2008年7月25日 (金)

ご購読ありがとうございました。

日本語

担当していた教科の教科書編纂者と、校正のお話しをし、今後の教科書について、意見を述べさせて頂きました。今後は著作権の問題でいろいろ変わってくるのだろうと思いますが、語学教科書は、最新情報と恒久的真理、整った文体や規範となる文章、学習者のレベルに合っている等、条件が有りますから、難しいと思いました。また、ワークも、レベルにあったもの、特に1級試験をイメージしているので、その学習を効率的に進めるためのものが必要であり、例文も慎重に作成する必要が有ります。今後も継続的に改訂が必要な教材と言えるでしょう。

日本語科のY先生、Z先生と、新任のK先生(母校後輩)および門倉先生の教え子のMさんと、ここで最後の学習会を行ないました。今後更にアカデミックな学習会になりそうで、続けてきてよかったと思っています。

残務整理

多くの学生が、学習内容はもちろん、「平和の架け橋となる。」「幸せはいつも自分の心が決める。」といった私のメッセージをしっかりと受け止め、「日本人の見方が変わった。」と、私の人格について認めてくれるメッセージを残してくれました。成果は予想以上に大きいものだったと自信を持って言えます。送り出して下さった多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げたいです。また、今後も日中両国の友好のために、尽力したいと考えています。最後の最後まで来客が絶えず、延べ900人近い学生や先生方、友人が訪れてくれたことに感謝したいです。また、専家楼のスタッフの方々とも親しくなり、またすぐ戻るようにと言われ、本当に別れがたく、素晴らしい人間関係を構築できたことにも感謝したいです。中国人だけでなく、様々な国々の方々とも交流できたことは得難い経験でした。帰国後も、様々なところでこの二年間の経験を生かしていきたいと思います。

HSK

4級合格しました。3級が一番下です。総得点数は5級レベルでしたが、聴解が3級レベル。読解は7級レベルでした。実質10日の受験勉強にしては上出来か、と思います。

太極扇48式

夜討ち朝駆け。仕舞には、膝にテーピングしないと動けなくなるまで、特訓が続きました。お陰様で、なんとか最後まで行き着きました。しかし自分一人でやるのはなかなか難しいことです。

継続は力なりなんですが、厳しい~

最後の旅行

週末を利用して、長城の東の端、秦皇島を訪れました。行きの汽車は席がなく、食堂車に座ったのですが、外見は中国人と思われた私が、英語で会話し、日本人と分かると、鈴なりの人だかりが出来、注目されました。前に座っていたのは、人民軍空軍の整備士という男性。私の訪中の理由や、日中関係について質問を受けました。他の人からも質問を受けました。カタコトの中国語も交え、英語は同行してくれた太極拳の先生に通訳していただきながら会話をしました。

我々は地球人であり、私がここにきたのは、平和と友好のためであること。ハルピンでは、731部隊を、南京では、七〇周年記念式典の国際会議に参加したことも伝えました。そして、日本を紹介し、帰国後、中国の実態を紹介し、両国人民同士の理解を深めるために努力したいのだと話しをすると、退役軍人だという男性が、下車する時エスコートしてくれると言い出したのです。それもそのはず、立錐の余地もないほど、人と荷物でごった返す車内を、二両分移動することがいかに困難であるか、思い知ることになりました。彼は、前を空けるように叫びながら、私達を先導してくれたのです。車外に出て、握手を交わしました。そして、食堂車に座っていた整備士の男性に、外から手を振り、見送りました。本当に有り難いことです。一日本人として、一地球人として、私の一挙手一投足が、彼らの共感を得たことを大変嬉しく思いました。

帰国

いよいよ帰国という前日、アフリカ人の学生が尋ねてきてくれました。もう二階のフロアーには私とドイツ人の女性しか残っていません。私が、彼女に、写真を撮ってくれるように頼むと、「あなたはいろいろな国の人とお友達なのね。どうやって友達になったの?」と聞かれました。彼女には、何度も、来訪者との写真を撮ってもらうことをお願いしてきたからです。

チャンスがあるごとに、様々なところに出向き、気軽に声をかけられる雰囲気を持っていたことが、その理由だろうと答えました。外出しても、学内で道を聞かれない時は少なかったのも、その証拠だろうと思います。

帰国の朝、学生と太極拳の先生方が見送りに来て下さいました。泣きついてくれた学生がいたことは、本当に教師冥利でした。成田に降りたった時も、二胡を棚から下ろす時、手伝ってくれた青年が、私を中国人と思って、声をかけてきて、パスポートをチェックする時にも、どこに並ぶのか教えました。これが出張最後の中国語での会話となりました。

二胡は、中国ではノーチェック。日本でも、ノーチェックに等しい状況。あの「麻煩」さは、一体、なんだったんでしょうか。それとも、パスポートから、すでに手続きしている情報が分かるのでしょうか。いずれにしても、無事に通関できて良かったです。

この二年間様々な出会いがありました。日本語を教えに行ったのですが、逆に、教えられたことのほうが多い、充実した二年間でした。機会があれば、「戻っておいで。」と多くの人々に言われた言葉通り、是非、第二の故郷天津に「戻り」たいと思っています。

転勤先には在県中国人学生も通っており、中国語の授業もあるところ。また、中国語が堪能な方もいらっしゃいます。引き続き、中国語の勉強をやっていこうと思っています。

天津日記は今回を持って終了と致します。ご購読、ありがとうございました。

写真だけは未整理でしたで、これからもUP致します。ご高覧下さい。

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2008年7月10日 (木)

カウントダウン

採点終了  

 みんなすごくよくがんばってくれました。受験者は全員合格。しかも、ほとんどが70点以上。80点、90点以上も大勢いました。古典は100点も出ました。よかった!! ラストメッセージ  皆さんの書いて下さった感想を読むと涙が出てしまいます。 私が一番伝えたかったことが、ちゃんと伝わったのだ、という実感が湧いてきます。 「平和の架け橋」となりたい、と多くの学生が書いてくれました。また、「幸せはいつも自分の心が決める」という言葉を一生忘れない、と書いてくれた学生も大勢いました。 日本人に対するイメージが変わった、とも書いてくれました。私の授業準備、真面目さ、人間性も評価してくれました。本当に教師冥利です。 本当に本当にみんな、ありがとう!! あなた達との出会いは、私の宝であり、夢でもあります。 若い世代の皆さんこそが、平和でよりよい地球を築いていく力です。 どうぞお元気で、活躍なさって下さい。私も同じ空の下から、いつも応援していますから。

国境の町

 週末に、朝鮮民主主義人民共和国との国境、図門に行ってきました。橋を渡れば、対岸は別の国。というsituationが初めてだったので、不思議な感じがしました。国境を警備する中国兵も少しピリピリしているかんじ。私のことは中国人だと思っているようでした。橋の1/3のところに線があって、そこから先は行けません。兵士が観光客が行くたびについてきます。誰もそこまで行かなければ、手前の検問所で待機しています。その橋に行くのに一人20元。そこはしっかり、有料。

長白山天池

 延吉市から、安図を経由したので、4時間の長距離バス。そこから更にシャトルバス、そして四駆に乗り換えて頂上へ。運転が荒いと聞いてはいたものの、やはり、へたなアトラクションよりすごかったです。 快晴とはいきませんでしたが、前日も翌日も雨だったにしては、日が差し、霧がかかっているものの、湖は見えました。なんでも、一回目で見られる人は1/3しかいないとのこと。そして、一回目に見られた人は、以後、ずっと運が良いと言われているそうです。 私はいわゆる「晴れ女」で、どこに行っても、自分が乗り物から降りると晴れたり、雨があがったり、いつもそんな感じなので、今回も、きっと見られると思っていました。 同行した、孫先生、ニュージーランド人の英語の先生、孫先生の知人のお爺さん。そして、私の学生、5人は、ラッキー!でした。

タクシー

 天津臨時駅の降り口が二つになって、タクシーに乗る人は、切符も見せずに、タクシー乗り場に直行できるようになっていました。でも、タクシーに乗るのが、また、一苦労。乗ったタクシーの運転手が、たちが悪かったのです。まず、場所を告げると、もう一人お客を拾おうとしました。ノロノロ走って客引きをしそうだったので、「快!快!」と叫びました。そして、エアコンが壊れていると嘘をついて、窓を開けて走ったのです。でも渋滞に突っ込んで、もう我慢出来ない状態。私が「自分でやる!」と言って、スイッチを押そうとしたら、彼女が自分でやって見せました。「ほら!私だって暑いのよ!」と言い出す始末。しかし、車はトヨタの新車です。そんなに簡単にエアコンが故障するはずがありません。風量のスイッチを入れるように指示。動き出しました。やっぱり嘘。更に「早く言ってくれればいいのに。」という始末。渋滞は分かっていたのにわざと突っ込み、迂回路を過ぎてから、「最初に言わないからだ。」と言うし。乗った途端に急いでいると言ったはず。こんなことはしょっちゅうです。もちろんとてもいいドライバーもいます。どこの国でも、何人(じん)でも、いい人もいればそうではない人もいる。すべてはパーソナルな問題。どうしてこんな人生にしてしまったのか、彼女の人生、先行きの暗さを感じました。

太極拳

 48式の扇の特訓。毎朝やることに。あと一週間を切りました。難しい!!

荷物整理

 結局、また、SAL便で2箱送ることになってしまいました。学生に手伝ってもらって、本当に助かりました。一緒に日本食を食べて、別れを惜しみました。

二胡

  書類がやっと整いました。なんて煩雑なんでしょう。とにかく、驚きの連続でした。

着付け

 フロントの女性が着物を着たいというので、最後まで送らずにいました。着付けに長時間かかると話したら、びっくりしていました。ほとんど中国語で会話できるようになりました。

ストレス解消

 やっと静かな日がやってきました。(2008年4月6日に書いた記事の人物)日本の某G大学で博士をとったことが自慢の、アカハラ・セクハラ男が帰国したのです。もうチェーンをかけなくても暮らせます。日本人であることに誇りを持てる日が来ました。あと一週間ですが、精神的に本当に楽になりました。

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2008年6月22日 (日)

最後の授業

夏目漱石・宮沢賢治・谷川俊太郎・相田みつを等々、お気に入りの詩や文章を紹介し、「世界平和」について、話しをしました。一番大切なことは、皆が平和に暮らすこと。そのためにどうしたらいいか、それを考えるのが人生だと思っています。

  夏目漱石は自分の作品を批判する文士についてこんなコメントを残しています。「他人は決して己以上遙かに卓絶したものではない又決して己以下に遙かに劣ったものではない。特別の理由がない人には僕は此の心で対して居る。」一九〇六年二月 森田草平へ宛てた書簡。また、「牛になることはどうしても必要です。~」芥川龍之介と久米正雄に送った漱石の書簡は私の座右の銘でもあります。
漱石が博士号を送られるというのを断ったというエピソードも話しました。森鴎外、森林太郎(もり りんたろう)の話も。
やっぱり素晴らしい人は肩書きにこだわらないのですよね。良く分かります。この2年、様々な方々にお目にかかってきましたが、皆さん、肩書きなどない私をとても大事にして下さいました。それは、お目にかかった方々が素晴らしい方々だったという証拠でもあると思います。
「雨ニモマケズ」のフレーズや「世界全体が幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉。
「はなののののはな はなのななあに なずななのはな なもないのばな」や「死んだ男の残したものは」に込められた谷川俊太郎の思い。
「幸せはいつも自分の心が決める」(相田みつを)の言葉。など、枚挙にいとまはありませんが、共通しているのは、信念を貫き、命を大切にする考え方だと思っています。

  ヒロシマについても話しをしました。南京からヒロシマへ。ヒロシマから南京へ。歩平先生がおっしゃったことも伝えました。
日中の架け橋にお互いがなること。その民間交流こそ、平和への希望であると信じています。

2年間授業でお目にかかった皆さん、つたない授業を受けて下さって、本当にありがとうございました。皆さんが下さった、たくさんの温かいメッセージを胸に、日本に帰ります。そして、いつかまた、皆さんと再会したいと思っています。その日まで、共にがんばりましょう。

HSK試験  

終わりました!正直、ホッとしました。せめて3級は受かりたいですが、分かりません。ただ、中国に来たときは、ほとんど何も分からなかったのに、この2年間で、何を言われているのか、少しは分かり、自分も中国語で答えられるようになったこと、特にこの2月以降は、自分なりに頑張ったと思っています。今では、この専家楼の方々と中国語でやりとりしています。試験勉強をやった御陰で、どういう点に注意して、今後勉強したらいいかも見えてきました。 Kさん、そして、Yさんに感謝しています。プッシュしてくれてありがとう!日本に帰っても、勉強を続けようと思います。
 そして、家族にも感謝。2年間も、単身赴任させてくれて、本当にありがとう!命の洗濯ができました。それに、お互いに冷静に見つめ合う時間もとれたと思います。応援ありがとう!

関東地方にも暴風雨警報

異常気象、そして地震。地球が悲鳴を上げているのかもしれません。所詮人類など小さな存在だと思い知らされることばかりです。とにかく、できることをできるときに、できるだけ。なんでもそうなんだと思います。皆さん気象や地震に警戒して下さいね。

太極拳

愛大の学生さんもいっしょに馬蹄湖で久しぶりに汗を流しました。皆さんとお目にかかるのは、久しぶりなのですが、温かく迎えて下さいます。本当に懐の広さを感じます。帰国後、ご近所でこんなことができるといいのですが…。

卒業式

朝6時集合。着物を着るので、早寝しますと書いて、寝たら、10時半過ぎに学生から電話。「着物はやめた方がいいとみんな(って誰?)が言っています。目立ちすぎて危険。反日感情を持っている人(学生)もいますから。」とのこと。でも、彼女と20分くらい話して、着物を着ているからって危害を加えるようなそんな学生がいるとは思えない。と答え、着物で行くことにしました。後で、少し悲しくなりました。日本語を学んでいる学生がそんな心配をしなくてはならないということは、彼らが日本語を学ぶ時、どれほど、周りとの関係で気を遣ったことか。最初に挨拶した通り、「日本語を学んでくれてありがとう。周総理の遺志をついで、一番手を組みたくない相手を理解しようと、手を差し伸べてくれたことに感謝します。」というのはやはり当たっていたのだと再認識しました。

5時50分には一人でグランドに入りました。学生はまだ外。ボチボチ集まってきたというところ。車が入る門のところで、工作証を見せて、「我是外国語学院日語老師。我想参加卒業典礼。進入可以ma?」と聞いたら、「可以!可以!」と快く入れてくれました。卒業証書を渡すテーブル横の席に早々に陣取って、待つこと1時間半。7時半にやっと始まり、開会。起立して国歌。(旗は無かったです。)全員呼名して全員壇に上がって、学長以下、学部長等いっぺんに20人くらいから証書を受け取るものでした。その数約5000人。挨拶、校歌(メロディーは「もみの木Christmas tree」)斉唱。終わったのは9時半。学生が心配していたようなことは何もなく、むしろ、挨拶をしてくれたり、一緒に写真を撮らせてと言われたり、良かったです。我が子をビデオやフィルムに収めようという親で、前はふさがり、見えない状態。

後で、過去にも「日本らしい行事を外でしないで。」と、学生に申し入れされ、たとえば、「お月見」をキャンセルしたなんてことがあったと聞きました。反日感情は根強いとのこと。日本でも中国嫌いな人のほうが多いですし、韓国に対しても、チマチョゴリを着ている学生がひどい目に遭うなんてこともあるわけですから、学生の心配は当然といえば当然かもしれません。

帰ってきてから、卒論を担当した学生と一緒に食事。去年と同じ、ステーキ。ニンニクチャーハン。思いがけずカマルとセドゥも途中から参加してくれて、楽しい思い出ができました。それから、模擬試験の結果を聞きに行きました。聴解は4級レベル。閲読は5級レベルでした。でも文法が全然ダメ。3級に4点足りず。それから二胡を買いに行きましたが、またしてフライング。楽器の上部にヒビがあったのです。担当の先生に、お琴を演奏した人だろう。HSKも受けたよね、知ってるよ、と言われました。明日また行くことになりました。

夜半から雷雨。今日でお別れ。それぞれの道に進む学生達。いつか天津で、そして日本でも会いましょう。

最後の試験

まず3年生は記念撮影。これでもう二度と会えなくなるかも知れない。そんな思いがこみ上げてきて、泣きそうになるのをこらえ、笑顔をつくっていました。黒板に「我愛你们!祝你们健康,幸福!谢谢!再见!欢迎你们来日本!」と書き、テストが終わって提出する一人一人に声をかけました。

19人

その3年生が、夜、花束とお皿を持って来てくれました。みんなで集合写真を撮ったあと、一人一人と撮影会。みんなありがとう!今まで最高12人がこの部屋に来たことがあったのですが、記録更新です。通算で855人。

本当にいい想いをさせて頂きました。皆さんが世界平和の架け橋となって下さることを切に願っております。

加害者

最近、日本では死刑が執行される件数が増えているという報道がありました。連続少女殺人事件を起こした犯人は、死刑執行まで、何の反省の言葉も被害者と家族に対して言わなかったというのを聞いて、ご家族の方々はどんな気持ちだろうと思いました。ひどい目にあった人に対して、謝罪の一言もなく、しかも、その加害者がのうのうとしていて、その上、周りが加害者をかばったり、何もなかったように扱ったりするのは、個人レベル、国家レベルであることですが、こんなことだから、平気で不正義がまかり通るのだ、と思います。

日本でも、南京虐殺はなかった、などと言う者がいるのは恥ずかしいことです。もちろん個人レベルでも、謝罪しない者は許されません。「良心の呵責」という言葉が通用しない人間もいるのでしょうか。中村哲さんのいう「人間は愛するに足る」というのは、ギリギリの生活をしている人々の、食べるための悪事を言うならわかりますが、人格破壊を起こしている人間には通用しないんじゃないか、とやはり思います。

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2008年6月16日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第12回 劉徳有 氏  

田中角栄元総理が日中国交回復後、ロッキード事件で逮捕。三木総理ではなく、福田総理の時になぜ平和条約を結べたのか、実は前日、南村先生からその時のお話しを少し伺っていたので、その全容が分かって、すっきりしました。周恩来総理を取り巻く人々の分析力の凄さ、そして、それをフルに活用した周総理の手腕。今の胡錦涛・温家宝体制も、周総理を踏襲する部分があること。歴史の節目に立ち会った、劉先生の分析。こんなお話しを伺えるのも最後となりました。
 しかし、10月21日午後4時から、NHK教育テレビで、劉先生ご出演の番組放映があるとのこと。 皆さんも是非ご覧下さい。 戻ってから、みんなで食事をしました。一年間良い勉強ができました。ありがとうございました。

端午節

農業暦で6月7日は端午の日。ドラゴンボートレースの日。今年から3日間の休日となりましたが、あいにく土曜日スタート。大型連休とはなりません。この日は、ちまきを食べる習慣があります。屈原が汨羅(べきら)川に身を投げた時、人々が魚に屈原の身体を食べさせないために投げ入れた等、いろいろ民間伝承があるようです。日本と違って、中国北方は甘いちまきです。中には山査子などの干した果物や餡が入っています。交流処がくれたちまきは、二種類。肉と卵の黄身がはいっている物も。これは月餅にも入っていたちょっと歯ごたえのある黄身。好き好きかという微妙な味。学生も持ってきてくれました。孫先生も、餡の入った餅米の主食を下さいました。

『万葉集』『古今集』『新古今集』そして俳句 

足早に駆け抜けるような状況。枕詞、序詞、縁語、掛詞などなど。修辞法の数々を復習。歌の成り立ち。特に防人の歌や東歌は、何故悲しい別れの歌なのかを説明しました。 古代から、人はなぜ争うのか。権力者の野望のために、犠牲になるのはいつも一般庶民です。我々はもっと賢くならなくてはなりません。そして、民族の違いをも超えて、仲良くならなければなりません。それがお互いのためなのですから。

HSK模擬試験 

二週間前よりは分かるようになった気がします。でも、当てずっぽうも一杯!本番まであと一週間。接続詞(関連詞)のセットをちゃんと覚えないとダメです。単語力が足りないのはもう仕方ありませんが、点のとれるところで、確実に答えられる問題を最低10問くらい増やさないと。 でも、日本で受けたら8000円もかかるし、受験会場も遠いし、試験は午後の眠くなる時間帯だし。Kさんに感謝します!やっぱりうけることにしてよかったです。もし、受けなかったら、今頃ダラダラとしていたかも知れません。充実しまくってます。さすがに今日はリラックスタイムにしました。たまっていたメールの返信や、このブログ、そして、「篤姫」「中国激流」も見ました。張りすぎた糸は切れやすいですから。などと言い訳。明日からまたがんばります。

太極拳友

イングランドから来ていたバーバラさんが帰国するので、お別れ会をしました。彼女の明るさには本当に救われます。学生から丑年の自筆の額をもらったと、見せてくれました。メッセージもすばらしかったです。イングランドにも行きたいです。彼女が自宅に泊めてくれるそうです。初めてのレストラン。ニュージーランド人のジムさんの中国語が通じるところがすごい。ピンイン、声調、共に、明らかに違うのに、分かってもらえるなんて。私なんて中国人だと思われるから、正確に発音しないと「何?」って最初は言われちゃいます。外国人と分かると、人によって聞き取ろうとしてくれますが。料金は、みんなでワリカン。こういうのもいいなって思いました。

難しいのに。孫先生がビデオを持ってきてくださって、ダビングしました。やー難しい。大学生の中国武術全国大会のビデオも見せて下さいました。雑伎団と同じくらい、早い。すごい。こんなことができちゃう人がこんなに大勢いるなんて。日本の空手がスローモーションのように感じます。身体の柔らかいこと。ジャンプも高いし、着地もぶれないし。オリンピック選手は、この人達のさらに上をいっていると思うと恐ろしいくらいです。馬馬虎虎。私の太極拳は体力の維持のため。「気」を高めるためのもの。楽しめたらいいと思うのですが、やっぱり武闘家に習っているので、そうも行きません。
  専家楼のお掃除の方に、太極拳を誉められました。冗談に「習いたい」と言われました。遠目では、少し様になってきたのでしょうか?でも、越学越難。やればやるほど難しいです。細かいところをチェックされます。HSKが終わったら、太極拳にシフトします。帰国後、クラブを立ち上げられるといいのですが。

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2008年6月 6日 (金)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第11回 南村志郎 神奈川県日中友好協会副会長

