間の新たな局面についてご講義下さいました。
① 戦略的互恵関係のついて。長期にわたる友好こそ、両国の唯一の選択である、ということ。
② 未来志向について。早稲田大学での胡主席の御講演で、歴史を記憶しているのは平和を守るためであるという点について触れられました。
③ 協力のパートナーについて。お互いがお互いを支持し、積極的に評価をすることが大切であるという点について言及がありました。
そのために、対話と協力が不可欠であり、両国首脳が交互に毎年訪問するということ。国民的レベルでの人的交流、特に青少年の交流について、2008年は重要な年であるというお話しがありました。また、環境・エネルギー分野での積極的交流の重要性を強調されました。また、宮中晩餐会で、長い友情は両国の財産であるという認識が、天皇と胡主席の話題になったというエピソードなどもお話し下さいました。 
2005年の反日デモについて、学生から質問がありましたが、それはもう、両国民は乗り越えたのではないか、とのお答えでした。
 メディアを通してしか知り得ない、こういった方々の人となりや発言に、いろいろ考えさせられることがあります。

『更級日記』

この作品には一つの思い入れがあります。教育実習で母校の高校三年生に教えたのが、まさにこの作品でした。この時に初めて助動詞の活用表に細かい訳を併記したものを作り、恩師小林國雄先生にお見せしたのが、つい昨日のようです。それまで、日本中のどの教科書にもそういった表がなかったのです。また、市販されていた文法書にもそういったものはありませんでした。その後、高校の教員となり、出版社数社に「著作権を放棄するので、掲載してくれるように。」と依頼し、今では逆に数社を除いて、殆どがその形態の活用表を掲載しています。
そして、今、古典文法のホームページはアクセス数18万件に届こうという勢いです。これも小林國雄先生の御著書をすべてアップするということができたからこそ、と感謝申し上げています。ドイツから中国に留学してきた日本人学生の方にも、「ドイツで見ていました。」と言われてびっくりしました。皆さんが活用して下さって、本当に嬉しい限りです。

最後のお食事会

料理の得意な学生に、中国料理を作ってもらい、私は、前からお約束していた、ホットケーキを用意したり、お寿司を買ってきたり、みんな忙しくて、人数は少なかったけれど、楽しく過ごしました。こうしてみんなで食事を作るのは最後です。
この二年間が走馬燈のように巡ります。4年生とは特にいろいろな思い出があって、感無量です。日本に留学が決まっている学生、大学院に進学が決まっている学生、天津で就職を探す予定の学生、みなそれぞれですが、中日の架け橋となって活躍して欲しいと願って止みません。

アフリカンウイーク

  天津在住のアフリカからの留学生が一同に会して、ファッションショーやダンス、料理などを披露する会に、招待されました。なにしろ、学生会の会長、ザクと主要ポストにいるカマル、それに前会長のセドゥの3人は、私の日本語の学生であり友人ですから。彼らがいかにすごい人達だったのか、本当に思い知らされました。
食事会では、いつも上座に座らせてくれて、天津大学の教授や他のゲストと同じように案内をしてくれるという厚遇を受け、恐縮してしまいました。カマルもセドゥも7月に帰国。でも私達の友情は永遠です。いつか、マリにもコモロにも、ナイジェリアにも行きたいです。本当にありがとう!!

太極拳

久しぶりに馬蹄湖前に行きました。剣も扇もやってみました。日本人留学生と3人で参加。皆さん、剣や扇を持っていない学生に貸して下さるので、有り難いです。愛大生や欧米系の留学生に教えている太極拳の先生が、ちょっとだけ参加を認めて下さったので、一緒にやってみました。そして、愛大の方にも、私達と一緒にやってみませんか、と誘いました。彼女たちは運動神経もいいし、身体も柔軟で、身のこなしきれいです。帰国しても、きっとできるだろうな、と眩しく思っています。

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