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2008年7月25日 (金)

ご購読ありがとうございました。

日本語

担当していた教科の教科書編纂者と、校正のお話しをし、今後の教科書について、意見を述べさせて頂きました。今後は著作権の問題でいろいろ変わってくるのだろうと思いますが、語学教科書は、最新情報と恒久的真理、整った文体や規範となる文章、学習者のレベルに合っている等、条件が有りますから、難しいと思いました。また、ワークも、レベルにあったもの、特に1級試験をイメージしているので、その学習を効率的に進めるためのものが必要であり、例文も慎重に作成する必要が有ります。今後も継続的に改訂が必要な教材と言えるでしょう。

日本語科のY先生、Z先生と、新任のK先生(母校後輩)および門倉先生の教え子のMさんと、ここで最後の学習会を行ないました。今後更にアカデミックな学習会になりそうで、続けてきてよかったと思っています。

残務整理

多くの学生が、学習内容はもちろん、「平和の架け橋となる。」「幸せはいつも自分の心が決める。」といった私のメッセージをしっかりと受け止め、「日本人の見方が変わった。」と、私の人格について認めてくれるメッセージを残してくれました。成果は予想以上に大きいものだったと自信を持って言えます。送り出して下さった多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げたいです。また、今後も日中両国の友好のために、尽力したいと考えています。最後の最後まで来客が絶えず、延べ900人近い学生や先生方、友人が訪れてくれたことに感謝したいです。また、専家楼のスタッフの方々とも親しくなり、またすぐ戻るようにと言われ、本当に別れがたく、素晴らしい人間関係を構築できたことにも感謝したいです。中国人だけでなく、様々な国々の方々とも交流できたことは得難い経験でした。帰国後も、様々なところでこの二年間の経験を生かしていきたいと思います。

HSK

4級合格しました。3級が一番下です。総得点数は5級レベルでしたが、聴解が3級レベル。読解は7級レベルでした。実質10日の受験勉強にしては上出来か、と思います。

太極扇48式

夜討ち朝駆け。仕舞には、膝にテーピングしないと動けなくなるまで、特訓が続きました。お陰様で、なんとか最後まで行き着きました。しかし自分一人でやるのはなかなか難しいことです。

継続は力なりなんですが、厳しい~

最後の旅行

週末を利用して、長城の東の端、秦皇島を訪れました。行きの汽車は席がなく、食堂車に座ったのですが、外見は中国人と思われた私が、英語で会話し、日本人と分かると、鈴なりの人だかりが出来、注目されました。前に座っていたのは、人民軍空軍の整備士という男性。私の訪中の理由や、日中関係について質問を受けました。他の人からも質問を受けました。カタコトの中国語も交え、英語は同行してくれた太極拳の先生に通訳していただきながら会話をしました。

我々は地球人であり、私がここにきたのは、平和と友好のためであること。ハルピンでは、731部隊を、南京では、七〇周年記念式典の国際会議に参加したことも伝えました。そして、日本を紹介し、帰国後、中国の実態を紹介し、両国人民同士の理解を深めるために努力したいのだと話しをすると、退役軍人だという男性が、下車する時エスコートしてくれると言い出したのです。それもそのはず、立錐の余地もないほど、人と荷物でごった返す車内を、二両分移動することがいかに困難であるか、思い知ることになりました。彼は、前を空けるように叫びながら、私達を先導してくれたのです。車外に出て、握手を交わしました。そして、食堂車に座っていた整備士の男性に、外から手を振り、見送りました。本当に有り難いことです。一日本人として、一地球人として、私の一挙手一投足が、彼らの共感を得たことを大変嬉しく思いました。

帰国

いよいよ帰国という前日、アフリカ人の学生が尋ねてきてくれました。もう二階のフロアーには私とドイツ人の女性しか残っていません。私が、彼女に、写真を撮ってくれるように頼むと、「あなたはいろいろな国の人とお友達なのね。どうやって友達になったの?」と聞かれました。彼女には、何度も、来訪者との写真を撮ってもらうことをお願いしてきたからです。

チャンスがあるごとに、様々なところに出向き、気軽に声をかけられる雰囲気を持っていたことが、その理由だろうと答えました。外出しても、学内で道を聞かれない時は少なかったのも、その証拠だろうと思います。

帰国の朝、学生と太極拳の先生方が見送りに来て下さいました。泣きついてくれた学生がいたことは、本当に教師冥利でした。成田に降りたった時も、二胡を棚から下ろす時、手伝ってくれた青年が、私を中国人と思って、声をかけてきて、パスポートをチェックする時にも、どこに並ぶのか教えました。これが出張最後の中国語での会話となりました。

二胡は、中国ではノーチェック。日本でも、ノーチェックに等しい状況。あの「麻煩」さは、一体、なんだったんでしょうか。それとも、パスポートから、すでに手続きしている情報が分かるのでしょうか。いずれにしても、無事に通関できて良かったです。

この二年間様々な出会いがありました。日本語を教えに行ったのですが、逆に、教えられたことのほうが多い、充実した二年間でした。機会があれば、「戻っておいで。」と多くの人々に言われた言葉通り、是非、第二の故郷天津に「戻り」たいと思っています。