南村先生も四川大地震のお悔やみから始められました。

そして、周恩来総理とのエピソードをお話し下さいました。周総理の「相手が分かる言葉で、分かるような内容を話さなくてはダメ。」というお考えをご紹介下さいました。そして、周総理に会ったみんなが、周総理に魅了されたとのこと。その中には右翼の人もいたということ。

 人的往来の中身についての吟味の必要性、青年交流では、「行かなければ分からないこと。」を分かって欲しいこと。そのためにホームスティーは有効な手段であるということ。

 旅行社のガイドの実態。「ガイドは政治家であれ!」つまり、中国を好きにして帰さなければならないというお話し。これは日本語教師も同じで、日本を好きになってもらわねば、その価値はないということだと思います。本当に身につまされるお話しで、肝に銘じたいと思います。

 科技大には着物で行ったので、学生記者の方に、写真を撮らせて欲しいと言われました。

『奥の細道』

「夏草やつはものどもが夢の跡」

学生が引き上げた教室で、その残像を心に浮かべながら、あと数回で授業も終わり、そして二年間の任期が終わり、中国を去る日が来ることに思いが至りました。

試験も提出し、着々といろいろなことが進行していきます。合戦の跡を、夏草の生い茂る大地で芭蕉が感じたように、様々なシーンを思い浮かべては、感慨にふけるのは古今東西を問わないのだと思います。次週はいよいよ『万葉集』を始めとする和歌や俳句の学習です。

HSK

とうとう、馬先生の授業が終わりました。20課まで行き着いてしまったのです。寂しいです。土曜日、Kさんから冗談半分に「HSKを受けてみたらどうですか。」と言われ、中国人学生にも、「先生はいつも私達に、チャンスがあったら、何でも挑戦しなさいと仰っていますから、受けたらいかがでしょう。」と言われ、引っ込みがつかなくなりました。でも、あとわずかしか時間がありません。言われた日に初めて過去問を購入。やってみたら、惨憺たる結果でした。今まで、他人事で、全く考えていなかったので、ギョッとなっています。無謀ですが、このままだと中国語の勉強を全くしなくなりそうなので、取りあえず3級(一番下)を目指して受験することにしました。申し込みにKさんも付き合って下さって、模擬試験まで受けることになり、なんだか妙な気分です。副詞の位置、接続詞、介詞など、もっと、ちゃんと意識して勉強すべきだったと反省。まあ、でも、そういうことを勉強する必要があることが分かっただけでも良かったと思います。

チケット購入

7月20日(日)、北京発成田行きの昼便。朝7時半くらいにここを出発することにしました。

約3000元也。4年生は6月23日に卒業式。朝5時くらいから8時まで。

別れの朝を想像したくありません。絶対に泣くと思います。

 専家楼の受付の女性からも、別れを惜しむ言葉を頂きました。皆さんそう思って下さっていると言って下さいました。また、天津に来て下さいとも言われて、もちろん!と答えました。

 天津は私の第二の故郷となりました。

交流処の写真撮影会と会食

外国人教師が周総理の銅像の前で集合写真。私は着物を着ました。その後、少し離れたレストランでお食事会。ほとんどがアメリカ人。ドイツ人2人、日本人2人。会話はもちろん英語。しばらく使っていなかったので、すぐに浮かんで来なかったのですが、それでも、楽しめました。いろいろお世話になった、退職した陳元専家科科長も参加。「中国での滞在はどうでしたか?」と聞かれ、「天津は好きだし、学生も優秀で、大変楽しかったです。」とお答えしました。Kさんに写真を撮っていただいて、早速、皆さんにプリントし、データが必要ならメールを下さるように一筆添えてお配りしました。すぐに、インディアナ大学卒のこの間知り合ったばかりの先生からメールをもらいました。まさか、中国でインディアナ州の関係者と会うなんて思ってもいませんでした。インディアナもまた行きたいです。

そうそう、少し前にChristineからメールをもらって、さくらちゃんの映像を見ました。もう、かわいくて仕方ないのが良く分かります。また、カリフォルニアも行きたいです。

ビジター

この部屋に来て下さった方々は、2年間で延べ、820人になろうとしています。帰国していなかったトータル1ヶ月、また、旅行や研修でいなかった日、学生の休業中を考えると、実質、20ヶ月くらいでしょうか。皆さんのおかげで、寂しい思いをすることなく、思い出一杯の日々を過ごすことが出来ました。本当に感謝感謝!です。

今日来た学生に、「先生は観光地で、中国のどこが一番良かったですか?」と聞かれ、「九サイ溝」と答えました。しかし、今は四川大地震で、大変なことになっていると思います。一日も早い復興を祈らずにはいられません。復興したら、必ず家族と一緒に行きたいと思っています。

そして、本当はこの夏に行こうと思っていた、「都江堰」にも行きたいです。今,私は、「I Love China中国加油!」というTシャツを着ています。多くの人が、四川復興支援の思いを抱いてこのTシャツを着ています。

太極拳

とうとう扇も始めることになりました。最後の最後に、こんなフルコースをやっていいものか、とも思いますが、がんばるしかありません。私は体育苦手なのに~。こんなに毎日のように運動をするなんて考えてもいませんでした。でも、帰国したら、できるかどうか不安です。

昼休みか早朝、やるしかないかしら。放課後は会議ばかりとのことですから。それが一番心配になってきました。少なくても年に一回は天津に来て、李先生に教えて頂かないと、さびてしまいそう。

前に、Yさんの彼が、中国剣法の先生を訪ねて中国に習いに行ったという話を聞いていましたが、その気持ち、今は良く分かります。やはり、中国の太極拳を始め、スポーツの裾野の広さはすごいです。日本の13倍から15倍の人口で、若い人も多いですから、当然なのでしょう。

良き師、良き友、良き学生に出会うことができ、私は幸せ者だと思います。

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2008年6月 2日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第10回 佐藤嘉恭 元駐中国日本大使

  四川大地震のお悔やみから始められた先生は、胡錦涛国家主席の訪日を踏まえ、今後の日中間の新たな局面についてご講義下さいました。
① 戦略的互恵関係のついて。長期にわたる友好こそ、両国の唯一の選択である、ということ。
② 未来志向について。早稲田大学での胡主席の御講演で、歴史を記憶しているのは平和を守るためであるという点について触れられました。
③ 協力のパートナーについて。お互いがお互いを支持し、積極的に評価をすることが大切であるという点について言及がありました。
そのために、対話と協力が不可欠であり、両国首脳が交互に毎年訪問するということ。国民的レベルでの人的交流、特に青少年の交流について、2008年は重要な年であるというお話しがありました。また、環境・エネルギー分野での積極的交流の重要性を強調されました。また、宮中晩餐会で、長い友情は両国の財産であるという認識が、天皇と胡主席の話題になったというエピソードなどもお話し下さいました。 
2005年の反日デモについて、学生から質問がありましたが、それはもう、両国民は乗り越えたのではないか、とのお答えでした。
 メディアを通してしか知り得ない、こういった方々の人となりや発言に、いろいろ考えさせられることがあります。

『更級日記』

この作品には一つの思い入れがあります。教育実習で母校の高校三年生に教えたのが、まさにこの作品でした。この時に初めて助動詞の活用表に細かい訳を併記したものを作り、恩師小林國雄先生にお見せしたのが、つい昨日のようです。それまで、日本中のどの教科書にもそういった表がなかったのです。また、市販されていた文法書にもそういったものはありませんでした。その後、高校の教員となり、出版社数社に「著作権を放棄するので、掲載してくれるように。」と依頼し、今では逆に数社を除いて、殆どがその形態の活用表を掲載しています。
そして、今、古典文法のホームページはアクセス数18万件に届こうという勢いです。これも小林國雄先生の御著書をすべてアップするということができたからこそ、と感謝申し上げています。ドイツから中国に留学してきた日本人学生の方にも、「ドイツで見ていました。」と言われてびっくりしました。皆さんが活用して下さって、本当に嬉しい限りです。

最後のお食事会

料理の得意な学生に、中国料理を作ってもらい、私は、前からお約束していた、ホットケーキを用意したり、お寿司を買ってきたり、みんな忙しくて、人数は少なかったけれど、楽しく過ごしました。こうしてみんなで食事を作るのは最後です。
この二年間が走馬燈のように巡ります。4年生とは特にいろいろな思い出があって、感無量です。日本に留学が決まっている学生、大学院に進学が決まっている学生、天津で就職を探す予定の学生、みなそれぞれですが、中日の架け橋となって活躍して欲しいと願って止みません。

アフリカンウイーク

  天津在住のアフリカからの留学生が一同に会して、ファッションショーやダンス、料理などを披露する会に、招待されました。なにしろ、学生会の会長、ザクと主要ポストにいるカマル、それに前会長のセドゥの3人は、私の日本語の学生であり友人ですから。彼らがいかにすごい人達だったのか、本当に思い知らされました。
食事会では、いつも上座に座らせてくれて、天津大学の教授や他のゲストと同じように案内をしてくれるという厚遇を受け、恐縮してしまいました。カマルもセドゥも7月に帰国。でも私達の友情は永遠です。いつか、マリにもコモロにも、ナイジェリアにも行きたいです。本当にありがとう!!

太極拳

久しぶりに馬蹄湖前に行きました。剣も扇もやってみました。日本人留学生と3人で参加。皆さん、剣や扇を持っていない学生に貸して下さるので、有り難いです。愛大生や欧米系の留学生に教えている太極拳の先生が、ちょっとだけ参加を認めて下さったので、一緒にやってみました。そして、愛大の方にも、私達と一緒にやってみませんか、と誘いました。彼女たちは運動神経もいいし、身体も柔軟で、身のこなしきれいです。帰国しても、きっとできるだろうな、と眩しく思っています。

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2008年5月25日 (日)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第9回 福川伸次 元通産省事務次官

日中環境技術交流について 資源は無限であるということが前提で、科学技術はあったのが、現在は、有限の資源であって、それも、近未来に無くなるということを前提にどう考えるかの提言がありました。

石油は34年。石炭であっても150年持つ程度。資源の枯渇はもちろんそれを原料とした製品の生産もできなくなるということ。産業構造を根底から揺るがすような状況で、我々はもっと危機感を持って、対策に取り組まなくてはならないのですが、どうも、資源は無尽蔵という考え方から脱却できていないのが実情です。人口の爆発的増加。地球温暖化。リサイクルの必要性。

日本のリサイクル技術が全世界に浸透すれば、6割は節約できるとのこと。これはすごいと思いました!

1997年京都議定書の二酸化炭素排出量の義務を負っているのは全体の30%の国に過ぎないとのこと。日中間でもプロジェクトが進んでいて、環境問題解決の技術開発、都市計画、都市エネルギーの供給システム等々、新しい具体的課題解決段階に来ているということ。

途上国は環境を守りながら発展することが重要であり、政府が長期的視点から見通しをたて、技術開発を主導し、企業と学術機関共同研究をし、住民が一体となって取り組まねばならない課題とのことでした。

一軒で、電気と水の循環がある程度完結できる家屋を建築するというのが、私の小さい頃からの夢でした。そうすれば、送電線も水道管も排水菅もガス管もいらないわけで、これで免震構造なら地震大国日本の理想の家屋になるはずです。そして、そのようなHow toは全世界に通用すると思うのです。つまり宇宙ステージョンや水中で生活するのをイメージして、陸上で暮らせないものか、というのが発想の最初だったのです。SFや宇宙に興味を持っていた子供の頃の素朴な夢です。

また、二酸化炭素を燃料とできるような仕組みって作れないんでしょうか?それは小学生の時に光合成を勉強した時に思っていたのですが。そこが発端で、細胞に興味を持ち始め、顕微鏡を覗くのが大好きだったのです。今やっている仕事は全くそこから離れてしまっていますが、若い世代の皆さんに是非、そんなものを作って頂きたいな、と思っています。

『土佐日記』

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。」この冒頭部分、何百回聞いたことでしょう。今回は日本の大学生が使っている古典の影印本教科書を見せ、変体仮名の元の漢字も紹介しました。このあと『更級日記』、『奥の細道』『万葉集』とやっていきます。そろそろ試験をつくらねばなりません。

卒論発表会

終わりました!お互いにホッとしているという感じです。昨年よりぐっとレベルUPした感じです。どうしてもレポートになってしまって、独自の論を展開するのは難しいのですが、日本語で、しかも12000字以上ということですから、大変だったと思います。

お疲れ様会

 日本語科の先生方で食事会。中国語で話されても、苦痛ではない感じ。私の置かれている事情も、やっとわかっていただけたようで、それはそれで良かったと思います。「百聞は一見にしかず。」ということでしょう。これもまた、詳しくはメールでお伝えします。

レッスン

帰りの航空券、荷物のことなど外事処に聞かねばならないことを聞いて頂きました。郵便局に頼むか、業者に頼むか検討中です。基礎の301句も中級の教科書もあと2~3課を残すところとなりました。中級2の教科書を買いました。とうとうS先生と同じ教科書に行き着きました。しかし超特急ですから、まだまだちゃんと理解しているわけではありません。中国に居る間は出来ないかも知れませんが、パラパラ見ようかな、と思います。

太極拳

24式で、ふっと42式と勘違い。説明しながらやる難しさが分かりました。やはり教えるとなると相当、身体に入っていないとダメということなんでしょう。馬蹄湖のところで、42式をやる時に、前が二人で、後ろが5人というアンバランスな状態で、場所がなかったので、前でやるように言われました。申し訳ないような、嬉しいような、複雑な感じ。レッスンの時も、前でやるように、ということが時々あります。32式の剣は、しかし、まだ無理!3カ所くらい苦手なところがあります。もっと低く構えるように、とか、重心の移動、手の位置、足の位置、とか、細かいところのチャックが入りました。本当に奥が深くて大変です。帰国したら「表演」できるように、あるいは「教えられるように」と、先生達も考えて下さっているのが良く分かります。

Kさんにも私の悪い癖が移っているところがあって、「まずい!」と思っていますが、こちらが真似して欲しくないところが強調されて移るものなのだ、と思い知らされています。そういえば、娘が空手で、Don先生に似ていると言われていましたが、そういうことなのかな?と今になって思い当たります。私も李先生や孫先生と似ているところがあるのかしら?これは分かりません。

李金蘭さん

 馬蹄湖メンバーの一人、李さんから、手作りの花束を頂きました。とってもきれい!時間がかかっただろうな、と思います。涙が出てしまいました。メッセージも嬉しかったです。

「你那天真活泼可愛的身影一直在我心!中回荡希望你常来中国、増加中日友好和我们之间的友誼。特送你我亲手編织的丝网花。祝你们全家亲福、安康!永远快乐!」

読み返すと、またまた涙が溢れてしまいます。あー本当に、お別れの時が近づいているのだ、と思うと悲しいです。会うは別れの始まりですが、こんな気持ちにお互いなれたことは良かったと思います。言葉や文化は違っても、心は通うものなのだ、と実感しています。

バーバラさん

太極拳仲間のバーバラさんがイギリスに6月末帰るというので、お部屋をみんなで訪問しました。もう大体船便で送り出してしまったと言っていましたが、彼女のセンスたっぷりの装飾がありました。お茶とクッキー。お気に入りのカジュアルドレスでファッションショー。陽気な彼女らしいおもてなしでした。ハグされて、彼女の気持ちを感じました。ずっと英語。郵便局への持ち込み方法や、タオルで巻いたお皿の梱包方法など、見せてくれました。彼女の家の側にかかっている橋の写真について説明してくれました。「緑がいっぱいなの!」と彼女。なるほど、天津にはモネの睡蓮に出てくるような森や泉や橋はないですものね。「ここにいるとイギリスが恋しくなり、イギリスにいると中国が恋しくなる。」なんて話していました。私も江ノ島をNHKで見ると、ホッとします。数秒間の映像でも、嬉しいです。ここで会ったいろいろな人々と別れがたい気持ちと、心は揺れ動いています。

 Y先生のお祝い

大学院合格祝いを東北料理のお店でやって下さいました。おいしかったです!奥様との出会いのお話しもちょっぴり聞かせて下さいました。まだ、小学生の女の子さんがいらっしゃるとのこと。これからのご活躍が楽しみです。K先生と学習会を是非続けて頂きたいものです。

停電・ネット接続不良

 システム交換のため?朝6時から夕方6時まで。と朝から昼まで停電。ネットが繋がらないのは本当に毎度のことで、困ります。それにNHKも見られなくなるし。日曜日唯一の楽しみが~。

昨日止まっていた冷蔵庫の中身が心配。今朝、ヨーグルトの味に違和感がありました。他の物のチェックは恐くて、停電が終わってからでないと出来ません。雑菌の巣になっちゃってるかも。

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2008年5月18日 (日)

『徒然草』の「花は盛りに」と本居宣長の『玉勝間』

「花は盛りに」もちろん、これをやるなら本居宣長の『玉勝間』も引き合いに出さねばなりません。

「あなたはどっち?」と聞いてみたら、『徒然草』支持のほうが若干多かったです。どちらが正しいとか価値があるとかは関係ありません。大事なのは、「自分を知ること」だと思います。自分が文章を読んだ時にどう感じるのか、普段無自覚な自分の感覚を再発見する、これこそ学習の醍醐味だと思うのです。ちなみに私は『玉勝間』派。でも学生の時は、『徒然草』派でした。今は「楽しい」ことを「楽しい」と言えるようになった気がします。その変化には深い意味があるのですが、これはまた、お目にかかった時に、お話し致しましょう。

語学パートナー

「組むことが出来ました。」とメールをもらったのですが、その後どうなっているかは聞いていません。A大学の太極拳講座が終わってしまって、皆さんに会えなくなってしまいました。また、次期、でしょうか。私の後輩に託していくしかないようです。

卒論!卒論!卒論!

 今週はメチャクチャでした!はっきり言って倒れそうというか、時々倒れてます。(笑)徹夜に近い状態。夜討ち朝駆け。でも、こちらもレポートではなくて、自分のオリジナルの考えを求めていますから、妥協はできません。

提出当日はお昼を用意。5人でスパゲティーを食べながら、必死。や~だから早くやってって頼んだのに~。おっと、「のに」がつくと愚痴が出る。(相田みつを)の言葉になっちゃいますね。いけない、いけない。

卒論発表会の打ち合わせで、5分間は自分で説明してもらって、それから質問にすぐ答えてもらうことになりました。あと一週間。お互いにがんばりましょう!さー読んで質問考えなくっちゃ!

Pay Forward

 四川の大地震、本当に大変な状況です。思った通り、煉瓦の家がもろく崩れ去って、瓦礫の山。中国のどこに行っても、煉瓦の家がたくさんあるのは同じです。専家楼にも義捐金ボックスが置かれました。署名と金額を書き込むようになっていました。とりあえず1000元。ガードマンの方が握手して下さいました。本当はもっと出したいのですが、あと2ヶ月の暮らしと、引き上げにどれくらいお金が必要か見えないので。最後に通帳にお金が残ったら、全額寄付したいと思っています。

卒論を担当した学生が、ご迷惑をお掛けして申し訳ないから、先生に食事を奢りたい、と言ってきました。でも、私は、そう思った金額を四川に送ってくれるように頼みました。私がやったことを私に返してはそれで完結してしまいます。Pay Forward.私も中国で大勢の方から頂いたご恩に報いるために、日本に帰ってからも、出来ることをしたいと思っています。だから、彼らにも、私がやったことを嬉しいと思ってくれるなら、それを、今助けが必要なところに出して欲しいのです。世の中はそうして廻っていくもの。やさしさとは本来そういうものなのではないでしょうか?

できるときに、できることを、できるだけ。

有時間的時候、尽量做能做的事情.Ni覚得幸福就是幸福.幸福是Ni的感覚.

レッスン

卒論のことでいっぱいいっぱいになり、完全に忘れていて、先生に無駄足させてしまいました。本当に申し訳ない!!もうすぐテキストが終わるのに~

太極拳

32式の剣、ちょっとできるようになってきました。食事の時とか、とにかく、ビデオを繰り返し見て、必死です。毎朝、留学生のKさんと八段錦と24式・42式をやっているおかげで、どこがあやふやか分かってきました。やっぱり人に教えるのが一番の学習です。Kさん、付き合って下さってありがとうございます。私の方が学ばせて頂いているのです。留学生のSさんも加わって、3人でやっています。

誕生日

娘の誕生日。ピッタリ予定通り陣痛が始まって。あの朝のことは今も鮮明に覚えています。朝方のうっすら曇った空。とにかく、とんでもない痛み。臍の緒は夫に切ってもらって。助産師の先生に取り上げて頂いて、本当に良かったです。自分の人生を大切に生きて欲しいものです。明日は孫先生の誕生日。こちらでは、孫先生と内々で誕生会をやります。これが中国での誕生会の最後となるでしょう。

帰国準備

チケットを予約しました。引っ越しの手配も今、問い合わせ中。二胡を持ち帰るのにちょっと手間がかかるらしいです。荷物も極力減らしたいですから、譲るリストを作成中。というか、使わなくなった段階でドンドン放出しています。まずは冬物衣類。本やDVDは後輩に預けるか、後任の方に預けるかというところ。9月からの担当教科も伺いました。

私が戻ったら、何をやるのか、伺っていなかった~。

取りあえず、今は、目の前のことをやっていきます。

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2008年5月12日 (月)

5月12日 四川省の地震

お問い合わせ下さった皆さん。ありがとうございます。 天津は全く影響なしです。日本地図で見比べて頂ければ、どれほど離れているかお分かり頂けると思いますが。 本州の端から端までよりも距離がありますから。 成都は行ったことがあります。九サイ溝に行ったとき、往復立ち寄りました。中心部は天津とそう変わりない大きな街です。 中国はどこも煉瓦の家が多いです。高層ビルも壁が煉瓦ということは珍しくありません。また、日本ほど建築基準法が厳しくないようで、鉄骨の数も非常に少ないと思います。 某アネなにがしの建築でもここならOKかもしれません。 ですから、メディアが放送していない被災地が気がかりです。 地下もそんなに深く掘って基礎を作っているかどうか・・・。 明日は我が身の地震大国日本。 私がここに居る間に関東に大地震が来るんじゃないかと思っていましたが、このままだと、帰国後、一緒に被災者になりそう?かしら。 帰国したら、私だけ家から離れた勤務地なので、取りあえず集合場所はF中かな~?といった具合に、皆さんも連絡場所とかいろいろ家族と話してみるのもいいのでは?

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2008年4月20日 (日)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第7回 王効賢氏

  中日友好協会副会長、王効賢氏。1962年の貿易協定時、周恩来総理と岡崎嘉平太氏の通訳を勤めたことで知られ、NHKの「ラストメッセージ岡崎嘉平太」にも出演されています。(劉徳有先生も出演されています。)番組内では、「ある時、周恩来総理が岡崎氏に歳を尋ね、一つ上と分かると『私のお兄さんだ。』と言った。」というエピソードを紹介していました。今回の御講演では時間の関係で岡崎嘉平太氏のエピソードを伺えませんでしたが、南開大学ゆかりの周恩来総理と深く関わっていた方です。林麗韞先生も通訳を勤められ、新聞記者として呉学文先生もご活躍でした。国交正常化の一番大切な時期に活躍された方々が次々に講演されるこの講座が、いかに意味深いものか、想像を絶します。

オリンピックサッカースタジアム

天津市が外国人教師をオリンピックサッカースタジアムに招いてくれました。中に入り、トラックを歩いて一周。VVIPルームに入れて頂きました。すごい眺め。テレビ画面の特等席はこうだったのか、と納得。サッカーが放映されるときに画面を見たいと思います。

 この時にご一緒だった英語とドイツ語の先生と仲良くなりました。早速バスの路線についてお教えしたら、懐かしのバナナブレッドを頂きました。Christineがよく作ってくれたことを思い出しました。アメリカの味。どうしてるかしら~

曲阜

 週末を利用し、念願の孔子の里、曲阜に行ってきました。中国三大宮殿建築のひとつ、孔廟。その中に孔子が教授したと言われる杏壇があり、孔子や孔子の弟子の像を納めた大成殿。世界で最も長く続いている一族の墓群である、孔林。ちょうどスミレが満開で、素晴らしかったです。

 屋根の飾りがちょっと変わっていました。一番先端の動物(鳥?)の上に人(孔子?)が乗っている形?ガイドさん達がしきりに解説しているのですが、中国語が早すぎて分かりません。「先達はあらまほしき」「仁和寺の法師」の気分。そんな細かいところまではガイドブックに載っていませんから、どうしようもありません。日本語ガイド付きできている日本人は無し。お手あげです。

聖跡殿の石刻に孔子の一生について刻まれていて、お父さんはずいぶん高齢だったようでびっくりしました。お母さんは若かったみたいですが。

 実は最初に曲阜の駅を降りて、「三元で孔子の里に連れて行く。」と言った運転手に、いきなり、「孔子故里園」というアミューズメントパークのようなところに連れて行かれ、一人60元也。私は「これは本物ではない。」と何回も言ったのですが、後の祭り。もう入場券をもぎ取られ、払い戻し出来ない状態。なにしろ、入り口の中まで入ってしまって、看板を見せないというやり方。中国人でも騙されるのですから、困ったものです。ちゃんとしたタクシーに乗って「孔廟」に行かないとダメです。

 旅行は下調べが肝心。初めて行く場合は特に要注意。旅先でいい人に出会うこともありますが、そうでない人もいます。これは中国に限ったことではないのでしょうが、お金をどこにかけるかがポイントです。「安かろう悪かろう。」を実践で学ぶ結果になってしまいました。北京でもそんなことがありました。頼みもしないところに連れて行かれて、お金を払ったり、高い買い物をするハメになったり。日本の旅行会社はやはり信頼できると改めて実感。

バスで済南へ

趵突Baotu)公園

1928年5月3日。順城街を日本軍が侵略。そのため後にこのことを忘れないために、五三街と改めたという石版が公園の外周にありました。また、そのことを記録するための記念館も園内にありました。中国の様々なところで日本軍の傷跡に出会い、心が痛みます。

趵突泉という自噴泉が公園になったところ。気泡があがる透明度の高い水の中で鯉や赤い魚たちが泳いでいる池がたくさんある公園。その水を使って、時間がわかるという大がかりなものもありました。中では音楽や踊りを披露するステージがあったり、長廊で思い思いに楽器を奏で、京劇の節回しで歌ったり、市民の憩いの場となっています。

大明湖

李白や杜甫も訪れたという湖。西湖と感じが似ています。広いので、時間の関係で、途中で引き返しました。

済南から天津

汽車の切符は座席なし。乗った途端、食堂車へ。ギリギリで席を確保。(定員48名)なにせ3時間半。立っていったら大変です。一人40元也。ここで、日本語を勉強している学生に出会いました。孫先生が彼に気付いて、私に英語で話し始めたので、私が日本人と分かることに。その瞬間、何奴が日本人なんだ?という視線。日本のことをネタに話し出す人もいました。(もちろん中国語。でも日本がなんとかかんとか、と言っているのは断片的に分かりました。)

彼の持っていたテキストを見せてもらったら間違えだらけ。原因は五十音図。日本語は単母音の言語なのに、二重母音で「e」を表現していて、子音も、そして「ん」「n」も間違った表記になっていて、抜本的に書き直す必要がありました。

生まれて初めて日本人に会ったという彼のために、訂正しまくり、一緒に発音し、意味や使い方を説明しました。もちろん日本語は通じません。英語かカタコト中国語での説明。孫先生がここ2ヶ月で私の中国語が上達したと誉めて下さいました。やはり、2ケ月日本に帰らず、こちらに残って勉強した甲斐がありました。それにこの一ヶ月は中級1の教科書を毎回1課進んでいますが、内容は大体把握できるので、標準語で易しい内容ならば、なんとか分かるようになった気がします。李先生と直接話せるようになったのは良かったです。日本の物価が高いこと。My箸を持っている理由。ハルピンで731部隊、南京で紀念館を訪れたことなど、孫先生が話すと、周りの空気が変わった感じでした。日本人だというだけで、構えてしまうのは、さっき訪れた記念館のようなところがあちこちにあることや、毎日のように流れる日本軍との戦いを扱った番組、そして学校での教育で、当然といえば当然なのかもしれません。

別れ際に同じ席になった3人に千代紙で千羽鶴を折り、渡しました。そうしたら、「ありがとう」「さよなら」と、三人が日本語でそれぞれ言ってくれたのです。とっても嬉しかったです。

去年も南京からの帰りの汽車で、青年に出会いましたが、こうして、一般の日本人でも、中国人のことや平和を大切に思っている者もいるのだ、と分かって頂くしかないのかな、と思います。

お腹の調子が・・・。

 原因物質は分かりませんが、お腹に来ました。中国に来て3回目。日本人は様々な菌に弱いかもしれません。鳥インフルエンザ時代に、生き残れるのか、疑問です。

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2008年4月14日 (月)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第6回 張雲方氏

  国務院発展研究中心研究員、張雲方氏。日本の歴代総理大臣と鄧小平氏との交流について、エピソードを交え、その人柄に触れる内容でした。中曽根総理夫妻の話や福田赳夫総理夫妻の話等、少し驚きもありました。

アフリカ式、道の尋ね方 

 初対面の人になにか尋ねる時も、まず、「good morning!」といった挨拶をしてから、道を尋ねたりするのだそうです。もし、そういう挨拶をしなかったら、無視するのだそうです。 所変われば、習慣や様々なことが違ってくるのは当然ですが、面白いです。中国の食事の席順も驚きでしたが、まさか中国でアフリカの習慣を教えてもらえるとは思ってもいませんでした。

  3年古典:「枕草子」 暗唱テスト。もちろん出席者全員合格。パワーポイントを使い、「山ぎは」と「山の端」の違いや、四季の景色など、写真や絵で示しました。藤原氏の系図も示して、「大鏡」「源氏物語」の話しも再度しました。三大随筆をこれからやっていきます。

アフレコ
先週に引き続き決勝戦のアフレコの審査をしました。「バグズ・ライフ」をやった英語科の学生の発音は、本当に映画を見ているようでよかったと思いました。何しろ、「ムーラン」「ライオンキング」「トイ・ストーリー」等、すべて英語版で何十回も見ているものですから、そのせりふ回し等も頭に入っているだけに、逆に厳しい審査になったかも知れません。日本語科の学生に対してはもっとシビアだったかもしれませんが、今回は90点以上、それもかなり高得点で付けました。 自分の「となりのトトロ」も、まあ、90点くらいでしょうか。結局書いていったせりふの紙は暗くて見えず、覚えていたせりふを言ったり、擬音を口で入れたりしました。後でビデオを見て、自分でも楽しめました。紅型柄の着物モドキを着て参加しました。

楊?の綿
 春の始まりに、タンポポの綿毛の巨大番のような綿毛が飛びます。木曜日くらいから飛び始め、日曜日には、一気に手で振り払いたいほどの量。こんな感じが一週間から十日続くと、去年は次第に暑くなったように思います。そうなれば、冬のコートは不要となりクリーニングシーズン。夏の到来です。

知的好奇心を満足させてくれる会話 
 門倉先生の教え子Mさんと、とうとうお目にかかれました。楊先生と第一回の勉強会。「ている」の付いている場合と、そうでない場合の違いについて。やっぱり、本当の意味の知識人と話すと楽しいです。お互いにお互いを尊重しつつ、偉ぶらず、独断と偏見でものを断定せず。しかし、率直で、アカデミック。無駄な繰り返しは無し。こういう濃密な会話に飢えていたのです。あーK君が去年からいてくれたら、こうやってもっと勉強できたんだろうに。おしいことをしました!本当に日本語教授法をちゃんと勉強した方と、もっと会話がしたかったです。T大学の方をお呼びしなかったのは失策でしたが、次回はフルメンバーで望みたいものです。Mさんは知的好奇心が強く、頭脳明晰。場の空気も読めて、しかも中国語の理解度も高い方だな、とすぐ分かりました。優しさもあって、感受性のある常識人。今日会えて、和みましたし、ホッとしました。
 魅力のある方というのは会った瞬間に感じるものです。心の琴線に触れるというのはこういう出会いなのだと思いました。彼女も書いてくれましたが、私も「門倉先生に感謝!」あー彼女も、うちの学生を引き合わせたかったです。こういう素敵な日本人にたくさん会って欲しいものです。
 私の友人は、自分のことはさておいても人のことを気遣う優しい人ばかり。メールでやりとりしている人も、長く続いている人達は、みな思いやりの固まりのような人。私をいつも励ましてくれますし、私ももちろん誠意を持って答えますから、会話も弾みます。私って幸せ者です。

「大きな傷にバンドエイド」になりませんように。
 ある方とお話しするチャンスをいただきました。あと三ヶ月、無事に過ごすように、とのこと。それは、その方も私も学生もみんな同じ願いです。当方が問題をおこすことはないので、そうさせて頂きたいというのはこちらの台詞。少なくとも私は、学生の皆さんのためにベストを尽くすと申し上げる以外にありません。そして、これから先も、結果として、できるだけ学生諸君にとってよいように、私が協力できることをするしかありません。日本の恥とならないように。「日本鬼子」の汚名を少しでも返上できるよう、愛を持って学生に接する。それだけです。日中友好のため、世界平和のため。「砂上の楼閣」となろうとも、「千里の道も一歩から」続ける以外に方法はなのです。
 漱石の言葉通り、「文士を押すのではありません。人間を押すのです。」ということでしょう。

 The theme of the second session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the former China People’s Daily newspaper correspondent to Tokyo, Zhang Yunfang was Deng Xiaoping and the Japan-China relationship. Zhang Yunfang discussed a side of Deng Xiaoping and some Japanese prime ministers that we didn’t know about. I found out some new things about some Japanese prime ministers and their wives.

An African custom
  They told me the most important thing when we will ask others about the way to somewhere. That is a proper greeting. If we don’t say “good morning!” we will be ignored. So many countries, so many customs. But, they are very interesting. The Chinese have a certain manner of sitting, but also this African custom is interesting. I didn’t imagine that I would learn about African customs while in China.

The Essay of Makura
 My classical Japanese lesson was about The Essay of Makura. I asked my students to recite the first part. They did it very well. I used a power point file in my lesson. I showed many pictures to my students. I also showed Japanese Emperor’s and Fujiwara family pedigree ancestry to them. I explained again about The Story of Ohkagami and The Story of Genji. After two weeks I will introduce the three famous essays.

The post-recording contest
 I served as a judge as last week. Many Disney Animations “Bugs Life,” “Mulane,”“Lion Kong,” “Toy Story,” etc. were very familiar to me. I watched them many times in English. So judging the student’s work was very hard. Especially, when they were doing the dialogue for Japanese movies, which I know very well, I couldn’t help but be a little strict. But I gave them all 90 points or more. I also played the title scene of My Neighbor Totoro. I was good at it. I would give myself 90 points. I couldn’t see the script paper so I said the lines from memory. I wore a kind of Kimono for that performance.

Willow’s down
 Time is a cycle of the seasons. White, fluffy down is falling from the trees and blowing around in the air. This will continue for 2 weeks or 10 days. After that, there will be a sudden upturn in temperature. We will not need a winter coat. Summer will come soon.

She is truly wise
 Some intelligent friends of mine came over. We enjoyed academic talks. I was very happy to meet her. She was professor Kadokura’s student. She is very intelligent , humane and considerate of others. I felt very comfortable talking with her. If Mr. K were here, it would have been even more enjoyable. It was unfortunate that he couldn’t be here. Her Chinese level is very high. I would like to say thanks to professor Kadokura. All of my friends are very kind and thoughtful. I’m a very lucky person.

 I hope my help will aid in the study of Japanese for many students. Someone wanted to speak with me. She, my students and I hope we will be safe. But whether we will be able to be safe or not, we can’t know. I will be my best. But, human can’t easily change his caracter. Some Japanese here have done bad things to others. I, on the other hand, would like to build up Sino-Japanese relations. Even though our efforts may be frustrated time and again, we have no choice but to go forward. A journey of a thousand miles begins with one step. Soseki Natsume once said that he could never convince his critics, but he could, however, reach the general population with his message.

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2008年4月 6日 (日)

天津科技大学中日友好交流講座 第2学期第5回 精華大学劉江永教授

  前期に引き続き、第二回目の講義を拝聴しました。最新情報を加えて、日中の状況をパワーポイントでご紹介下さいました。福田総理になってどうなったか。餃子問題後を展望したお話しもありました。また、この3月に訪日された時の様子。どんな方とお会いになり、どんなところをご覧になったか。お台場のテレビ局等、懐かしい写真を見せて頂きました。また、桜も撮ってきて下さいました。そして、北京と東京を例に挙げて、どのような町並みの違いがあるか、道路の側溝や段差のこと。また衛生事情など、具体的なお話しで、日本に行ったことのない学生にとっては、驚くこともあったのではないかと思います。先生が私を覚えていて下さったのは嬉しかったです。

パケットなんとゼロから二桁。

 速度は100Mbps。これではインターネットに接続できません。上不了網。なんと大学全体のシステムがダウンしているらしいです。こういうことはしょっちゅう起こるので驚きませんが、仕事が滞るのは困ります。いかにインターネットに頼っていることか。もちろん、この部屋にはそれなりの本はありますが、調べたいことも出てきます。最新情報の検索や、連絡がとれないことはストレスになります。マジックワード「ここは中国」。このブログもいつUPできるのやら。そう、いつも下書きしてUPしています。直接は打ち込めません。接続時間が長いとダウンするからです。勢い、週に一回がせいぜいで、思いをため込むので、文が長くなります。それでも、書けないことも出てきます。あとはメールですね。返事が遅くなることもありますが、中国のインターネット事情もありますので、お許し下さい。清明節が終わるまではだめ。月曜に繋がるといいですが。(日曜日の夕方やっと接続。しかし、おそーーーーーいです。)

 3年古典:平家物語「木曽の最後」

「武士」の生き様については様々な意見が出ました。忠義の心について。愛する者への愛の表現方法。「やさしさとは何か」といったことも問題提起。「項羽」のことを書いてきた学生もいました。

 2年汎読:「美を求める心」小林秀雄。

これは奥深い教材で、扱い次第で人生観や「何故人は学ぶのか」といった根源的話しも出来ます。夏目漱石の「草枕」、手話や丸山浩路氏の話もしました。

3年聴解:

 ワンラブ・プロジェクトの「プロジェクトX」と「アンビリーバブル」の吉田真美さんのDVDを見せました。みんな感動していました。事務局のことを異国から思うばかりです。

アフレコ

 アフレコ17組の審査をしました。英語科の学生が多かったです。「シュレック」や「ファインディング・ニモ」など、なじみのものもあり、「千と千尋の神隠し」を英語で、というのもありました。日本語科は3組。みな2年生。よくがんばっていました。3年生が出場しないのが残念です。どうも学年によってアクティブ度が違うようです。フランス人の先生と英語で話しをしました。

スピーチコンテスト

 2年生に、添削を頼まれました。一人は「思いやり」というタイトル。私が紹介した、相田みつをの「幸せはいつも自分のこころが決める」という言葉に感動し、生き方が変わったという話し。正直、嬉しかったです。この言葉に心を動かされる人は多いですが、紹介して本当に良かったです。こんなに素直で、心優しい学生に出会えたことに感謝!感謝!もう一人は「もしドラえもんだったら」というタイトル。彼女も、最後は「希望」を失わないというところに行き着いている内容でした。なかなかユニークな発想で、彼女らしい表現でした。 ふたりとも大きく直すことはなく、語法を若干なおしました。こういった添削は、意見を尊重し、なるべく手を加えないほうがいいのですが、卒論は、レポートのように調べたことを羅列する文章は削除し、自分なりの意見を書くように話しています。
 四年生のみなさん!加油! 

アカハラ

先日テレビでアカハラ(アカデミック・ハラスメント)のことが取り上げられていましたが、指導教官の言葉の暴力によって傷つく学生が多いという話し。日本では懲戒免職という報道。当然だと思います。「実るほど頭の下がる稲穂かな。」博士号やらなんやら取った人や有名大学の卒業生は、この世の中には大勢いますが、本当に賢い人は威張りませんよね。また、実力のある人は、まわりが放っておきません。自分が日本で定職に就けないストレスを学生や同僚にぶつけているのでしょうか。現実にはなかなかそういった輩を排除することができません。 

「人格を否定されました。」「地獄でした。」と学生が言ってきて、「日本を嫌いにならないでね。」と一緒に抱き合って泣かなければならないようなことはあってはならないことです。

 他にも、「世界平和」「人類の幸福」を願う日本人に会うまでは「日本人は鬼」「尊敬できない」と思っていた。「先生に会えたから大丈夫です。」と正直に打ち明けてくれた学生もいます。

 日中友好のため、身を挺している諸先輩方の顔に泥を塗ることは是非やめて頂きたいものです。

太極拳

 三十二式太極剣が終わりまで行き着きました。しかし、まだ、自分一人では出来ません。四十二式太極拳も言葉をはさむと分からなくなります。二十四式は、音楽があれば、なんとか大丈夫?になってきましたが、それでも、やっぱり説明しようとすると、次はなんだっけ?になっています。音楽がないと怪しいし。Kさんと二人で毎朝やる御陰で、良い勉強になっています。帰るまでにせめてこの三つは、人前でなんとか出来るようにしたいです。

箏 

 朝の馬蹄湖前太極拳メンバーが、和箏を見たり弾いたりしたいとのこと。休日にご招待しました。朝4時半起き。天ぷらを揚げ、ちらし寿司を用意。顔をみてからみそ汁。一人ずつに取り分けておいたので、残った食べ物はお持ち帰りいただきました。3人の予定が4人に。Oさんにも、と思っていましたが、今回はごめんなさい。またね!皆さん8時頃にいらして、10時頃、急に春雷。その雨の一番激しい時に帰るようになってしまい、傘をお貸ししました。もう少し待っていたらあがったのに。残念!!午後からは日差しも戻ってきました。本当に気まぐれな天気。皆さん「さくら」を弾いて、二胡も触って、三線も聴いて頂いて、記念撮影。ロールピアノには驚いていました。日本の電気製品技術は優れているという話しになりました。私もこのロールピアノは気に入っています。夫が昨年の誕生日に送ってくれた物で、ずいぶん役に立ちました。ありがとう! 
 孫先生は飲み込みが早いので、もう「六段調」の三段までいっきに行きました。これなら帰るまでに覚えてもらえそうです。奏法も、わり爪、あわせ爪、すくい、ワ連、はじき、押いろ、掛押、等のうち特殊なものだけピックUPして覚えようとしているところが合理的。箏を譲っていく甲斐があるというもの。この間帰国したときに楽譜を何冊か買ってお渡ししてあります。でも山田流御用達、博信堂のものはもうありません。私は弾けませんが、生田流の有名な曲「春の海」「さくら変奏曲」の縦譜や、私が習った山田流の曲「六段調」「千鳥」「乱輪舌(みだれ)」等の横譜。もっといっしょにやりたいですが、もう時間がありません。なんでも芸事は時間がかかるもの。でも、「奥許し」しかいただいていないのに、教える経験ができて、本当に良かったです。 

買い物

 オリンピックホテル(正面左側の入り口。831路845路902路の三つで、南門の復康路八里台から体育館で降りると行けます。)マーケットに久しぶりに行きました。レジが混まないのが有り難いです。割高ですが、ついつい日本食を買ってしまいます。ISETANに行くより便利です。買い物時間も15分もあれば充分。バスに乗れば片道10分強。並びのパン屋さんでフランスパンを買って帰りました。早速輪切りにして冷凍。これでしばらく楽しめます。

The theme of the second session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by Prof. Liu Jiangyong, who is from Tsinghua University’s Institute of International Studies. His lecture dealt with the relationship between China & Japan in 2008. He had added new pictures and the latest news. He met many famous people when he went to Japan in March. He talked about Japanese paved roads and bathrooms. It must have surprised students who had never been to Japan. I was very glad that he recognized me.

Internet

From Friday to now, the packet level was very low, so the internet service was slow or nonexistent. So, we couldn’t hook up to the Internet. This has happened to us around here many times. But, I am under a lot of stress. This blog is also a rough copy, the reason being that we couldn’t use the Internet for a long time. Since I write this blog once a week, I tend to bring up a lot of topics.

Please forgive me for not returning e-mails immediately. I hope I can hook up to the Internet after the holiday.

“Kiso no saigo (End of Mr. Kiso’s life) ” was a kind of the “Bushi do”

My classical Japanese lesson was about The Tale of Heike . One of student wrote a paper saying that Kiso seemed like the Chinese hero “Xiang Yu.” I gave a question about being humane, and the meaning of life and learning. What is central to our way of life?

The heart Appealed to a Beauty” by Hideo Kobayashi.

This essay was very difficult to understand, even for Japanese. The motif is the principles of life. I introduced “Kusamakura” by Soseki Natsume and Koji Maruyama, who is a sign language interpreter.