転勤先には在県中国人学生も通っており、中国語の授業もあるところ。また、中国語が堪能な方もいらっしゃいます。引き続き、中国語の勉強をやっていこうと思っています。

天津日記は今回を持って終了と致します。ご購読、ありがとうございました。

写真だけは未整理でしたで、これからもUP致します。ご高覧下さい。

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2008年7月10日 (木)

カウントダウン

採点終了  

 みんなすごくよくがんばってくれました。受験者は全員合格。しかも、ほとんどが70点以上。80点、90点以上も大勢いました。古典は100点も出ました。よかった!! ラストメッセージ  皆さんの書いて下さった感想を読むと涙が出てしまいます。 私が一番伝えたかったことが、ちゃんと伝わったのだ、という実感が湧いてきます。 「平和の架け橋」となりたい、と多くの学生が書いてくれました。また、「幸せはいつも自分の心が決める」という言葉を一生忘れない、と書いてくれた学生も大勢いました。 日本人に対するイメージが変わった、とも書いてくれました。私の授業準備、真面目さ、人間性も評価してくれました。本当に教師冥利です。 本当に本当にみんな、ありがとう!! あなた達との出会いは、私の宝であり、夢でもあります。 若い世代の皆さんこそが、平和でよりよい地球を築いていく力です。 どうぞお元気で、活躍なさって下さい。私も同じ空の下から、いつも応援していますから。

国境の町

 週末に、朝鮮民主主義人民共和国との国境、図門に行ってきました。橋を渡れば、対岸は別の国。というsituationが初めてだったので、不思議な感じがしました。国境を警備する中国兵も少しピリピリしているかんじ。私のことは中国人だと思っているようでした。橋の1/3のところに線があって、そこから先は行けません。兵士が観光客が行くたびについてきます。誰もそこまで行かなければ、手前の検問所で待機しています。その橋に行くのに一人20元。そこはしっかり、有料。

長白山天池

 延吉市から、安図を経由したので、4時間の長距離バス。そこから更にシャトルバス、そして四駆に乗り換えて頂上へ。運転が荒いと聞いてはいたものの、やはり、へたなアトラクションよりすごかったです。 快晴とはいきませんでしたが、前日も翌日も雨だったにしては、日が差し、霧がかかっているものの、湖は見えました。なんでも、一回目で見られる人は1/3しかいないとのこと。そして、一回目に見られた人は、以後、ずっと運が良いと言われているそうです。 私はいわゆる「晴れ女」で、どこに行っても、自分が乗り物から降りると晴れたり、雨があがったり、いつもそんな感じなので、今回も、きっと見られると思っていました。 同行した、孫先生、ニュージーランド人の英語の先生、孫先生の知人のお爺さん。そして、私の学生、5人は、ラッキー!でした。

タクシー

 天津臨時駅の降り口が二つになって、タクシーに乗る人は、切符も見せずに、タクシー乗り場に直行できるようになっていました。でも、タクシーに乗るのが、また、一苦労。乗ったタクシーの運転手が、たちが悪かったのです。まず、場所を告げると、もう一人お客を拾おうとしました。ノロノロ走って客引きをしそうだったので、「快!快!」と叫びました。そして、エアコンが壊れていると嘘をついて、窓を開けて走ったのです。でも渋滞に突っ込んで、もう我慢出来ない状態。私が「自分でやる!」と言って、スイッチを押そうとしたら、彼女が自分でやって見せました。「ほら!私だって暑いのよ!」と言い出す始末。しかし、車はトヨタの新車です。そんなに簡単にエアコンが故障するはずがありません。風量のスイッチを入れるように指示。動き出しました。やっぱり嘘。更に「早く言ってくれればいいのに。」という始末。渋滞は分かっていたのにわざと突っ込み、迂回路を過ぎてから、「最初に言わないからだ。」と言うし。乗った途端に急いでいると言ったはず。こんなことはしょっちゅうです。もちろんとてもいいドライバーもいます。どこの国でも、何人(じん)でも、いい人もいればそうではない人もいる。すべてはパーソナルな問題。どうしてこんな人生にしてしまったのか、彼女の人生、先行きの暗さを感じました。

太極拳

 48式の扇の特訓。毎朝やることに。あと一週間を切りました。難しい!!

荷物整理

 結局、また、SAL便で2箱送ることになってしまいました。学生に手伝ってもらって、本当に助かりました。一緒に日本食を食べて、別れを惜しみました。

二胡

  書類がやっと整いました。なんて煩雑なんでしょう。とにかく、驚きの連続でした。

着付け

 フロントの女性が着物を着たいというので、最後まで送らずにいました。着付けに長時間かかると話したら、びっくりしていました。ほとんど中国語で会話できるようになりました。

ストレス解消

 やっと静かな日がやってきました。(2008年4月6日に書いた記事の人物)日本の某G大学で博士をとったことが自慢の、アカハラ・セクハラ男が帰国したのです。もうチェーンをかけなくても暮らせます。日本人であることに誇りを持てる日が来ました。あと一週間ですが、精神的に本当に楽になりました。

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