Mami Yoshida is my friend. She is supporting Rwandans. She is making artificial legs for disabled Rwandans. I showed some TV programs to my students. They were moved by her work. I helped her a little when I was in Japan. I was wondering about this NGO work from here.   

The Post recording contest

I served as a judge. Most students study English who take part in this contest. Japanese language students only had 3 groups, which were all made up of sophomores. I was disappointed that there were no third years students in this event. On the same day, I spoke with the French teacher in English.   

The Speech contest

I corrected my students’ speech copy. One of them deals with “kindness.” She was moved by Mitsuo Aida’ s words: “You decided your happiness.” If you think that you are happy now, you are happy.

She said that after she heard these words, her life was changed. I was very happy to hear that.

Academic Harassment

Quite a few students were hurt by academic harassment from their teachers. Of course, such teachers are fired for that reason in Japan. But China is different.

“Ears of rice that bear rice bend down”: a person is truly wise if they don’t boast about their own intelligence.  Some people from Japan who couldn’t get jobs in their own country take out their stress on their students and coworkers.

My dream is world peace. I hope for everyone’s happiness. But sad to say, thoughtless people break that dream.

Many of our ancestors built up Sino-Japanese relations. Don’t disgrace their memory.

Every morning, I tried to do taichi with Ms.K.

We got a 32-type taichi sword. But I can’t do it by only myself. We did 24 and 48-type taichi to music. Without music, I can’t do it. I have to remember the movements, all 3 types. It is very good for me to do taichi with her. I do my best.

My Chinese friends came over and played the koto. They do taichi by the lakeside every morning.

I prepared a Japanese breakfast (Tenpura, Sushi and Miso-soup) for them. We enjoyed playing the koto and listening to music.

Ms. Son played the koto. She is very good at it. When I go back to Japan, I will give her my koto.

I hope that she will be able to play the song, “Rokudan no Shirabe.” 

I went shopping.

The Olympic Hotel has a Japanese market. That is a very convenient store. You can get there by 3 different bus lines.

I bought some Japanese foods and French bread. I cut it and put them in the freezer. I can enjoy the taste for a little while longer.      

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2008年3月16日 (日)

結婚式 中華人民共和国国家外国専家局 

古典の授業

王健宜教授と劉雨珍教授が私の古典の授業をご覧になりました。パワーポイントを使い、プリントを多用した授業をご覧になり、いろいろ誉めて下さいました。昼は交流処副処長の種健氏がご招待くださいました。

中華人民共和国国家外国専家局 

教科文衛専家司副司長の李躍民氏を始め、雷風雲氏、徐進氏が、神奈川県からの派遣が30年続いたということで記念品を持っていらっしゃいました。関乃佳副校長もご列席くださいました。また、専家局の方々は私の部屋の本をご覧になりたいということで、お越しになりました。この間の歩平先生や南京でのこと等、資料をテーブルに並べておきました。「六段調」も一段目だけご披露しました。夜は狗不理で晩餐会にご招待下さいました。

結婚式

教え子の結婚式参列のため週末にとんぼ返りで帰国しました。JALだったのですが、フライトアテンダントに「お帰りなさい。」と言われて違和感。私の中ではちょっと日本に行って、天津に帰る、という感覚。職場にご挨拶。友人と打ち合わせ。分刻みの日程。当日、快晴の134号線。江ノ島、富士山も見えて最高でした。彼女もとってもきれい!彼もすてき!ハワイ式結婚式。笑いがこぼれる和やかな雰囲気の式と披露宴でした。高1の同級生3人も列席。久しぶりに会って、すっかり10年前に戻ったよう。お祝いの言葉を述べさせて頂きました。成田に前泊。佐々木瑞枝先生と同じフライトで天津へ。夜は狗不理で自前の歓迎会をやらせて頂きました。

佐々木瑞枝先生講演会

100人を越える学生の前で、自動詞・他動詞・ジェンダー等、4つの項目を取り上げて下さいました。ビデオあり、実演あり。終始和やかな雰囲気でした。雑誌の取材も入りました。外国語学院のお招きで昼食会。午後は先生のお好きなところへご案内。明くる日、私は午前中授業なので、通訳の先生と運転手さんにお任せで、先生には天津をたんのう頂けたのではないか、と思います。昼は外事処の昼食会。午後には北京に移動されました。

南村志郎先生御講演

木曜日は天津科技大学の中日友好交流講座。天津日報の取材も入り、人民日報のインターネットにも配信されるとのこと。国交回復前の民間交流の具体的なお話しをお聞かせ下さいました。

河西区へ返礼宴 

佐々木先生が河西区の方々を狗不理にお招きになるということで、春日先生に全面的にご協力願って、無事終了。円卓の着座について良い勉強になりました。他にもいろいろ勉強になりました。日本語と中国語を話せる人が私を含めて4人しかいなかったので、カタコトで、通訳とはほど遠いお話しをさせて頂きました。簡単なことなら言われていることはなんとなく分かるのですが、話せません。もっともっと勉強しなくては!

天津外国語学院高中学校

(日本でいう高校1年生)3人と先生が来てくださいました。彼女たちは、この2月に神奈川県と京都府の学校を訪問。来週は神奈川から生徒が来るそうです。日曜日、一緒に博物館に行こうと話しています。

相変わらずの激動の日々です。今月は特にオフィシャルなことが忙しく、狗不理には3回も行き、服務員の一人に覚えられてしまいました。

Li YueMin, Deputy Director of the Department of Cultural Educational Experts at the PRC State Administration of Foreign Experts Affairs came to see me. Because Kanagawa Prefecture has been sending teachers to Nankai University’s College of Foreign Languages for the last thirty years. He gave me a souvenir. We went to a dinner party at“Goubuli”

Hawaiian style wedding

I flew home on the airline JAL. The flight attendant said to me, “ welcome back!” But I felt a very strange feeling. I thought, I went to Japan and came back soon to Tianjin. I went to Japan to attend my student’s Hawaiian-style wedding in Kamakura. She is very beautiful. Her husband is very nice. It was a sunny day and there was a beautiful seaside view. I could see Route 134, the Enoshima Island and Mt. Fuji. I met other students, too. I felt as if we had all returned to when we first met, when they were all in high school. I said a few words for the bride and groom.

Professor Mizue Sasaki’s lecture

My teacher Ms. Sasaki came to Nankai University. Her lecture dealt with intransitive verbs and transitive verbs, gender and so on.

The theme of the second session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the former Kinkazu Saionji’s secretary, Shiro Minamimura was the Japan-China private sector relationship. He is a very famous person, so his lecture was mentioned in the newspaper Tianjin Ribao.

I had some students over from Tianjin Foreign Language High School. In February, they went to one of Kanagawa prefecture’s high schools. We plan to go to Tianjin Museum next Sunday.

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2008年3月 2日 (日)

第二期 天津科技大学公開講座

一部講師については日程調整中でありますが、以下の講師の講義は決定しました。

とのことです。

 306日 劉 徳有 講師 

 313日 南村志郎 講師

 320日 宮崎 勇 講師

 327日 呉 学文 講師

  403日 劉 江永 講師

  410日 張 雲方 講師

  417日 王 効賢 講師  中日友好協会副会長

  424日 歩 平  講師

  508日 (未定)

  515日 (未定)

  522日 福川伸次 講師  元通産省次官、現機械産業記念事業財団会長

  529日  佐藤嘉恭 講師  元駐中国日本大使、現東京電力顧問

 612日 (未定)     開発区キャンパスで実施

来週から私は聴講します。

初級口語

社会科学院の授業が終わりました。若い孫先生はとても上手な教え方でした。語学を学ぶだけでなく、教え方も学ぶところが多かったです。

“時間像流着的水。中国的生活一下子就過去了。剛来中国的情景好像発生在昨天一様。”

最後の課で学んだことです。

絵が上手で漫画好きな孫先生は英語が分かるということなので、源氏物語の英語付きの漫画を差し上げました。とても喜んで下さいました。本当はコナンが好きなんだそうですが、それは持っていませんので。

「上海から先生がやってきた」というNHK「中国激流」を見ました。

この大学にも、ああやって必死に勉強し、今ここにいる学生がいるんだと思います。

貧困は本当にものすごい格差を生んでいます。天津は都会ですから、なかなかそこまでの貧困を直視することはないですが、この国だけでなく、世界経済の仕組みは、富める者をますます豊かにし、貧しい者を置き去りにするようにできているとしか思えません。

お金が仇の世の中。知足を悟らず、富と権力を求めるようになった人間。なんのために生きているのやら。悲しいことです。

授業再開

学力にものすごい差が出ています。この二ヶ月、どう過ごしてきたのか。テキメンです。

私も、もし日本に帰っていたら中国語の勉強などできなかったでしょう。毎日やるなんて無理です。勉強はやはり休んだらすぐ忘れるものですね。

悲しいかな、それが人間の脳の仕組みでもありますから、やむを得ないのでしょう。どうしても必要と海馬が判断してくれないと大脳皮質まで到達しないんですから。

さて、あと4ヶ月で、2年生は日本語能力検定1級試験の目処を付けねばなりません。3年生は中国の日本語専攻8級試験。一人でも多くの学生に合格してもらいたいです。そのためにどんな手助けができるのか。少しでもお役に立てればいいのですが。

私の親友の孫先生にお箏「六段調」をお教えすることにしました。天翼(テンイー)君もいっしょに来てくれました。彼は本当に私を幸せな気分にしてくれます。なんでもひたむきに、ちょっとはにかみながらやるその仕草が、なんとも愛らしい。年も近い息子とダブって見るせいもあると思いますが、孫先生の母としての発言に、我が身をかぶらせ、子供の気持ちに思い至っているところです。

いよいよ一時帰国の日が迫ってきました。前日は全く用意する時間がないので、明日、明後日でなんとかしないと。食べ物がダメだから、お土産はなし!オリンピックグッズでよさげなのがあれば、空港でGETしようと思います。

Chinese Language School

I went a Chinese language school the last two months. My teacher is very young and a very good teacher. I learn Chinese from her but also learn teaching methods from her.

Time flies. Many of the experiences that I had since my arrival in China seem like only yesterday.

My Chinese teacher likes manga so I gave her the comic book version of The Tale of Genji . She seems to be enjoying it.

I watched an NHK program about an extremely poor village in China.

Some of my students come from similar places. They have overcome their impoverished backgrounds.

Every country has the same problem. Money can breed unhappiness.

We should know when we have enough, and be satisfied with that. Why do people live beyond their means? It is a regrettable thing indeed.

Class is back in session.

My students levels are very different. How they spent their two-month holiday has become clear. In my case, if I had gone back to Japan for the last two months, I wouldn’t have had the chance to study Chinese. Staying here was best for me.

The human brain tends to forget what we learn unless we practice constantly. So, we have to keep on studying.

I have to help my students who are studying for level 1 on the Japanese Proficieny Test or its Chinese counterpart. I will do my best for them.

My best Chinese friend Son started to study “Rokudan no sirabe.” Her son Tianyi always made me happy. He took great care to be humble and polite. He has a lot in common with my son. 

My friend said something to him that gave me a chance to think about my words.

I have to think about my children.

Soon, I will take a trip to Japan and spend five days there. I have to prepare some souvenirs. But I can’t use food as a souvenir like I normally would, because some food imports from China were contaminated so Japanese people don’t want to eat food that comes from China. So I will buy some Olympic goods at the airport instead.


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2008年2月24日 (日)

中級口語

中級口語

いよいよ中級の教科書に入りました。最初のほうは、初級とあまり変わらず、ホッとするやら、気が抜けるやら。でも、ピンインも声調もふっていないテキストですから、調べるのは大変。友人のノートがあるので大助かり、と思いきや、なんとテキストの版が違うのか、本文が大幅に違って、がっくり。

やっぱり自分でやらなきゃだめということですね。それでも2回で3課まで進みました。帰国前にこのテキストが終わればいいのですが・・・。だんだん難しくなるからどうでしょう。

「がんばらない」を二日間で読み終わりました。

末期医療の現場の話し。私も癌とかだったら、痛いのだけは薬でなんとかしてもらって、延命治療はして欲しくないです。なるべく自分らしく、最後は自宅でも病院でも家族の都合の良いほうでいいけど、とにかく、動けるだけ動いて、行きたいところに行って、食べたい物を食べて、会いたい人に会って、「やあ、みんなありがとね!」って言って死にたいな。みんな死ぬのだけは平等なんだから。

どこに行きたいか?稲村ヶ崎ですね。そこから江ノ島大橋と富士山を見たいです。大島も湘南海岸から見たいですね。湘南で育ったので、やっぱり最後に見たいのは海でしょう。骨はできれば海に散骨して欲しいですが、面倒だったら、まあ、これも家族にとって都合の良いようにしてもらったらいいと思っています。

そういえば、周恩来総理も川に散骨したんですよね。

NHKスペシャルでも末期医療の話しをやっていましたが、これからは超高齢化社会になるので、どう終焉を迎えるかというのは、本当に大きなテーマだと思います。

子供が独立したら、用意を始めたいですね。まず、持ち物を減らして、必要最低限に絞ること。後で捨てるのが面倒ですから。今は現役で仕事をしていますから、いろいろありますけど、ほとんどのものがいなくなったら不必要なものでしょうから、家族には悪いけど、自分たちが使えそうな物だけ拾い上げて、あとは捨てて欲しいです。

私はある時からおまけの人生だと思って生きてきたのですが、先日ある友人にそんなメールをしたら、「人生そのものがおまけみたいなもんだよ。」と返事が返ってきました。

なるほど。そう考えるとずいぶん気楽な気がします。折角の命ですから、やれることをやって、「ま、いっか!」って自己満足できたら最高かもしれません。人に意地悪したり、人を蔑んだりする馬鹿な人間にさえならなければ、それで充分かな、と。しかし、なりたくない自分になってしまう、というのは夏目漱石の「こころ」のテーマのように、往々にして起こりうることです。「良い人生だった。」と言えるよう日々自戒せねば。

私はここで中国人の親友を得ました。あと四ヶ月しかここにいられないとなって、その友人との時間をいとおしむ気持ちで一杯になっています。日曜日も彼女に付き合ってもらって買い物に行きました。お互いに別れの時を意識し始めています。正直つらいです。

元宵節が終わり、氷が溶け始めました。春の到来です。中国人の友人にもらった餡入りのお団子を、日本人留学生と一緒に食べました。もう、二度とここでこの時期に食べないかもしれない、そう思いながら。

2月22日金曜日、早朝、綿雪が降りました。積もるかな、と思ったら、8時半には止んでしまいました。嬉しいような寂しいような。土曜日は快晴。日曜日はまたちょっと雲りぎみ。しかし、東門前の氷はすっかり溶けました。

あと20週で帰国。行事も目白押しです。一日一日を精一杯生きたいと思います。

今回の英作文は、“イミフ”だったそうで、全面的にブレアさんが書き換えてくれました。

やはり勉強は継続しないとダメですね。トピックスが難しかったこともありますが、英語を全然読まなかったし、書かなかったのが敗因でしょう。語学の難しさを改めて感じました。彼と日本語と英語で話しながら、私の言いたかったニュアンスを伝えました。彼の日本語力がハイレベルなので、可能なことです。逆のことができたら良いのですが。一生勉強ですね。

Intermediate Spoken Chinese

At last, I finished my Elementary Spoken Chinese textbook.

But, the beginning part has almost same content as the Elementary textbook.

My friend lent me her notebook, but her notes were about a different edition of that book, so I was disappointed. So, I’ll have to work my way through my book on my own.

I finished two lessons in the time it took me to do one. I hope to finish the new book before I go back to Japan.

I read a book called ‘’Ganbaranai.” This book is about a patient with terminal cancer. If I were in the same position as the patient in this story, I would want to take medicine to dull the pain, but I would prefer not to undergo treatment to extend my life. I would rather enjoy what time I had left, and spend it doing the things I like doing, and seeing people I wanted to see. I would rather do what is easiest for my family, whether that meant staying in the hospital or living at home. And hen the time came for me to die, I would rather die with dignity. One of my final wishes is to tell everybody how thankful I am to have had them in my life.

Another one of my final wishes is to see the town of Inamuragasaki. Also I would like to visit Enoshima-Ohashi, and Mt. Fuji. I would like to see Mt. Fuji from Oshima, and also from the Shonan Coast. I grew up in Shonan, so the last thing I would like to see is the ocean. If possible, I want my ashes to be spread over the ocean. Of course, if this were a burden to my family, I wouldn’t consider it necessary.

Come to think of it, Premier Zhou Enlai had his ashes spread over a river.

NHK did a special on the treatment of terminal patients. In Japan, a society whose population is aging rapidly, the question of how Japanese people face death is growing ever more important.

After my children grow up and move out, I plan to start sorting through my possessions and deciding which ones to keep, which ones to give away, and which ones to throw out. I only want to keep the things that are absolutely necessary to daily life. If I leave a lot of things behind, it will be a burden on my family to sort through them. And if I have anything that could be useful to others, I want to give it away, and throw out any needless things.

Even now, I feel that I have lived fully, and any time that I am allotted after this point is extra --- like a gift, or a freebie. I mentioned this idea in an email to a friend the other day, and he told me that a person’s whole life is the way I described the rest of mine. Seeing life that way must be liberating. We are given one chance at life, and as long as we do our best, the best thing is to be satisfied with it. As long as we aren’t cruel to others, and we don’t look down on people, I suppose that’s good enough. However, as in Natsume Soseki’s novel Kokoro, sometimes one becomes the kind of person one has always dreaded becoming. We have to live in such a way that one day we can look back and say, “I lived a good life.”

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2008年2月16日 (土)

初めての中国

教え子二人が私を訪ねてくれました。初めての中国。北京まで迎えに行きました。

 便が着いたのが夜10時15分。しかし、なかなか出てこない。11時半くらいにやっと会えて、天津に戻ってきたら2時近かったです。

天津めぐり

10時出発。学内巡り後、周総理記念館、そして天塔に上がりました。「天空の城ラピュタ」を体感。床が硝子張りの展望台が外にあったのです。家族が来たときは見そびれました。足がすくむ感じ。でも、一種の快感。

狗不理でお昼を馬老師と一緒に食べ、古文化街と家楽福(ジャーラーフ=カラフール)でお買い物。夜はバスで出かけて、孫先生宅で家庭料理。李先生や85歳の書道家の先生もご一緒。いつもおいしい料理をたくさん作って下さって、ありがとうございます!家庭料理を初めて来たのに味わえる人なんて滅多にいないと思いますよ~。タクシーにも乗車。

7時半出発。四時間かかって、司馬台長城。敵台5つ目まで行きました。

かなり遠くまで続く稜線上の長城を見渡す事ができます。八達嶺と違って、人はほとんどいません。サイドの塀もないところがあり、しかも両サイドは絶壁。かなりの迫力です。

風が強かったら危険です。ゴンドラに乗って、一つか二つ上がるつもりが、ゴンドラは休止中。誤算が生じました。

2時半過ぎに出発したものの、フルスピードで北京まで戻るのに2時間半。そのため故宮の閉館時間にちょうど戻ることになってしまい、仕方なく景山公園から見下ろすだけになりました。残念!でも、故宮は日本からのツアーがいくらでもありますし、八達嶺も行けますから、またチャンスがあるでしょう。次は新しい家族と訪れて頂きたいものです。

 後30分早ければと思いましたが、2時間半で戻ってきたことが驚異です。王さんありがとうございます。

 北京で同僚と待ち合わせ

 彼女達のホテルで待ち合わせしようとしたら、違うホテルで待っているとのこと。中心街(王府井)の大きなところなので、すぐ分かってホッとしました。王さんが北京ダックのチェーン店に連れて行ってくれました。本場北京。目の前でさばいてくれます。(詳しくはアルバムをご覧下さい。)ホテルは分かりにくい奥まったところにありました。でも、さすが王さん。ちゃんと見つけて連れて行って下さいました。

 ここで彼女たちと別れ、同僚と天津へ戻りました。

 4月に友人が来るときは八達嶺にしときましょう。故宮を見たいでしょうから。出発も7時にした方がいいと思いました。

次の日、午前は中国語の勉強。買い物をして、同僚に天ぷら蕎麦を作ってさしあげ、ちょっとオーバーワーク気味?

筋肉痛で足がちょっと痛かったので、昼に湯船につかり、ゆっくりリラックス。

午後2時過ぎに遅めのお昼寝。で、次に目が覚めたときに6時半で、うっすら明るいから、わー16時間もねちゃったのか?って本当に思ったんです(笑)朝食のつもりの夕食を食べて、テレビをつけたら番組が見慣れない??あれ?朝の番組ってこんなだっけ??カーテンを開けたら??なんで暗くなってるの??もしかしてまだ4時間しか寝てなかったのに爆睡したと思いこんだ??って気づいて唖然。道理で厚物洗濯物が乾いてないわけだ。とんだ勘違いでした~

結局、この入浴と湿布と休息の効果か、足は思ったよりすぐに回復。

教え子には「やるな()」とメールをもらい、私ももう一度彼女に送ったメールを読み返し、我ながら大爆笑しました。

太極拳の撮影会

 太極拳の服を着て、レッスンへ。カレンダーを作ってくださるというので、ポーズをしたのですが、これが大変。「もっと低く構えて。」と言われて、またまた足が筋肉痛になりそうでした。

 

「友あり。遠方より来たる。また楽しからずや。」こうして怒濤のような一週間が終わりました。彼女達が来るのをとっても楽しみにしていましたが、あっという間に帰って行ってしまったかんじ。でも、司馬台に行ったことは一生の思い出です。

あと3週間で一人は結婚式。花嫁姿を楽しみにしていますよ。それにその時の同級生にも会えるとのこと。これも、ものすごく楽しみです。

彼女たちが持ってきてくれた本を読みました。

「雪とパイナップル」チェルノブイリのこと。

あと二冊。今週中に読めるかしら・・・。読んでいない本がたくさん。中国語の合間に読まねば。来週から授業が始まります。

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2008年2月11日 (月)

日本人留学生・日本語教師

春節の時に知り合った3人の女性。早速家にきていただきました。

 お互いに人生経験が豊富なので、話題が尽きません。

ドイツに留学していて、さらにそこから中国語を勉強するために中国に留学してきた方。「目から鱗」のお話しばかりで、すっごく面白かったです。

K大の先生。彼女と日本語教育に関して話しが出来て、すごく嬉しかったです。中国に来ていても、日本語教授法を勉強していない方が大半というのが実態。本学もしかり。いわゆる日本の「国語」と、外国人に教えるための「日本語」とは別のものであることを分かっている方と話せるのは本当に有り難いです。他にもいろいろお話しできて、久しぶりに頭が活性化しました。また、お目にかかりたいです。

本学の留学生。彼女が山田流のお琴を習っていたというのでびっくり!ここで、私以外の方が「六段調」を弾いて下さるなんて夢にも思いませんでした。「のだめカンタービレ」の話しから入って、南京の話題から、次々話題満載。またゆっくりお越し下さい。

とにかくこのお三方にお目にかかれたのは運命でしょう。私ってなんて運がいいのかしら。

ブレアさんが久しぶりに来ました。私がお手伝いできることがあってよかったです。彼もご家族がいらっしゃるとのこと。北京に行くと言っていました。楽しい週末を!

母の誕生日。家族に電話。みんな元気そうでなにより。

  休み中、パワーポイントを作り、beike。(授業の準備)これで一ヶ月は慌てずにすみそうです。

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2008年2月 8日 (金)

春節好!「こころに笑顔の花満開」

休みに入って、まず、卒論の面談?

佐々木瑞枝先生、そしてそうがく社の鈴木様のご助言により取り寄せた本を彼女に渡し、いよいよ本格化。四年生の皆さん!調べたことだけを書いたらレポートですからね。ちゃんと自分なりの考えを書いて下さいね。教師っていつも応援団です。あなたの人生はあなたが主役なんです。だれも代役はいませんから。頑張って下さいね。

春節は去年と同じように、孫先生のお宅で年越ししました。ニュージーランド人のジムさんと書道家のご近所の方と。もちろん英語と中国語の世界です。食事の前に爆竹をやって、それからご馳走になりました。孫先生の料理はいつもとてもおいしい!!です。私は彼女に会えて本当に幸せです。ジムさんが私にEnglish Name を付けてくれました。Harmony か Melody がいいって。Melodyは女の人によく付ける名前。これのほうがしっくりくるかな。Harmonyは私の理想ではあるけど、現実ではないから。微妙。

日本の紅白のようなCCTV1を見ながらの年越し。花火が上がって、日本の「行く年来る年」のように、いつもの曲でしめくくり。しかし、私にとっては、中国で最後の過年。次にいつ来られるか、それは全く分かりません。ちょっとそんな話しも出て、お互いに「考えるのはよそう!」となってしまいました。「またすぐに会えるんだから。」と言って、お団子のような、新年に食べるものを頂いて、歩いて帰りました。(タクシーは拾うのが大変。待っているうちに着いちゃいます。)

通りは人もまばら。でも、花火と爆竹が途絶えません。でも、去年よりずっと少ない気がします。去年は本当に毎晩、毎晩うるさくて、睡眠不足だったのに。通りの飾りも意外とあっさりしているし。猪年というか豚年というか、それはやっぱり特別なんでしょうか。よく分かりません。

久しぶりに朝寝坊しました。そして、日本語八級試験の試験問題を打ち込んで、教材を作りました。二時過ぎにKamalに電話。留学生とのパーティーに参加するかどうかきいたら、「用意してる。」との返事。そうか、また彼は主催者側なんだ、とその時初めてわかりました。ごめん!分かってなかった!

Julieと待ち合わせて行くことにしました。建物を出た途端、Julieが、「なんか食べ物を持ち寄るんだった。」と言い出して、ギョッとしました。でも、夕べ孫先生がもたせて下さったものがあるから、それを持って行こう、ということで、もう一度部屋に戻って、冷蔵庫からパックを取り出して、持って行きました。

後でインフォメーションの紙を見たら、確かに、「Please remember to prepare a dish and bring it to the party,・・・」と書いてありました。全然ちゃんと読んでない証拠。あーやっちゃった。分かってたら天ぷら作ったのに。後悔。しかし、遅い。ま、しょうがない。

留学生担当の先生方紹介の後、教師から、一言、ということで私が言うことに。そういう話しは何にも聞いてなかったんです。でも、仕方ないですね。とにかく、呼んでくれたお礼と、皆さんの勉学が益々向上されることを祈っているというようなことを日本語で言いました。Julieも言うのかと思ったら、私だけ~えーそんな!ま、しょうがない。

その後抽選会。いきなり当たって、ネズミの縫いぐるみをもらいました。さい先がいい?のか、当たり年ということなのか?

それから、持ち込んだ食べ物について紹介ということになり、正直に、「我的太極拳老師做・・・対不起!」と説明?というか、その時にやっと自分が作った物を持ち込むのだと理解。ただ、なんでもいいから何か持ち込めばいいのだと思ったら、そうじゃないということが分かったという具合。全く、申し訳ない。

それでも、Kamalが作ってくれた料理とか、他の学生が作ったものを少しずつ食べることができて、嬉しかったです。それからゲーム。こういう時、俄然がんばるのがKamal。本当に彼は、人のために一生懸命動く人です。私は正直、こういうのは苦手。社交的に見られますが、本当はすこぶる内向的な人間なので、こういう時は積極的に前に出ることはありません。でも、指名されて、豆をお皿に移す競技に参加。やー中国の箸は先が細くないので、正直日本の箸と違って、つかみにくいんです。しかも小豆。日本人二人韓国人一人の女性チームが負けちゃいました。ま、しょうがない。でも、良い思い出。

どういう訳か、李先生のお母様が私の隣に座られて、いろいろ話しかけて下さいました。私は、KamalとSeydouがとても素晴らしい人なのだ、と紹介しました。Seydouは国に帰ったら国家公務員。きっと出世街道をまっしぐらなんでしょう。でも、私の中国語のレベルではちゃんと説明できません。Seydou自身に隣に来てもらって話してもらいました。彼らは、私のことを「先生で、友達」と言ってくれます。本当に嬉しいです。だから、本当はパーティーを抜けだしたいところなんですが、最後までいました。

しかし、最後に、いやーな予感が的中!縫いぐるみをまわして、ストップがかかったら何かやる、っていうのに当たってしまったのです。一番苦手なのに~

「さくら」を途中省略で歌いました。家に帰ってきてから「故郷」を手話でやれば良かったと後悔。次に何かやるときは、(できればないことを祈りますが)それにしようと思いました。ま、いっか。

さて、さて、すべてが終わって、記念撮影。Seydouが私を隣に座るように促してくれました。こういう時、いつもSeydouは中心。Kamalは脇に。本当にこの二人の絶妙なコンビネーションには頭が下がります。

そして、三人で記念撮影。このために最後までいたようなもの。この二人の友情に答えなければ罰が当たると思っています。彼らは本当に素晴らしい人格の持ち主で、尊敬しています。Zaccがいないのが残念。彼も素晴らしい人です。

終わって帰り際、爆竹を始めました。そこで、日本人留学生に声をかけました。ここのところ気になっていたことが解明され、しかも、一人は科技大の関係者と分かり、世間の狭さを実感。近々お目にかかることにしました。

まあ、今日もドジばかり踏んでしまいましたが、行って良かったと思います。SeydouとKamalを益々尊敬できるようになりましたし、彼らと知り合いであることを誇りに思っています。そして、日本人留学生と出会えたことも良かったです。私の知っているのはKちゃんやNちゃん、それに数人の後輩だけでしたから。別に日本人で固まろうとか思わないのですが、日中の架け橋になってくれるだろう若者達に夢を見せてもらっている感じです。自分が十代二十代の頃は外国に行くということは全く考えられませんでしたから、その事だけでもすごいと思います。そして、ここで学んだことは、きっと彼ら若者の将来に生きてくるだろう、と思うとワクワクしてしまいます。

日本は島国ですから、どうしても、「井の中の蛙」になりがちだと思います。それで困らないというのもあるでしょう。しかし、世界は広くて、いろいろな人がいて、自分の人生について考えさせてくれる事が山ほどあるということを知るのは面白いことです。

チャンスがあったら、是非、いろいろな国の人と話をして欲しいです。日本国内であっても、自分でそういう機会をつくってみるのもいいのではないでしょうか。

夜、娘から電話がありました。青春してるな~。うんと悩めよ!とエールを送りたい気分になりました。若い頃悩むことは大切な事です。

たった今、日本の元同僚の方からEMSでカードを頂戴しました。

「今は今しかない時を存分に満喫してくださいね」とのこと。こころが暖かくなりました。

「こころに笑顔の花満開」

私の大学の同級生からもらったカードにはそう書かれています。机の前に張って、ふっと一息ついた時に見ています。

こうしていろいろな方々に支えていただいているのだな、と改めて感謝!感謝!

今、時差の関係で、出勤前に朝ドラをみることが出来ます。

「ちりとてちん」というのをやっていますが、そこで、「死ぬことの最大の不幸」は何か、という話しが出てきました。

「身につけたものがなくなる。」技術とか知識とか、その人の持っていた者がなくなるのが一番つらい、という話し。

でも、逆に、お金で買った品物より、身につけたものは価値があるし、誰にも奪うことができないし、その人がその人である証でもあるから、それが灰になるのは不幸とは思いません。中身を高めることが、生きる力を見せることが「生きる」ということだと思うから。

「伝えたいものは、師匠のこと大事に思ってるもんが、伝えてくれる。」

私が伝えたいこと。世界が平和になるために小さなことでいいから、何かすること。それは、娘にも私の出会った学生にも伝わっていると思います。だから、私は命を全うできればそれでいいと思います。

ウルトラマンガイアの中のアグルのせりふ。

「人にはそれぞれ与えられた使命がある。」

「ちりとてちん」にも「寿命は決まってる」みたいな話しがありました。

やっぱりいつもと同じ結論。できることをできるときにできるだけ。

蛇足。明日は日本は雪模様とのこと。観光客向けに、すべらない歩き方講習会というのが札幌ではあるそうで、①足裏全体で歩く。(普通はかかとから地面に足をつけると思いますが。)②小幅で歩く。③横断歩道などの白いペンキの上は避ける。(すべりやすい。)なんて話してました。参考までに!

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2008年1月27日 (日)

3月11日 佐々木瑞枝先生 南開大学で御講演

ビッグニュースです。
元横浜国大教授、現、武蔵野大学大学院教授の佐々木瑞枝先生が、南開大学の学生を対象に御講演くださることが決定しました。
日本語教授法を学んだ日本語教師でその名を知らない者はいない、佐々木瑞枝先生。「留学生と見た日本語」を読んで日本語教師を目指した人は、世界中に大勢いると思います。もちろん、私もこの本がきっかけでした。
3月11日10時から、聴講は1年生を除く学部生全員と大学院生全員が対象です。昨年5月に青島でお目にかかった時から、もしうちの大学で御講演頂けたら、どんなにいいでしょう、とお話しておりました。本当に実現するなんて、夢のようです。もともと、3月13日に北京外国語大学で御講演があり、その数日前に中国にいらっしゃるので、「会いましょう。」というメールを頂戴したのがきっかけでした。私一人にお会いになるためにお越しになるなんて、畏れ多いし、もったいないし、そんなことは申し分けなさすぎます。そこで、大学側に働きかけて、実現したのです。
しかも、今、卒論を担当している学生が外来語と略語について書こうとしているのですが、その事にもふれて下さるとのこと。ちょうど広辞苑も改訂されて話題にもなっていますし、私自身も二年生の授業で触れましたから、本当に願ったり叶ったりの御講演内容です。また、その卒論の参考文献のことでご相談したら、出版社の方に問い合わせもしてくださって、先方もまた懇切丁寧にお答え下さり、迅速な対応で、本を中国にお送り下さるなど、感激の言葉もありません。(「そうがく社」の鈴木様ありがとうございます!)
更に、横浜国大の門倉正美先生も、もし御時間があれば、いつかお越しいただけるとメールを頂戴しました。実現したら、すごいです。日本でだって、そんな夢みたいなお話、そう簡単に実現することではありません。本当に中国に派遣されてよかったです。うちの学生に最高のプレゼントができたと思います。

3月からまた、天津科技大学の中日友好講座も再開します。今回は、南開大学の学長を始め、元日本国中国大使もいらっしゃるとのこと。また学生を連れて行くつもりです。素晴らしいお話を学生や知人に聞いてもらえると思うと楽しみです。

中国語の勉強 

毎日通っています。通常の個人教授もお願いしているので、中国語三昧。しかも、二胡も習い始めたので、睡眠時間が減りました。太極拳は土曜日だけ。毎朝は無理です。太極剣もさっさと覚えないと、半年を切っているのに、と焦るばかり。(指導は中国語と英語。でも最近は中国語がほとんどです。)とにかく、運動が苦手な者にとってはやはり、大変なことです。今日も、手ができたら足がだめ、またその逆、剣の向きが違う・・・とパニクってました。
(そう、最初に卒論を書くという学生に言われたのが、この「パニクる」という「外来語の動詞化」でした。しかし資料が少なすぎて長く書けそうもないので変更しました。) 
いよいよ春節。曲阜に行こうとおもったら、汽車の切符が取れずあきらめました。連日ごった返す駅の様子が報道されています。毎日中国語のニュースを見ていますが、本当に中国は人が多い・・・。と、書きながら頭に中国語が渦巻いています。えっと日本語だと~みたいな。習い始めのレッスンの録音を編集していたら、こんなひどい発音で、こんな反応しか出来ていなかったのか~とびっくり。でも、裏返すと、今は、結構聞き取れてるんだって分かって嬉しいです。
昨日の中国語の宿題は「日本式結婚式」について発表原稿を書く。中国語でA4裏表、30行になりました。馬先生と孫先生に見て頂きました。読めるようにピンイン調べなきゃ。中国語のクラスは6人。私以外は韓国人。みんな優秀で、一生懸命です。年齢も私と同じくらいの人が他に2人。あとは10代20代の人です。 この二ヶ月、頑張って初級口語3の教科書を終わらせます。2月末からは中級口語1に入れますように。
今日、教科書を一人で買いに行きました。佐々木先生に差し上げる記念品も買いました。こういう買い物も、最初は一人で行けなかったことを思うと、やりとりが少しできるようになった自分を誉めてあげたいです。とにかく、自分なりに頑張るしかありません。  

二胡

有名な曲を一曲か二曲弾いてみたい、ということで、今は「説句心里話」という曲を習っています。小品ですが、二胡らしい節回しで気に入っています。しかし、弦を引くのか、押すのか、指の位置は、姿勢は、二胡の位置は、と、こちらもパニック。
息抜き?でロールピアノを弾いたり、和箏を弾いたり。夫が送ってくれたDVDを授業で使えるかどうかチェックし、荷物の整理を始め、メールをチェックし、打ち合わせをし、とにかく時間がありません。ブログに行き着かない・・・。

2月には教え子が、4月には友人が、天津に来てくれます。その打ち合わせだけは、さっさとやっています。もちろん、運転手さんとの打ち合わせは中国語~。3月には、教え子の一人が結婚。その日は式参加のため日本に一時帰国。週末に授業が無くてよかった~。戻るときは佐々木先生とご一緒。お迎えを兼ねて天津へとんぼ返りです。中国でも北京に比較的近くて良かったです。これで何回も乗り換えたり、バスやタクシーで何時間もかかって、2日とか3日がかりだったり、なんてことだったら、実現しなかったことが一杯あります。

すべては必然と偶然の織りなす運命。今年も、充実したスタートとなりました。

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2008年1月12日 (土)

家族と年越し

年末から年始の数日間、家族が天津に来てくれました。

中国には夏以来。天津は初めてです。来てすぐ、Sさんに付き合ってもらって、夫と天津一の本屋、図書大厦で、書道の本を購入。私は唐詩や小説のCD付きのものを購入。夜は学生とお食事会。明くる日は天津の市内を巡りました。

周総理紀念館、天津タワーなどを回った後、K先生のご案内で、有名なところでおいしい料理をご馳走になり、茶藝館にもお連れ頂き、午後は家族で楊柳青博物館へ。夜も大学院の教え子に再会するチャンスまで与えて下さって、至れり尽くせりでした。その時に、K先生が天津で、福田総理と昼食を召し上がったと伺い、そんなVIPレベルの方にご馳走して頂いていることが畏れ多く思われました。

翌日は「三国演義」の桃園の誓いで有名なタク州に行きました。運転は二日間とも王さんにお願いしました。とても気遣いのある方で、助かりました。

実写版の「三国演義」のセットがあるところにも行きました。日本で言う東映映画村のようなところですが、規模が大きいので、専用の電気自動車で回りました。冬は観光客も少なく、やや閑散としていましたが、セットとはいえ、万里の長城や都の再現、太鼓橋のような建物など、なかなかのものでした。すっかり気分に浸って、帰国後にDVDを買いたいと夫は言い始めました。

夜は孫先生のところで家庭料理。八十歳を越える孫先生の知人の方が、書を目の前で書いて下さり、それを頂戴しました。人前でさらさらと書けるというのはすごいです。

元旦は、アフリカ人の友人を昼食に招き、夜はK先生をお招きして、ささやかなお正月のお祝いをしました。門松と鏡餅のミニチュアを持ってきてもらったのですが、K先生が喜んで下さってよかったです。本当に私達ができることは高が知れていますのに、K先生のお役にほんの少しでも立てたと思うことができて、嬉しかったです。

短い滞在でしたが、私の日常生活を垣間見て、安心してくれたようです。あと半年、夫には苦労をかけますが、私も頑張ろうと思っています。

中国語の学校

毎日一時間半。一回やった教科書の復習のために通い始めました。もちろん、日本語は全くなし。中国語による授業です。言われたことは分かりますが、答えられません。単語力の問題です。今は忙しすぎて単語を覚える時間すらないのですが、もう少し余裕ができたら、頑張ろうと思います。

もっとも、家族が来ていた間、タクシーの運転手さんや王さんと私がやりとりするのを聞いて、家族はびっくりしていましたから、まあ、当初に比べれば、話せるように少しはなったと言うことだと思いますが・・・。

通常の家庭教師の先生にも来て頂くことにしました。教科書を進めるためです。なんとか初級は終わって帰りたいです。ちょっとキツイですが、やるっきゃない。

二胡

2時間150元。先生は大学四年生です。期間限定で習うことにしました。

一回目はドとソの弾き方だけ。これでは困るので、次回からは曲を教えてもらうつもりです。いい音が出るにはかなりの時間が必要です。それができるようになってからでは、曲に行き着きませんので。プロになるわけでもないですし、あくまで体験してみるだけなので。もともとお箏や三味線、三線(さんしん)などやっているので、その延長線でちょっとかじってみたいだけなのです。

太極剣

難しいです。本当に覚えられません。太極拳も難しいし、奥が深いのですが、剣は、違いがはっきりしてしまうだけに、大変です。これも、もう少し時間ができるようになったら、DVDを見て復習しなくては。

勉強することが多すぎてパンクしてますが、自業自得。

ここにいる時しか、しかも休暇中しかできないこともあるので、ちょっと無理して背伸びしています。

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2007年12月27日 (木)

天津科技大学の中日友好講座第十二回 天津科技大学中日友好交流講座日本側常駐 春日嘉一先生

天津科技大学の中日友好講座第十二回は、天津科技大学中日友好交流講座日本側常駐 春日嘉一先生による「第一学期中日友好交流講座のまとめといった内容のお話でした。

最初に、日中友好促進に努力した日本人像についてお尋ねになりました。日本鬼子と日中友好促進に努力した日本人像について。そして、日本鬼子だった人が日中友好促進に寄与するようになった「教育、反省、教育、自覚、行動」の過程についてお話下さいました。

日本の戦前の教育がどんなものであったのか、軍国主義教育によって作り出された嘘の世界への認識。その後の自己反省。プロレタリア文学の学習。そして、労働運動や日中友好運動の活動家となった人々について語って下さいました。

右翼から身をもって中国からの賓客を守った日本人の話し。各講師の仰らなかった秘話。各講師のご活躍のご紹介。

そして、現在の日系企業での問題点。学習する側が留意する点。

多くのことに興味関心を抱き、アンテナを張り巡らし、国際人としての資質を向上させて頂きたいという春日先生の熱い想いが伝わってくるお話でした。

最後に、大学関係者、聴講した学生に対して謝辞を述べられ、特に、本学の韓国人留学生については、「日中韓三国人民は団結しましょう。」「団結して北東アジアの平和を守り、ともに繁栄しましょう。」というメッセージで締めくくられ、拍手を送って下さいました。

毛沢東主席の言葉を引用され、その後に、「抗日戦争以後の偉大な国際主義精神を継承・発展させる責務は君たちにあり、また我々にある。しかし結局は、すべてを君たちに託さなければならない。」と結ばれました。

 共に平和共存するために、まず、自己の内面を高めることが重要であるというメッセージが伝わったことを祈って止みません。

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2007年12月25日 (火)

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

「プロフェッショナル 仕事の流儀」私の好きな番組です。

  その中で、「怒り」の制御方法、相手を別の角度から見て想像してみる。相手の気持ちに共感する。と言う言葉が引っかかりました。 もっとも、相手が異常な場合は論外でしょうが。
  それから、初対面の人に対する第一印象というのは、過去の経験から生まれるもので、正しいことが多い、というのも納得。「良い感じだな。」って思うと、大概すごくいい人で、ずーっとお付き合いすることになり、「わーちょっと。」と思うと、その人の言語行動から、ますます、その人の器の小ささを感じて、「やっぱりね。」と思うことが実に多いです。相手も察知するんでしょうか。大抵交際しなくなります。   

 今日出演した視聴者が、茂木さん個人のブログを読んでいないことにちょっとびっくりしました。私は、「世界一受けたい授業」で茂木さんを知って、最初は「目つきよくないなーでも、なんか面白い人だなー」って思ったのですが、この「プロフェッショナル仕事の流儀」を見て、ブログを読んで納得。あーだからなんだな。と思うことが多いです。特にこの番組内で彼自身のことを扱った時があって、私も以後実践しているのが、朝一のメールと、いろいろな日常の雑事をピリオドとする時間の使い方です。また、音楽を聴いて、頭を切り換えるのも、思い出してはやっています。集中力は確かにUPしたと思います。

  もっとも今は中国語三昧で、暇さえあれば中国語を聞くようにしているので、なかなか音楽まで行き着かないですが・・・。 羽生さんの「才能とは努力し続けること。」そっか、ずーっとしつこく英語の作文書き続けたり、中国語聞き続けてることが、「語学が得意」と思われる驚きの現象に結びついているのかもしれないと思いました。なにせ、学生時代、英語は大嫌い。中国語に至っては、すっかり忘れ去っていたのですから。 これからも、しつこく勉強しようと思いました。だって話せると友達が増えるんですもの。それもいろいろな国の人と友達になれるって、本当に面白いですから。 これも以前、言及がありました。「世・・・一」でもやってましたが、「やらされているのではなく、自分が進んでやっていると思うとポジティブになれる。」というのも本当だと思います。面白いと思うのが一番なんですね。 また、この番組を見て、ちょっとポジティブになりました。いよいよ休暇中に語学の勉強を本格化します。ちょっとは話せるようになって帰国したいです。

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2007年12月21日 (金)

天津科技大学の中日友好講座第十一回 学法文化センター 金子泰生 主幹

第十回は残念ながら南京に行っていて拝聴出来ませんでした。

天津科技大学の中日友好講座第十一回は学法文化センター 金子泰生 主幹による「日本留学指南」というテーマでした。

日本の物価の実態、留学先の選び方等、かなり具体的例をあげてお話下しました。学生からはため息がこぼれていました。

また、写真で日本の有名大学を紹介して下さったり、東京の町並みを紹介してくださったりしました。

浅草や原宿が懐かしかったです。私もそういった写真をとっておけば良かったと思いました。(日本から海外へ出ようとお考えの方々、是非、日本の日常の写真や若者に人気がある雑誌等、お持ち下さい。)

そして、何よりも留学経験者にいろいろ聞くのが一番とのこと。

私も、ここで生活されている日本人の友人からいろいろ教えて頂いて、二年間ではとても知り得ないことを先取りできて、充実していたと感謝しています。特に、来てすぐに誘って頂いた太極拳。これは以後の生活を決定することになるくらい影響が大きかったです。孫先生との出会い。毎週作って頂いている家庭料理。何ものにも代え難い交流。そして買い物、郵便の出し方など、日常生活全般。どれだけ助かっていることか。実感として分かります。

日本の入国管理局がチェックする項目、日本円で200万円はないとだめとのこと。しかも、今年だけというのでは、借金をして急に得た収入と捉えられるので、貯蓄としてお金がないとだめというお話。しかし、ここでは物価はほぼ1/10。そうなるとかなりの高額と言えます。結局、お金の問題が教育の問題なのでしょうか。

つい我が家のことに思いが至ってしまいました。子供達に充分な教育の機会を与えたいというのはどの国も同じこと。しかし、現実は厳しいです。

 一般的に日本では、文系で年間300万円、理系で500万から2000万円かかると言われていますから、教育費は頭痛の種です。

 留学生の多くはアルバイトをせざるを得ないのが実態で、気が付くと、本末転倒になっているケースも多いわけです。

 私の学生の何人かは日本の大学院留学を希望しています。彼女達の夢が叶うことを願って止みませんが、現実の厳しさも気になっています。

 卒業見込み証明書と紹介状が必要とのこと。果たしてどうなることやら。

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2007年12月20日 (木)

南京大虐殺七十周年

南京大虐殺七十周年にあたる2007年12月13日、ちょうど授業がないので、外国語学院でもOKがとれて、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館新館の開館式と侵華日軍南京大屠殺史国際学術研討会議に、朱成山館長と歩平先生のご紹介で参加することができました。
主催者側の発表によると、当日の式典には外国からの参列者を含め8千人。新館を訪れた南京市民は10万人とのことでした。
13日にまず、南京大学の友人と拝観。お互いに涙を流しながら回りました。
展示場内部の撮影は禁止です。まず、地下に降り、空襲のシーン。そして、亡くなった犠牲者の数、三十万の文字が天井に映し出され、正面に遺影が順次浮かんでは消え、側面には犠牲者の名前が刻まれた壁のある広い部屋、いろいろな証拠の品々、写真や、再現場面等の展示、そして、何層にも重なる、おびただしい人骨が発掘された場所は、辛く、慚愧に堪えられず、涙が溢れてしまいました。どうして虐殺はなかったなどと言えるのか、全く理解できません。
侵華日軍南京大屠殺史国際学術研討会議初日は、13日午後、中山陵中腹の会議場で行われ、歩平先生と再会。中日韓の歴史認識に関する基調講演を拝聴。本田勝一氏が南京大虐殺を取り上げるジャーナリストとなったいきさつや、著名な方々のお話も拝聴することができました。第二次大戦における日本の虐殺を始め、従軍慰安婦問題等に対する各国の対応。また、元日本兵の方も事実であるとの証言をなさいました。
14日午前は分科会。ここで、北海道での強制労働から奇跡的に生還した鳳儀萍氏(日本・中国・韓国=共同編集「未来をひらく歴史」第1版の134ページに氏についての記載あり。)や南京大虐殺の幸存者、王之民氏もご一緒でした。また、当時の南京における安全地帯を死守された欧米の方々の関係者、「The RAPE of NANKING」を書いたIRIS CHANGさんのご両親、広島からいらした毒ガス関係の問題を扱っていらっしゃる方、日中友好協会、大学関係者、原爆や戦争・平和に関する記念館関係者等々、様々な分野で活躍されている方々ばかりでした。
自己紹介ということで、鳳氏がご自身のことをお話下さり、その辛い体験の一端をご紹介下さいました。またまた、涙が止まらなくなり、自分の自己紹介の時に、鳳氏を含め、皆様に申し訳ない思いで一杯だ、と申し上げました。その後、鳳氏とご一緒のテーブルで昼食を取らせて頂き、午後は分科会の報告と自由討論でした。
その席上、カナダのCanada Association for Learning & Preserving the History of WWⅡ in Asia(ALPHA)の共同主席である、列國遠さんの夫の湯鵬挙さんから、日本の一般人の現状についてのご質問があり、僭越ながら発言させて頂きました。その発言後、偶然隣席だった趙建民復旦大学歴史学系教授や周正偉珠海学院文学院助理教授や何人かの方が名刺を下さり、私の真意をご理解頂けたことは、大変有り難かったです。
夜の交流会も、鳳儀萍氏とは英語、趙建民教授とは日本語でお話を伺うことができました。趙教授がお調べになって分かっただけでも、たとえば日本軍が香港大学東方文化研究院図書館のすべての本を略奪し、その書籍は日本の国会図書館や早稲田大学等を含む17カ所の図書館が所蔵しており、中国へ返還された図書は僅かである(上記図書館では6%)というものでした。この事実が、中国のあらゆるところで日本軍が起こした略奪のほんの一部にすぎないことを実感して、大変ショックを受けました。趙教授は、この不幸な二国間の状況がなぜ引き起こされたのかを知るために、日本史を研究し、両国の友好関係に役立てたいと仰っていました。
15日午前にも再度、検討会の代表者と紀念館の見学。この時は、鳳儀萍氏や、IRIS CHANGさんのご両親、そして周正偉助理教授ともご一緒でしたから、いたたまれない気持ちになり、大変辛かったです。IRIS CHANGさんのコーナーでは思わずお母様に駆け寄って泣いてしまいました。
バスで鳳儀萍氏が隣に座るように仰ってくださって、英語と日本語で会話をさせて頂きました。また、アメリカやカナダの方ともカタコト英語で話しをさせて頂きました。そして、今後やるべき具体的な事を課題として託されました。鳳儀萍氏は昼からご親戚と再会されるとのことで、バスを途中下車されました。
ホテルに戻って、昼食時、趙建民教授が、同じテーブルにつくように促して下さって、連れの全くない私にとっては有り難かったです。しかし食事は、あまり喉を通りませんでした。食事が終わりかけた頃、隣の席で食事をとっていらした幸存者の王之民氏が、名刺を私に下さいました。今回の会議参加者で唯一の幸存者と分かっておりましたので、お名前を見た瞬間に涙が溢れ、「真対不起!」を繰り返し、泣き崩れてしまいました。王之民氏は「日本的朋友」と言って、私を抱いて支えて下さいました。趙建民教授も周正偉助理教授も、賈元良 遼寧省趙尚志研究会副秘書長も、「言葉ができなくても真心は伝わる。」と言って下さいました。
午後は総統府を拝観。趙建民教授と周正偉助理教授がご一緒して下さいました。本当に皆さんの暖かなお心遣いを感じることができ、私はここで見聞きした真実を、様々な形で日本に帰って伝えようという思いを新たにしました。
(後日、鳳儀萍氏がChina Dailyに写真入りで大きくとりあげられ、こちらの学生にも見せました。日本人を恨むべきではないという言葉が目にとまりました。)
 15日の夜は友人と昆曲を見ました。充実した日々でした。

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2007年12月 9日 (日)

天津科技大学の中日友好講座第九回 中国社会科学院近代史研究所 歩平 所長

天津科技大学の中日友好講座第九回は中国社会科学院近代史研究所 歩平 所長による「未来の歴史認識構築―中日歴史問題の考察」というテーマでした。

先週まで日本で、中日歴史共同研究の会合に出席され、ご多忙の中の講演となりました。今週はまた南京でお話を拝聴できる予定です。

靖国神社問題、首相の参拝・不参拝、教科書問題、実は「新しい歴史教科書」の採択率の低いこと。靖国神社の遺族会のこと。右翼のこと。日本人であっても、様々な考え方があり、一面的に見るべきではないこと。広島から南京へ、南京から広島へというメッセージ。被害を受けた人民と人民が共に理解し合い、もう二度と同じ不幸をくりかえさないために努力すべきだというメッセージが心に響きます。

先生のお話を拝聴するたび、いつもその人格の素晴らしさに感銘し、尊敬の念を強くしています。昨年来、様々な機会で、いろいろ勉強させて頂き、今回南京に行くに際しても、私のような一般人のためにいろいろと連絡を取って下さり、本当にお世話下さって、感謝の言葉もないほどです。そのご厚情にどうお答えするのか、それが、私の今後の進むべき道と思っています。

天津養老院訪問

衣料から食事から、すべて政府が支給してくれるという子供のいない老人のための養老院見学に行きました。五五年の歴史があるとのこと。桃色の建物で、こざっぱりしたきれいな施設でした。食事のメニューも、体調に合わせ、糖尿病対策用や、高血圧対策用等、テーブルに指定があって、びっくりしました。皆さん音楽、読書、ゲーム、コンピュータ、絵や書など、様々な趣味で楽しんでいらっしゃいました。お一人の女性に、布に書いた花と鳥の絵を頂戴しました。ありがとうございました。

おにぎりとおみそ汁、中華料理

日本人留学生と中国人学生九人が来ました。中国語と日本語が飛び交う中、お腹一杯おいしいものを食べて満足しました。何事も経験。私も中国語を話すチャンスができて嬉しかったです。

休日ショッピング

セーターを買うために、太極拳の孫先生に付き合って頂きました。中国語と英語で話すのですが、中国語で話す割合が増えました。気に入ったものが買えました。良かったです。これで南京に行けます。帰りに八里台で降りそびれました。バス停が150m手前に出来ているので、七里台と勘違い。御陰で天塔まで行って、徒歩で戻ることになってしまいました。「運動!運動!」と言って下さったので、有り難かったです。いつもお世話になっています。

朝の太極拳

王さんと李さんが剣を教えて下さって、うれしかったです。太極拳も中国語も進歩したと誉めて下さいます。

たくさんの中国人の方々に支えられ、幸せに暮らしています。でも、それももうカウントダウン。休暇中に中国語の勉強を頑張ろうと思っています。

忘年会

M先生のご紹介で、先日お知り合いになった中国人の方から忘年会のお誘いを受けました。人と人の出会いに感謝感謝です。

赤ちゃん

友人の待望の赤ちゃん誕生ニュース。今年一番のbig ニュースで、嬉しい限りです。早速アメリカに国際電話。声を聞いてホッとしました。また会いたいです。彼女は私のアメリカ人の親友です。彼女達の幸せを祈っています。

The theme of the ninth session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the Institute of Modern History Chinese Academy of Social Sciences Bu Ping Director was “building a common recognition of history between China & Japan.”

He went to Japan last week, and he had a meeting about common recognition of history between China & Japan. He is a very busy man, so he worked the talk into his busy schedule. This weekend I will be able to listen to his speech again in Nanjing.

He spoke about the Japanese prime minister paying homage at the Yasukuni shrine, the Fuso company-authorized history textbook being unpopular, Yasukuni shrine is bereaved family group, and the Right. Japanese people are not all the same. You shouldn’t think that they are a homogenous mass of people.

Message from Hiroshima’s people to those of Nanjing, and vice versa. Both cities suffered in WWⅡ. We should know each other and come close together. We should try our best.

His argument was persuasive. I listened to his speech again and again. I felt that he was a very wonderful person. I have the greatest respect for him. I appreciate his many kindnesses. I will return the favor to him, and that will be my way to live.

Tianjin retirement home

Nankai University foreigner section invited some international students and teachers to the Tianjin retirement home. The pink neat building had a 55-year  history. 

The dining room has an adaptable menu for old people. They enjoyed music, arts, games and many hobbies. One of them gave me a picture. Thank you!

Onigiri and Omisoshiru

Some Japanese and Chinese students came my room. They did some cooking. They enjoyed conversation. Everything is our experience of life. I also enjoyed to speak Chinese.

Shopping

I went shopping in town. My taichi teacher helped me. She is an English teacher.

We always speak in English. But, that Sunday we spoke in Chinese more. She said she could understand my Chinese. I was very happy to hear that.

My friend has a baby.

My friend Christine has a baby. I called and told her,“I’m very glad.”  That is the biggest news for me this year. I hope for their happiness.

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2007年12月 1日 (土)

天津科技大学の中日友好講座第八回 元人民日報東京駐在員 張雲方氏

天津科技大学の中日友好講座第八回は元人民日報東京駐在員・国務院中日経済交流会張雲方秘書長による「中日国交正常化三五年」というテーマでした。
鄧小平氏の改革開放政策があったればこその現在の中国の発展であることは周知の通りですが、日本を訪問し、日本をモデルにしようといたこと。ロボットを見て、「ロボットはストレスがなくていい。」と雑談で語ったエピソードなど、合理主義者と言われる小平氏の知られざる側面を紹介して下さいました。文化大革命の際、不遇であった小平氏。しかし、捲土重来、不屈の精神で、中国の発展のために尽力された御陰で現在があり、日本経済界からの人的援助も大きかったことをお話下さいました。

日本語弁論大会
本学外国語学院日本語科代表者の発表のお手伝いをしました。敢闘賞を頂戴したとのこと。即席スピーチが難しかったそうです。思った通りにその場で話すことは大変です。私も、英語はやっと、簡単なことは言える気がしてきましたが、中国語は思うように話せないもどかしさを感じています。ゆっくり地道にやるしかないのでしょう。

棒術
K大学留学生と太極拳の先生のところに伺いました。江戸時代の寺子屋で「読み書き算盤」を学習したような感覚。中国武術の裾野の広さを目の当たりにしました。

昆曲
日本語科の京劇サークルで活動している学生から、昆曲(昆劇)の鑑賞に誘われ、拝見しました。演目によってはアクロバット的要素もありました。京劇の元になったものとのこと。彼女の先生は60代とのことですが、美しい舞台に魅了されました。武術にしろ、劇にしろ、宙返りもお手の物。オリンピックの演技のようなことを普通にやってしまう人々の何と多いことか。筋力、バネの良さ、柔軟性、瞬発力、驚きの連続でした。朝、太極拳をやっている方々も60歳以上ですが、柔軟で、動きもしなやかな方が大勢いらっしゃいます。太極拳だけでなく、運動を楽しむ環境があるということでしょうか。

連続ドラマ
中国語の連続ドラマを見るように中国語の先生に言われ、お掃除の方からも天津のニュース番組を紹介され、仕事の片手間に見るようにしています。字幕を見れば、内容が少し分かるようになってきました。あと半年、なるべく中国語をたくさん聞こうと思っています。

The theme of the eighth session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the former China People’s Daily newspaper correspondent to Tokyo, Zhang Yunfang was the Japan-China relationship over the last 35 years. 

We learned that Deng Xiaoping promoted economic policy and till now, many things have improved. We called Deng Xiaoping a rationalist. Zhang Yunfang introduced a side of Deng Xiaoping’s that we didn’t know. When Deng Xiaoping visited Japan, he thought he should borrow the Japanese way. When he saw a Japanese robot, he said to himself, “A robot doesn’t feel stress. I envy that.”

During institutional revolution, Deng Xiaoping was in misfortune. But, he was determined to make a comeback. He was very tenacious. Also, the Japanese business community people helped China, and that was very important.

Japanese speech contest

I helped my student write a draft for the speech contest. She got the “fighting spirit” prize.

She said that the improvised speech part was very difficult. I know that is difficult to say in my mind. I can say a very simple sentence in English. But, I can’t say even an easy simple sentence in Chinese. Slow and steady wins the race.

Stick Martial arts

I went to my taichi teachers school with K University students. It looked like the Japanese Edo period private school, “Terakoya.” Chinese Martial arts has a big following.

Kunqu opera

One of my students invited me to see the Kunqu opera. Some of them looked like  acrobatics. That was a basic Beijing opera. Her teacher was over 60 years, but very beautiful. I was fascinated with them. We were all charmed by their performance.

I was very surprised at both Martial arts and Kunqu opera players, because they had very flexible bodies. Even people over 60 can move gracefully. I think that they have a custom that they enjoy some spots in Chinese people.

TV program

My Chinese teacher recommend to me the Chinese drama. The cleaning lady also gave me an announcement to watch Tianjin news program. I can see that I saw Chinese captions. I would like to watch many Chinese programs.     

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2007年11月25日 (日)

天津科技大学の中日友好講座第七回 南開大学外国語学院林麗yun院長

天津科技大学の中日友好講座第七回は南開大学外国語学院林麗韫院長による中日関係についての自己体験」というテーマでした。

 まずはご自身の北京大学入学までのいきさつを、生き生きとした語り口でお話下さいました。

 先生の御講演で、特に取り上げられた広島・長崎に投下された原子爆弾、そしてその後の核実験禁止についてのお考えはとても感銘を受けました。私もたくさんの広島・長崎原水禁運動のバッチを持っていました。

 1960年代の日本がどうであったのか、その前後のことは、白黒テレビのニュース画面を思い出すような心持ちでした。日本で、デモをやっていたその同じ時に、天安門でも多くの中国人が支援してくださっていたとのこと。

学生諸君には過去の歴史ですが、実際にその時代に居合わせた人々にとっては、決して遠い記憶ではなく、まるで昨日のことのように鮮明に浮かぶものなのだろうと思いました。

また、林(リン)先生は台湾ご出身ということで、そのことも心惹かれました。

 私も12年前に台湾に友人を訪ねて行ったことがあります。故宮博物館は圧巻でした。もし日本なら、何メートルか置きに、ガラスケースにゆったりと並べられるだろうほどの至極の財宝ともいえる文物が、無造作であるかのように床面に所狭しと並べられていました。その、あまりの価値の高さと量に絶句しました。それと同時に歴史やこの間の複雑な関係についても思い至りました。

 周総理の通訳を務められた林麗院長の暖かなお人柄に接して嬉しかったです。

 一方で、いろいろなことが走馬燈のように巡っていました。子供の頃、父母から戦争中に体験したことを毎晩のように聞かされ、戦争は絶対いけないもの、平和がどれだけ大切かを教えられて育ってきたことを思い出しました。

 父は、川崎の学童動員で芋を作っている時に、顔が見えるのではないかと思われるほどの低空で、アメリカ軍の機銃掃射の攻撃に遭い、芋畑の間に身を伏せ、隣の列の友人はみな、背中から弾を受け、ひっくり返すと、内蔵が全部出て死んでいた時のことを繰り返し私に話しました。同級生だった、後に「焼き肉ジャン」を作った(すでに癌で亡くなった)モランボンの社長と共に助かった話は、目の前でその地面をたたき付ける銃の音と、飛行機の通過する強い風と土と血の匂いを感じるくらいの実感を持って、私の脳裏に焼き付いています。

母の学童疎開の話も壮絶です。薪拾いの話・しらみの話、どんなに心細かったことか。とにかくよく生きていたものだと思うことばかりです。

 戦後のGHQで船に乗っていた父の話しも、強烈です。南の島のどこかで、枕木のように並ぶ米兵の死体。その認識証のネックレスを一人一人確認する作業は、「人間は消耗品なんだ。」と感じたと聞きました。

父は男の人がネックレスをするのを嫌います。その時のことを思い出すからなのです。

私には、映画の一シーンのように、その様子が浮かびます。「風と共に去りぬ」にも、似たようなシーンがありますが、地平線まで続く枕木と思ったものが、近づいていけば、死体だったという、身の毛もよだつような光景と、その上を渡る、生ぬるい臭気を帯びた風と土埃を、そこでも感じてしまいます。

(余談ですが、宮崎駿の漫画で良く風が出てきますが、あれは、さまざまな実感を表現しているのではないか、と勝手に思っています。)

 中国に来て一番強く感じるのは、「私一人ではない」ということです。

 日本にいると、「平和」を語ると、しらける空気を感じ、寂しい思いをすることがママあります。しかし、ここでは、「共に世界平和のために、できることをやりましょう!」と言うと、「一緒にがんばりましょう。」と答えてくれます。

何国人は関係ありません。地球人。人類として、愚かな争いによって人々の命が奪われないための努力を、できる限りする以外ないと強く思っています。

 歩平先生

12月に侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館で開催される国際学術研究討論会について、せっぱ詰まって、歩平先生にお尋ねしました。すぐにお返事を下さいました。今、中日歴史共同研究のために日本にいらっしゃるというのに。

 私のような、何の役職も肩書きもない、重要人物でもない者に、誠意を持って接して下さる歩平先生のメールに胸があつくなりました。

 私に何ができるか分かりませんが、とにかく、出来ることをやっていこうと、また気持ちを新たにしました。

 

古典の授業

 とうとうコンピュータを使って、画面を映し出す授業をやりました。

 ずーっとやりたかったことが実現しました。教室環境の問題はありますが、パワーポイントを新たに作り、次回に臨みたいと思います。

「らくらく古典文法」のページは、

 「古典文法」 の検索結果約 730,000 件中1件目

「古典」の検索結果 約 51,700,000 件中 3件目

「文法」の検索結果 約 10,500,000 件中7件目

もうすぐ15万件のアクセスを頂くまでになりました。これも小林國雄先生を始め、web問題作成ツールを作って下さった入江先生、打ち込みをやってくださった増田さんを始め多くの方々の御陰です。

このページが少しでも皆さんの学習のお役にたつことを祈って止みません。

The theme of the seventh session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by the president of Nankai University Foreign Language School Lin Liyun, was about her experiences from the Japan-China relationship. 

First of all, she told us a lively story about herself when she applied for entrance to Beijing University.

She spoke about the atomic bombs dropped on Hiroshima & Nagasaki, and about activism against nuclear tests. Her lecture made a deep impression on me. I also agree with her opinion.

She spoke about Japan circa 1960, and I can still recall the black-and-white TV news from that era. At the time of the demonstrations to stop the US-Japan Security Treaty some Chinese people also gathered for the same purpose at Tian’anmen.

The students must have felt like the events discussed were distant history, but she remembers them clearly.

  Lin Liyun came from Taiwan. That place is familiar to me. I went there to visit my friends 12 years ago. I went to the Gugong Museum at Taiwan. That Museum is the best. Many rooms were filled with many cultural items. Those things have great worth. I couldn’t find any words to say.

And I thought about China and Taiwan.

She worked as an interpreter for Zhou Enlai. She is a very thoughtful person. I felt very happy to meet her.

Many horrible memories passed before my eyes. When I was a little girl, my parents used to talk about what happened in WWⅡ. They told me war was ill, peace is valuable.

When my father was a student he encountered US machine-gun fire. His friends died while he was unharmed. He narrowly escaped death with his friend, who became a CEO afterwards.

  I could imagine that scenery the sounds, the wind, and the smell of earth and blood. 

A violent story my mother told was also intense. They survived by a miracle.

When my father went on board a GHQ ship, he checked American soldiers corpses at some southern island. Those bodies looked like railroad ties. He felt that the humans were consumable goods.

  He didn’t like to see men with necklaces because of they reminded him of dog tags on those dead American soldiers.

I feel I am not alone here. I said, “ Love peace. And do something for peace.”

My students said, “Yes, we will do something for peace.”

We live on the same planet. We are human beings. We should stop stupid conflicts.

Mr. Bu Ping

He is a very famous Chinese historian and delegate. I sent an e-mail to him about Nanjing Museum holding a workshop. He replied immediately. I’m not a VIP. He is a very wonderful person. I cannot possibly put my thanks into words. Only to say, I do my best. 

My lesson

At last, I was able to use a computer in my lesson. I showed my website to my students.

My website comes up if you Google it. The computer in that room was not very good.   But, I will make some power points files for my lesson.

I hope my website will aid in the study of classical Japanese grammar for many students.

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2007年11月11日 (日)

天津科技大学 中日友好講座第五回 劉江永清華大学国際問題研究所教授

天津科技大学の中日友好講座第五回は第一回と同じ、劉江永清華大学国際問題研究所教授による「中日両国関係の現状と展望」というテーマの続編でした。

 中曽根・小泉総理大臣時代から現在に至るまでの中日の貿易収支、輸出入総数の比較、日本側も今後対中貿易は益々拡大すると分析していること。人民元が強くなっている現状。留学生数の変化。参拝問題当時の中国の状況分析、海底油田の問題、等々、具体的数字をパワーポイントでお示し下さり、学生諸君は真剣に聞いていました。

 今回は五人で行きましたが、御講演後に控え室に入れて頂いて、お話を伺うこともできました。一ヶ月をおいて、すぐにお話を拝聴できるとは思ってもいませんでした。大変有り難いことです。

次回はいよいよ元経済企画庁長官の宮崎勇先生が御登壇となります。万障繰り合わせの上、ご出席下さい。

人生の中には、好機というものがあります。そのチャンスを生かすも逃すも自分次第です。様々な困難があっても、最優先すべきことは何か、その時々で、判断しなくてはなりません。可能な限り、そういった絶好の機会は逃さないで欲しいと思います。

朝の太極拳

二十四式、四十八式、四十二式の太極拳の後、三十二式と四十二式の剣をいっしょにやらせて頂きました。土曜は扇も見せて頂きました。よく聞く音楽でした。その後もう一つ剣をやらせていただきましたが、何式かはわかりません。とても早かったです。

三十二式も、音楽と一緒では、とてもまだまだ出来ません。なにしろ、第一課程を習っているところですから。剣が上向きなのか逆か、柄の位置は左か右か、足はどちらが前か、重心の位置は??運動に苦手意識のある覚えの悪い者にとっては至難の業です。

李先生のお誕生会

 土曜日の夜は、孫先生のお宅に集合し、近くのレストランで総勢14人、一週間遅れの李先生のお誕生会をやりました。

飲み物やケーキを持ち込んでやるのが中国式です。K大学の四人も一緒に行きました。隣に中国人の方々になるように座ってもらいました。私も、ベストを作って下さった仕立屋さんの隣に座らせて頂きました。少しずつではありますが、中国語を話せるようになり、イギリス人のバーバラさんやニュージーランド人のケイさんご夫妻とは英語で話して、楽しいひとときでした。天翼くんとも一ヶ月ぶりに会いました。また背が伸びた気がします。だんだんかわいいというより大人びてきてかんじ。13歳ですから、当然でしょうか。李先生が南京に行った時の写真で合成写真を作って見せてくれました。

 天翼くんのパソコンの立ち上げ画面は私達の旅行の写真になっていました。嬉しかったです。添付メールを送ってもらいました。

さざえさんがおふねさんに

  過日お箏を弾いたとき、「着付けがばっちりでしたが、誰かに手伝ってもらったんですか。」と言われましたが、もちろん自分一人で着たことを話しました。H君曰く、着物姿は、「さざえさんがおふねさんになった感じ」と言われました。あまりに的確に言い当てられて、私も笑ってしまいました。「さざえさん」という漫画は、自分の年齢によって登場人物の誰に自分を重ねるかが変わっていくわけですが、とうとうおふねさんの年齢に近づいたんだな、と、改めて老いを意識しました。しかし、様々なことが、美しい思い出になっていくのかな、と、また元気をもらった感じでした。

 実は、着付けは少し自信がついてきた気がします。でも、次はいつ着ることになることでしょう。クリスマスかお正月か、あるいは教え子の結婚式か。これからも日本伝統文化の一つとして継承していきたいと思います。

The theme of the fifth session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by Prof. Liu Jiangyong, who is from the Tsinghua University Institute of International Studies, was the relationship between China & Japan.

Prof. Liu told us about the balance of trade between China & Japan, and the latest news. The trade between the two countries will increase more and more. China’s growth rate will increase.

When Prime Minister Koizumi payed homage at the Yasukuni shrine, what happened in China?

Prof. Liu told us many things using Powerpoint. My students listened carefully.

After the lecture we had a chance to listen to anther one of his short talks. We were very lucky.

Next time, the former Ministry of Economy project Secretary Miyazaki will talk.

Early Friday morning, I tried to do taichi sword with them.

We did 24,48 and 42-type taichi and 32 and 42-type taichi sword. I’m just starting now, so I only know the first step. It is very hard for me to remember the movements.

I do my best.

Saturday evening we went to Mr. Lee’s birthday party. We had a good the time.

Our photo was on Tianyi’s screen. I was very glad to see it.

He gave me an e-mail with another photo.

“Sazae became Fune”

When I played the koto at a Chinese Language School event, I wore a Kimono. One of K University’s students said, “You looked like Sazae-san as Ofune-san.” That was spot on. I enjoyed that he said that. I understood that I’ve gotten old. But, that was not bad.

I don’t know when I will wear it again. I succeeded in a kind of the traditional culture.

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2007年11月 3日 (土)

永遠の友情・漢語学院の文化祭・中国人の懐の深さ

 先週のアフリカンパーティーの写真を添付して、メールしたら、こんな返事をくれました。「写真を受け取りました。私はとても嬉しいです。私達の友情が永遠に続くことを願っています。あなたを知ったことは、より日本について知る好機です。本当に、あなたが日本から来て、私がアフリカから来て、中国で友情を築くなんて、夢のようです。これは一つの運命であり、私の人生をより豊かにするものです。友情は人類が異なる考えや習慣・文化、そして文明を交流させるために重要な要素です。もしすべての人々がみな友達となれば、その時、私達は一つの習慣・一つの文化・一つの文明を持つことが出来るでしょう。ちょうど世界は一つの町となるのです。その時、国と国、人と人のあらゆる問題はなくなるのです。私は“お金より友情が大事だ!”と信じています。」

 私は彼の意見に賛成です。こんなすてきな若者が、同じ地球にいるということが、私は何より嬉しいです。彼の言う通り、私達が出会ったのは運命。こんな素晴らしい出会いが、まさかこの中国であるとは、思ってもいませんでした。私も、彼らと永遠の友情を築きたいと、心から願っています。英語をもっと勉強しないといけません。単に欧米人と話すためではありません。世界中の人々と繋がるために、語学は必須であると改めて認識しています。カタコトでも英語が話せて本当に良かったです。自分が今まで積み上げてきたことが、ここですべて生きている、そんな感じがする今日この頃です。

漢語学院の文化祭

 「六段調」を演奏させて頂きました。一人で皆さんの前で箏を演奏するなんて、光栄なことです。機会を与えて下さった、文化祭の責任者と担当者、それにお箏を運んでくれた学生さんに感謝申し上げます。外国語学院の皆さんで聞きに来てくださった方にも感謝感謝です。南開大学、そして中国で出会った皆さんのことがすっかり好きになってしまったみたいです。素晴らしい学生の皆さんにお会いできて、本当によかったです。今日は、皆さんありがとうございました。

朝の太極拳

 2ヶ月ぶりに朝、太極拳をやりました。王さんともう1人の方だけ。でも、昨日までいっしょにやっていたように受け入れて下さいました。中国の懐の深さを感じる思い。悠久の時が流れている感じ。二十四式、四十八式、四十二式の太極拳の後、剣を見せて頂きました。三十二式と四十二式をやっていました。これならやっても、いいかな。今、三十二を習い始めたところですから。また、朝出来るときに剣を持って行こうと思います。帰って洗濯物を干しました。白い襦袢が黄色く染まりました。まずい!天津特有?の黄色い水の影響です。日本に返ったら、染め変えるか、脱色するか。呉服屋さんと相談しなくては。久しぶりにバスで電気屋さんに行き,プリンターのインクを買いました。歩いて、スーパーに行き、前回買いそびれたビンを並んで買いました。少しゆっくりした感じです。

My African friend gave me an e-mail:

 I got the pictures. I'm so happy. I wish well that our friendship would be forever. Know you this is a good opportunity to know more about Japan! Really it's too imaginary that you are from Japan, I'm from Africa and we met in China to make our friendship. I can say that it's one of my destinies that I got much more satisfactions in my life . Friendship is one of the most important aspects that the Humans being have to do to exchange the different ideas from different habits, cultures, and civilizations. I believe that if all the people can become friend, that time we can have only one habit, one culture and one civilization. Just the world can become like one city. That time we couldn't have any problem between country and country and between people and people. So for me I believe that << Friendship is better than money >> !

 I agree with his opinion. I hope that our friendship will last forever, too. I have to study English more. Even if only to speak with people from elsewhere in the world who aren’t native English speakers.

 I played the koto at a Chinese Language School event. I wasn’t good at playing. but I appreciate everyone who gave me such a chance. I have many good students who cheered for me. I was very happy to see them there.

  Early Sunday morning, I did taichi for the first time in two months. Even though I had been gone for a long time, they accepted me as before. In Japan, I wouldn’t have been able to go buck after such a long absence. I realized that Chinese people are very accepting-minded people. Next time, I’ll try to do taichi sword with them.

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2007年11月 2日 (金)

天津科技大学 中日友好講座第四回 小堀龍夫氏

天津科技大学の中日友好講座第四回は天津天富軟管工業有限公司董事長・天津名誉市民の小堀龍夫氏による「私が中国で経験し、学んだことー対話・交流・信頼関係構築の重要性」というテーマでした。

「企業の原動力は何か」まず、一つの目標を共有し、信頼関係を構築すること。そのためには、相手の立場に立って、丁寧に根気よく対話と交流を行い、現場の意見を聞く必要性があるということ。原理原則を出して、物事の本質を見て、物事を処理すること。あせらずあきらめないで努力すること。知能はもちろんのこと、人間関係能力が不可欠であること。人材の育成と価値観の共有が重要であること。上に立つ者が、相手に求めるだけでなく、自らも努力し続ける必要があること。結局、「企業を機能させる原動力は人である。」ということ。特に「専門知識だけではだめで、対人関係。度量・器量・心の広がりが必要」ということを繰り返し述べられました。企業に限らず、何事も、人間関係を円滑にする必要があると思います。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」本当に賢い人は、人を傷つけるようなこと、バカにするような態度はとらないものです。賢くない者ほど、人を陥れたり、欠点を指摘して得意になったり、愚かなことでかろうじて自尊心を満足させるような行為をしたがります。人をねたんでも仕方ありません。まず、自分を向上させること。これが何より大切であり、どこの国の人であろうと積極的に交流し、共に世界の安定に何らかの形で貢献しようとするべきだと思います。戦争のない世の中を実現するにはどうしたらいいか、我々が考えるべきことはただ、安全に幸せに暮らすためにどうしたらいいか、ということに尽きると思います。

高校生の時、「人はいかに生きるべきかを問い続け、答えを得ぬまま終わるもの。」と思っていました。今も答えは出ていません。ただ、今、できることをやるだけです。

The theme of the fourth session of the Japan-China Friendship Lecture Series held at Tianjin University of Science and Technology and presided over by Kobori the Tatsuo Tianjin Tianfu Ruanguan industry corporation chief director, was about what he had learned from his experiences in China.

Kobori told us, the most important thing is human relationships. Open-mindedness and generosity are more important than knowledge.

When I was a high school student, I thought, “I asked myself how I should live. But I couldn’t find the answer.” I just did my best for the occasions I encountered.

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2007年10月28日 (日)

天津科技大学中日友好講座第三回 呉学文先生 & アフリカンパーティー

天津科技大学の中日友好講座第三回は元新華社駐東京特派員、呉学文先生による「中日民間外交」というテーマでした。

第一次民間貿易協定から始まり、様々な段階を経て、国交回復まで漕ぎ着けた民間による地道な努力について、教科書では語られない事実を、歴史的場面を目の当たりにした先生の肉声で拝聴することができました。

周総理がかつて語られた通り、日中国交回復は、田中総理が来中したからできたのではありません。それまでに至る民間の努力があったからこそ、達成できたことを知り、先人の努力を無にしないためにも、我々一人一人が地道に民間交流を重ね、両国間と、近隣諸国との関係を友好に保って行かなくてはなりません。

時の総理大臣とそれを支持する日本国民や、友好関係を阻害しようとする勢力が、日中の関係を常に左右し、不安定な状況をつくりだしていること。そうであっても、一貫して友好を築こうと、周総理から民間大使と呼ばれた西園寺公一氏をはじめ、石橋湛山氏、松村謙三氏、高碕達之助氏、等々大勢の方々が、誠意を持って努力し続けたこと。LT貿易、そしてご自身のように東京に駐在された特派員の方々、そういった方々の苦難の歴史を知ることはとても重要なことです。

ご講演後、学生諸君も呉学文先生にご紹介頂き、記念撮影もさせて頂き、光栄の至りです。学生諸君は辞書を片手に、綿密にメモを取っていました。その姿に、日中韓の明るい未来を見る思いでした。

土曜日、午前中は太極拳。午後、北京外国語学院の院生が三ヶ月ぶりに天津に帰ってきたので、こちらの院生も来てくれて、懐かしい再会。それぞれ新しい生活を順調に始めている様子。忙しそうですが、彼女たちの将来が本当に楽しみです。

夜はアフリカンパーティー。和服で出席して欲しいということでしたので、雨天が心配ながら、紫の和服を着て、出かけました。幸い降られずに済みました。運が良い!

100人くらいのメンバーが天津大学の第四食堂地下にあるレストランに集まりました。南開と繋がっているとは知りませんでした。コンビニも併設されていました。

中心になって主催しているのが、私の部屋に来てくれている彼らと分かり、とても嬉しかったです。一番の責任者Saydouさんが迎えに来てくれ、ずっと私の横に座って、いろいろサポートしてくれました。本当に有り難かったです。Saydouさんのスピーチはとても素晴らしかったです。「文化の違う中国で、いろいろあるだろうけど、目的を見失わずに頑張ろう。」という内容。本当に皆さんから代表として慕われる人格者だけあって、簡潔で、心のこもったメッセージでした。しかも英語とフランス語でのスピーチ。すごい!!KamalさんとZaccさんが司会。この一年の活動を紹介したものや、彼らにとっては懐かしいアフリカの写真のPPも作成して、大活躍。

みんな笑顔で、日本語で挨拶してくれて、マリの男性、ケニア、タイ、中国の女性と新たに知り合いました。折り紙を持って行ったのですが、五人と一緒に鶴を折りました。レディーファーストで、おいしいお食事をご馳走になり、勉強になるクイズ大会。

ココで問題!

1 アフリカでは、公用語は何カ国語でしょうか?

2 アフリカで一番面積の大きな国は?一番面積の小さい国は?

3 アフリカは全部で何カ国?

答えは~

1 5つ。(英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語・アラビア語)

2 大きいのはスーダン共和国。小さいのはコモロ・イスラム連邦共和国。

3 全部で56カ国。

私もヒントを頂いて、答えました。私が一番高齢??だったのかな~。皆さん気を遣って下さって、本当に有り難かったです。

クイズや閉めのご挨拶の後はダンスパーティー。私は最後に紹介してもらって、ダンスが始まる前の夜10時にSaydouさんと一緒に帰ってきました。

彼は、年齢のかけ離れた私が、日本人もいない、英語の海の中で楽しめるかどうか、心配してくれていました。でも、私はとっても幸せな気持ちでした。まさか中国で、アフリカのイベントに参加させてもらえるなんて思ってもいませんでした。アフリカの伝統的衣装、民芸品、現在の発展の状況、近代的都市の様子も知ることが出来ました。そしてなにより、素晴らしい人々と出会うことが出来ました。私はなんて運が良いのかしら、と本当に心から思いました。

「言葉が出来なければ、友達は出来ない。」と彼らの言。その一方で、アフリカの苦難の歴史に思い至りました。なぜ、五つの言語が公用語なのか。

スワヒリ語や300あると言われる他の言葉が、なぜ公用語ではないのか。植民地政策が言葉を奪ったことは言うまでもありません。それは日本が琉球語やアイヌ語を駆逐しようとした歴史と重なって感じられます。

私の知人、吉田真美さんはそんなアフリカの一国、ルワンダでがんばっています。ルワンダからも留学生が天津に来ているとのこと。また、チャンスがあったら、会いたいと思います。

 

 授業のほうは、院生が古典文法の用言が終了。いよいよ作品の中での用法を確認する段階にきました。しかし、本当に優秀な人たちばかり。びっくりします。

3年生の古典は竹取物語。今年も暗唱してもらいます。日本人に尊敬される教養人というのが目標です。日本で古典を習っている皆さんは、知っていて当然ですから。

閲読は「日本社会再考」を参考にしつつ、現代日本の学校教育の実態について触れつつ、1級試験に対応できる最新の日本国情も話しています。

聴解は、2級対策に続けて1級の同じ項目をやるようにしています。また、地球温暖化や、最近の新聞に出てくるグラフなども引用し、実践的内容となるようにしています。でも、それだけではくたびれてしまいますから、時々日本の番組を見る時間も織り交ぜ、楽しみながら、実も上がるように心がけています。

授業では、ほとんど毎回プリントを発行しています。一ヶ月、プリント代だけでも150元くらい使っています。1枚のコピー代は2角前後。でも、きっと役に立つと信じて、作成しています。



Tianjin University of Science & Technology’s third lecturer at the Sino-Japanese friendship lecturers was the former Xinhua correspondent to Tokyo, Wu Xuewen. His lecture discussed the relationships between private citizens of Japan and China. 

The diplomatic relations of China & Japan started with the first private trade agreement. It was enacted step by step and managed to eliminate certain trade barriers.  

He was a witness to some historical facts. He told us things that weren’t written in school textbooks. 

It was very hard to fulfill agreements that promote goodwill between Japan and China.  

It didn’t start when Japanese Prime Minister Tanaka came to China. Many other people strived to this carry out their duties.

The will of some of Japan’s prime ministers and the citizens who supported them have interfered with friendly relations between Japan and China, and Japan’s China policy has made many abrupt shifts over the years. As a result, relations have been unstable. Even so, many people, such as Saionji Kinkazu (whom Prime Minister Zhou Enlai referred to as an ambassador of the people), Ishibashi Tanzan, Matsumura Kenzo, Takasaki Tatsunosuke, and others, have worked earnestly to fight this trend. 

I find it very important to know the troubled history of LT Trade, and of people such as the former Xinhua Tokyo correspondent.

We have to keep relations with other countries. My students listened to this speech seriously.

I felt hopeful. I saw in them a vision of a bright future for China, Korea and Japan. 

 Some African students invited me to their African party. I appreciated their kindness. I had a wonderful time with them. I got a sense of the spirit of these Africans. That was very energetic, warm and friendly.

I was moved to tears by Mr. Saydou’s speech. He said, “I’m sure that we’ll have some difficulty living in a country like China, with such a different culture, but I’m confident that we can handle it, as long as we don’t sight of our goals.”

How wonderful he is! Kamal and Zacc are also great. They thought others and country, Africa and earth. I was very lucky that I could see them here.

OK! Question time!

No.1.  How many official languages are spoken in Africa?

No.2.  Which country is largest in Africa? Which country is smallest in Africa?

No.3.  How many countries are there in Africa?

Answer

No.1. 5  (English, French, Portuguese, Spanish and Arabic.)

No.2. The largest country is Sudan. The smallest country is the Federal Islamic Republic of the Comoros.

No.3.  56

I answered one of the questions. They gave me a special T-shirt.  

Africa has many modern towns. I could know more African things.

I thought about the colonial period. We should know more about other countries. All nations should live together in peace.

They said, “No language, no friends.” That is why they are interested many kind of languages.

I can speak English a little. So, I can make friends with people from other countries.

I should learn more different languages. Because my dream is world peace.

My lessons are going well. In Traditional Japanese study finished Traditional Japanese declinable word grammar. My students are very smart. I am considering my plans for the level 1 Japanese Certificate Examination. Sometimes I show them some Japanese TV programs in my lessons. I hope they enjoy my lessons.

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2007年10月20日 (土)

天津科技大学中日友好講座第二回 劉德有先生

天津科技大学の中日友好講座第二回は劉德有前文化部副部長による「中日文化比較」というテーマでした。

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」「朝顔につるべ取られてもらひ水」といった俳句や日本の歌の歌詞を引用し、日本人の「あはれ」「侘び」「寂び」といった概念についてご説明になり、それぞれの文化の違いをお話下さいました。また、唐の詩人、張継の「寒山寺」の詩、「月落ち烏啼いて霜天に満つ 江楓の漁火 愁眠に対す 姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声 客船に到る」を、なぜ日本人が好むのか、といったお話は興味深かったです。ちょうど7月に蘇州の寒山寺を訪れましたから、思いも一入です。

また、戦国武将三人を表す「ほととぎす」の歌についてのお話も、人は「何国人」ではなく、多様であることを如実に表現されたものとして引用され、納得致しました。

ご講義終了後、南村先生が、天台宗の御坊から伺った「寒山拾得」の話しを、私達にお聞かせ下さいました。知識の泉のから語られる事柄に癒される思いでした。

こんなに濃密なお話を毎週聞くことができるのは至福の喜びです。このような機会を与えていただけたことに感謝申し上げるばかりです。日中の架け橋となられる学生諸君には是非積極的に参加して頂きたいです。

アフリカからの留学生に日本語の平仮名の読み方から、英語を介して(もちろん無償で)教え始めました。すごく熱心です。彼らはフランス語・英語・中国語も堪能です。27日に天津大学で彼らが開催するアフリカンパーティーに招待されました。楽しみです。

土曜日の午前中はK大学の学生3人と太極拳へ。剣は気に入ってくれたようです。
 日曜日はクッキーパーティー。日本のK大学の学生4人と中国のN大学の学生6人が一緒に来て、作ってくれました。餃子とスペシャルスープも最高においしかった!幸せ!!みんなに来てもらって良かった!また、作って下さい。食器も使って頂けて良かったです。後片づけもご苦労様でした。
私はなーんにも作りませんでした。ポップコーンをセットしただけ。後は飲み物と日本のお菓子を用意しただけです。日本のDVDを見て、ちょっとリラックス。今日は初日だったので、みんな緊張していたようです。次回はもっと会話を弾ませて下さいね。私の四声が、はっきりしていると誉めて頂けて、大変嬉しかったです。ヒアリング能力はあるってことでしょうか。「誉めるとブタも木に登る。」といいますから、私も木に登らなくちゃ。

日々是充実。生きている実感がしています。

Tianjin University of Science & Technology’s second lecturer at the Sino-Japanese friendship lecturers was the former China culture section vice-manager Liu Deyou. His lecture compared the cultures of China & Japan. He gave us some examples some of haiku. He introduced us to “aware”, “wabi” and “sabi.”

  Those are senses peculiar to Japanese. Or are they? In the far past, China & Japan had similar cultures. But, we experienced different history, so we have different cultures. 

  Even now, Tang dynasty poet ZhangJi’s Chinese poem “Kanzanzi” is popular among Japanese. (This summer, I had gone to “Kanzanzi,” a temple in Suzhou. When I heard that poem, my trip there suddenly came to mind.) 

  He told us why Japanese people like that poem. I understood that ZhangJi had a kind of homesickness. 

  Liu Deyou talked about “Oda Nobunaga”, “Toyotomi Hideyoshi” and “Tokugawa Ieyasu.”

  They lived in the Warring States Period. The three of them had very different characters. We have three haiku to symbolize them. That represented their respective hasty, pushy and patient characters.

  That meaning was we couldn’t decide the caracter because of nationality. Every thing is a personal thing. Are all Japanese honest, gentle and kind? Regrettably, the answer is no. Some of us are kind, some of us are spiteful. Every country is the same in this regard. 

Mr. Minamimura told us about “Kanzan & Jittoku.” About their friendship and their rivalry over a woman. 

His well of information gave us healing. It is a distinct honor to meet famous people every week. I appreciate being given such a chance by Mr. Minamiki, Mr. Kasuga and many people’s kindness. I hope many students listen to these lecturers and they will act as a go-between for China & Japan.

I teach beginner’s Japanese to some African students. I explained it in English. They are very excellent, smart students. They can speak French, English and Chinese. They will invite me to their African party this Saturday. I’m looking forward to joining them.

Last Saturday morning, I went with three students of K University to do taichi again. They enjoy the sword lesson. They are young so they had good memory. 

Sunday, four students of K University and six students of N University came my room. They made cookies and jiaozi. They were very delicious. They were wonderful students. I am proud of you! I didn’t do anything. This time was their first time meeting, so they can’t speak too much. Next time, they should speak more. I just prepared some drinks and Japanese sweets.

Some Chinese students said that my Chinese pronunciation is good. I’m very happy to hear that. 

  I am satisfied with my circumstances.

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2007年10月18日 (木)

N大学の一年

毎年、第一期は9月1日が入っている週からスタート。そして一ヶ月経った10月1日から一週間は国慶節で休み。そのためにその前の土日は振り替え授業。学部も大学院も一年生などは入学式から一週間しか授業がありません。十月第二週金曜日は運動会。暖房が入るのは10月4週目、20日前後。今年は22日。切れるのは3月の三週目、20日前後。お正月は1月1日から3日が休みですが、その曜日の授業がまた、直前の土日に振り返られます。1231日まで勤務です。もちろん1月4日からまた平常勤務。1月の1週目から2週目にかけて試験があり、その採点と成績はその週末に提出。ここで業務終了。冬季休業。

第二期は3月から始まり、4月第一週の土日に日中技能者交流会から派遣された教員は北京へ。5月1日から一週間休み。ここでも国慶節と同じことが起こり、その前の土日は授業。7月第一週か、二週から試験。第一期同様、その採点と成績はその週末に提出。ここで業務終了。夏季休業。

他に休日はありません。日本のように月に一回三連休なんてことはありません。その分、冬季と夏季にまとめて休暇という感じです。両方とも一月半はあります。

もう一ヶ月半が終わってしまいました。この当たり前の事がとても重く感じられます。

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2007年10月14日 (日)

天津科技大中日友好講座 第一回 劉江永教授

天津科技大学の中日友好講座がスタートしました。第一回は劉江永清華大学国際問題研究所教授による「中日両国関係の現状と展望」というテーマでした。

同行した学生は大変喜んでくれ、戻ってから友人に話して、「行くべき!」と力説した学生もいて、紹介してよかったと思いました。南村先生が劉教授とお引き合わせ下さいました。

1972年の日中国交回復から現在の福田総理に至るまでの歴史について、概略をご説明いただいた後、日本政府の対応が良ければ、中国との関係が改善するといったお話がありました。福田内閣への期待が大きいことも感じました。どこの人民も、他国と友好関係を築けるような政府を選ばねばなりません。今それができていないなら、人民がそういった政治体制を作っていくしかない、ということに尽きる気がします。世界に誇れる日本国憲法と、それを遵守する政府を選べる人民でありたいと思います。

土曜日の午前中はK大学の学生3人と太極拳へ。午後は別の2人とお買い物ツアー。世話焼きは性分でしょうか?喜んでくれる顔が見ると、自分も幸せになるからですね。

今朝、初めて1人で、郵便局でEMSを出してきました。実は結構ドキドキしました。

115元もしました。ここでは、100元札は、気分的には1万円出す感じ。もちろん日本円なら1500円くらいですが、物価は1/10ですから。たかが封書一通なのに高い!と思ってしまうのは、中国に馴染んだ証拠??

やりとりが終わったら、郵便局員の女性が、「葉書いらないか?」と聞いてきて、「いらない。」と答えましたが、「いくら?」と聞いたら、「1元6角」とのこと。他のお客さんとのやりとりで、「1元ないか?」「ある。」といった簡単なやりとりが簡単、と感じられて嬉しかったです。

郵便局に行く時、自転車に乗った人のズボンのポケットから、お札が落ちそうだったので、「ちょっと待って!お金が!」と教えてあげました。その人が止まってまさぐっていたら、逆に2元落ちてしまったので、拾ってあげて、「だから言ったのです。」と渡してあげました。気分が良くなりました。最近、聞き取れるようになったし、少し話せるようにもなってきたと思います。あと8ヶ月半、「努力学習」(nulixuexi)ヌーリーシュエシー→頑張るしかありません。

夕べはというか今朝は2時まで仕事をしてしまったので、ゆっくり食事をして、久しぶりに、ゆっくりテレビを見てしまいました。芸術日本一の石川県の話しでした。

通称「まるびー」=「21世紀美術館」に行ってみたくなりました。

 Tianjin University of Science & Technology’s extension lectures started.

The first lecturer was Prof. Liu Jiangyong from Tsinghua University Institute of International Studies. His lecture dealt with the relationship between China & Japan. My students were impressed by his talk.  One of the students told her friend, “You should listen to the lectures.” I felt very happy to hear that. I had the honor of having Mr. Minamimura introduce me to Prof. Liu Jiangyong. I think that the most important thing is that we choose a government that can establish an enduring friendship with all other countries. If that is not currently possible, I feel that we have no choice but to create a political establishment in which it is.  

 Saturday morning, I went with three students of K University to taichi. In the afternoon I went with two other students of K University to go shopping. Their delighted faces made me happy.

 Sunday, I went to the post office by myself to send an express letter. To tell the truth, I was tense. I usually go there with my friends who can speak Chinese. I paid 115 yuan for it. I felt that was expensive. Of course, that was 1500 yen in Japan. But, China is inexpensive. So, I felt like spending 100 yuan corresponds to 10,000 yen in Japan. Prices are 10 times as much in Japan.   

  The post office woman said, “Do you need a post card?” I said, “No, but how much dose it cost?” She said, “It’s 1.6 yuan.” The other customer exchanged words with her. I could understand what they said. That was very simple. But, when I begun to study Chinese, I couldn’t pick up even the simplest words. I was glad to have made progress.

  I helped a man who almost lost his money. I informed him that his money was about to fall from his rear pocket. I did a good thing, so I felt good about myself. My Chinese listening and speaking are improving.

  On Saturday, I worked until midnight. Sunday morning I got up late. I took breakfast very slowly and watched TV. The TV program was about Ishikawa prefecture in Japan. Ishikawa was very famous for its art. One of the museums looked very nice. I want to go to the 21-century museum in the future.

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2007年9月30日 (日)

その時の出会いが

月曜日にM先生に呼んで頂いて、VIPの方にお目にかかりました。15人ほどで、夕食をご一緒させて頂きました。次の日、天津の新聞やテレビに、市長と共にその方やM先生が、T大学の公開講座開講式に臨まれたことが報道されました。

日中の国交回復35周年で、各地で様々な行事が行われる中、歴史の証人として各界の著名な方々がお話しいただけるとのこと。本当に有り難いです。

今、地球温暖化の問題や六カ国協議で、日中の立場が微妙な時だけに、新しい未来を共に築く足がかりをあらゆるところで模索している感じがします。

しかし、現場では、ただただ、日本を少しでも理解してもらうために、ひたすらベストを尽くす以外にありません。古典にしても現代文にしても聴解にしても、学生諸君の食い入るようなまなざしに答えるべく、今日も赤ペンを走らせています。

金曜日にも建国記念のためのパーティーがあり、外国人教師や天津市に貢献した人々が呼ばれました。中国側の同席の市担当者には名刺をお渡しし、中国語で自己紹介をしました。同じ大学のアフリカや北米から来た留学生と同席になり、日本語の勉強をしたいと声を掛けられました。もちろんウエルカムです!

彼らの中国語のレベルはとても高いです。母国語はフランス語だそうですが、私は英語でしか説明できないので、会話は英語を中心にカタコト中国語。でも、理解しあえるって幸せです。

明日からオフで、短い旅行に出かけます。命の洗濯をしてきます。

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2007年9月23日 (日)

"Que será será"

先週、大学の後輩に、日本語科の学生を紹介して欲しいという話しを受けました。

当初、私の部屋に双方を招待し、ざっくばらんに話しができたら、と考えていました。

火曜日になって、日本語科の2年生だけでなく、3年生にも4年生にも語学パートナーが欲しいといわれ、とりあえず希望を聞きました。すると、全部で各学年合わせて、39人もの応募がありました。K大學側の要望で人数調整をすることになり、1対1になるように4年生を中心に辞退してもらいました。残念ですが、やむを得ません。4年生数人に、こんな時はどのようにしているか教えてもらい、たった45分でペアが組めたのは快挙と言っていいと思います。ペアを組めた皆さんには、お互いに有意義な勉強ができることを期待しています。依頼から一週間でペアができてホッとしています。なにしろK大學側は4ヶ月しか滞在出来ないし、もうすぐ1ヶ月終わるのですから、すべて時間との戦いだと思いましたので、私ができることを迅速対応しようと思いました。

前年度10ヶ月、延べで約400名。今月はすでに30名。今週は毎日3人前後の来客。夜は10時近くまで対応。でも、「来たい。」と言って頂けるのは教師冥利。

土曜日、K大學の皆さんと農村にご一緒させていただきました。大きくてきれいなお宅にびっくり。焼き餃子に、大ご馳走で、熱烈歓迎をして頂き、有り難かったです。皆さんに親切にして頂いて感謝感謝!下山部長!ありがとうございました。

あと9ヶ月、私は私のやり方でベストを尽くすつもりです。なるようになる、です。

My Chinese students and the students from my Japanese university both asked me to do a language exchange. I have arranged for them to meet on Friday. They each found a partner.

Many Chinese students wanted to come to that meeting. But, one of the Japanese staff members said that these were too many. So, I had to turn some requests down. It was regrettable that they couldn’t find partners.

I received some advice from my 4th-year Chinese students about how to find a language partner. It was worked. They were able to find one in just 45 minutes. That was wonderful. I hope they will have a very fruitful study.

The Japanese students will only stay for 4 months. They can’t waste time finding a conversation partner. I have found them one as quickly as possible.

So far, this academic year, a total of about 400 people came to my room. This month, already 30 people came. I am lucky to teach such good students and to meet good friends.

Saturday, I went to a farm village with the students from my Japanese university.

We were shown a great deal of hospitality when we visited one of the farmers.       

We appreciated their kindness. Thank you very much Chief Shimoyama!   

I do my best in my way. Whatever will be, will be.

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2007年9月15日 (土)

新しい一歩

I told the students from my Japanese university about my experience here. After that, some of them came to my room. They wanted to read Japanese books, and one of them checked whether she needed an oven to make cake. I gave them Japanese tea and played the koto instrument. Some of them played the koto and the erhu. They enjoyed a Japanese atmosphere. I hope they made some good memories that day.

I started taichi sword. That was very exciting. My taichi teachers have such elegant style. When I go back to Japan, I would like to show the taichi sword to my family. They belong to an Okinawa karate dojo. I will practice it very hard. 

Last Monday evening, I met a person who is a member of the China-Japan Friendship Association. He talked about some discourses at one of Tianjin University.

He e-mailed me, saying that I can make an announcement to some professor and my students about those discourses. Prominent personnel will come there. I’m very lucky because of I will be able to listen their discourses.

He asked me to help them. Of course, I will do my best. I understand my position and I should answer the expectation of them. But now, I have to make a living.

I met many VIP in China and will meet more. I should know more about China and my country. Shouldaccept my fate without bitterness? I become tense.

私の大学の後輩に、私の中国体験をお話ししました。「感動しました!」と、何人かが言ってくれました。私の経験が、少しでもお役にたったらいいのですが。すぐに数人が私の部屋に来て、日本語の文庫本を借りていったり、箏や二胡を弾いたりしていきました。日本茶が懐かしかったようです。良い思い出となりますように。

太極拳で剣を教えて頂けることになりました。とってもエキサイティングです。先生方の身のこなしはエレガント。日本に帰ったら、家族の所属している沖縄空手の道場で披露できるといいですが。そうできるように頑張ります。

先週月曜の夜、日中友好協会の方にお目にかかりました。天津にある大学で、著名な方々の公開講座を毎週開くという件についてのお話でした。その後、メールで、本学の教授や学生も手続きをとって拝聴できるようにお話をしてくださったとのこと。私はラッキーなことに、その方々の講演を拝聴できることになりました。

その方から、日中友好協会の事務方のお仕事を手伝って下さいというお話。もちろん、出来る限りのことはさせて頂こうと思っています。今まで、目に掛けて頂き、VIPの方々のお話を拝聴するチャンスを与えて下さったことに、お答えすべきことは承知しています。ただ、今は生活のために仕事を辞めるわけにはいきません。

これからも更に、VIPの方々にお目にかかると思います。もっと中国と日本についてきちっとした認識を持たねばなりません。

これも運命でしょうか。身が引き締まる思いです。

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2007年9月11日 (火)

「近代化過程における東アジア三ヶ国間相互認識」国際シンポジウム

I attended a symposium.

I was very impressed by Mr. Buping and the others’ speeches.

I have often felt that I should know more about my country. Being a foreigner in China has caused me to think about my own identity.

China, Korea and Japan have had a bad history together. We should reach a consensus about our history. But there is no easy road to mutual understanding. Nonetheless, I believe that we can eventually have friendly relations among our countries.  We should strive to think of ourselves as citizens of the world.

Some of the meeting rooms didn’t have interpreters. I heard a lot of specialized historical Chinese terms. So I couldn’t understand their what they were saying. I was disappointed. I should more study Chinese.

Chinese is spoken by a lot of people, but since English is very global language, I should study more English, too.

I do Taichi with students from my Japanese university twice a week. I will tell them about my experience here this weekend. This country is miraculous. I hope they make some good memories here.

We all have 24 hours in our days. How should we spend our time? That is personal matter common to all of us.      

歩平先生をはじめ多くの方々のスピーチに感銘を受けました。

ここ中国に外国人として滞在して、自分自身の日本に関する知識の必要性、アイデンティティーについて考えさせられることがしばしばあります。

中国・韓国・日本の間には悲惨な歴史経験があります。私たちは共通の歴史認識を模索しなくてはなりません。しかし、その道は決して平坦なものではありません。そうであっても、私は必ずお互いに理解しあい、友好関係を築けると信じています。私たちは同じ地球人として、広い視野に立ち、共に未来を築いていくことが出来るはずです。

実は、通訳の方がいらっしゃらない会場もありました。歴史の専門的な中国語の海の中で、全く理解できない状態。ん~中国語の勉強をがんばらなくては!中国語は世界一話されている言語ではありますが、英語はよりグローバルです。英語もがんばらなきゃ!

私の大学の後輩が留学してきています。週2回、早朝に太極拳を一緒にやらせていただけることになりました。今週末には、私の中国体験をお話することになっています。中国はミラクル。学生の皆さんが良い思い出をたくさん作られることを祈念しております。一日は24時間。それをどう使うかは自分次第。何事も自分次第。「しあわせはいつも自分が決める…相田みつを」ですね。

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2007年9月 4日 (火)

Language Exchange

received a call from an English teacher. I was amazed. He can speak Japanese as well as the Nankai University Japanese teachers.

We will meet on Thursday and talk about our schedule.  I think we will have a very rewarding time.

This was the first time I met my second-year students. All of them attended my lesson. They gave me their comments. Some of them said that my lesson was seasoned with humor.

But they didn’t have their textbooks. I told one of the Chinese teachers that the book was out of print. I couldn’t understand this situation.

At my Classical Japanese lesson, I was teaching my students the readings of some characters. But some of them asked me about verb categories group. They as well were very interested in Classical Japanese grammar.

Today was just the first day. I was very surprised at many things.

This time I took some teaching materials from Japan including a printout that I have put a lot of work in to, so they could understand it easily.

I don’t know how many students will go to graduate schools and how many students will become professors. I have high hope for them.

語学パートナーに応じて下さる方からお電話をいただきました。日本語のレベルは大変高く、びっくりしました。南開大学の中国人の先生かと思ってしまったくらい。木曜日に初顔合わせ。お互いにフリータイムを利用して、語学の勉強をすることにしました。充実した勉強になりそう。

今日、2年生は初お目見え。全員出席という快挙。感想に、ユーモアがあるとか楽しいとか書いてくれました。しかし、教科書がない!いったいどうなっているんでしょう。あれだけ絶版になっているけれども、大丈夫かどうか聞いたのに。

古典は早速、歴史的仮名遣い。いきなり動詞の活用の質問を持ってこられ、1時間以上説明。戻ってきたら1時半近かったです。すごい熱意。まだ授業1回目だというのに。今回は日本からわざわざ持ってきたプリントなので、分かりやすいと言ってもらえました。改良に改良を重ねてきた甲斐がありました。この中で何人が大学院に進み、大学の先生になってくれるか分かりませんが、期待したいと思います。

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2007年8月30日 (木)

Pay Forward

とうとうKさんに会う日が来ました。

彼に会うのは実に12年ぶり。東門で再会!!

目の大きな、はっきりとした顔立ちは変わらず。でも、もともと細かったけれど更に痩せてしまっていたのはちょっとびっくり。私は皺が増えた(涙)くらいで、あまり変わらないから、見つけてもらえました。

まずは学校に一番近い、水上公園近くの狗不理(ゴブリ)へ。同居している日本人の友人も、通訳をお願いした中国人の知人も、入ったことがないとのこと。私は3回目。

包子を3種類、それに大根の醤油付け・・・これはM先生がいつもたのまれるので、私も好物になったもの。キノコのスープ、ゼンマイの炒め物?青菜の貝柱と炒めた物はちょっといまいちでした。肉の千切りを皮で包む、これもいつも頼むもの。名前がどうも覚えられません。それにハルピンビール。菊花茶。

隣の席は子供のお誕生会。ケーキを持ち込み、大勢でお祝いしていました。そう。娘が来たときのテーブルがそのお祝いしていたテーブル。あれが3月だから、5ヶ月ぶり。

戻ってきて、二胡を弾くポーズ。遅くまでこれまでのことを話しました。翌朝は朝、周総理像の前で記念撮影。岡崎嘉平太の話をしました。そして周総理の紀念館へ。

その後古文化街。Kさんは印鑑を彫ってもらって、おみやげに。昼は南市場街。天津ダッグを食べました!おいし~い!それと鉄板焼き。天津の名物なのだそうです。知らなかったです。そして意外とおいしかったのは揚げパンのような中身のない包子。そしてどこでもあるトマトと卵のスープ。魚の白身の揚げた物の甘酢あん掛け。これはおいしかったです。

食後、古文化街に戻り、印を受け取り、イトキンへ。そしたらなんと閉店になっていて、びっくり。仕方ないので、ハーゲンダッツに行きました。そこでOさんとはお別れ。朝早くからお付き合いありがとうございました!

われわれは教会をちょっと見て、ISETANへ。値段にびっくりしていました。

日本とほぼ同じ金額ということは、中国の物価を考えれば、市価の10~15倍ということ。私が揃えた食器や文房具をみてもらい、地下食品街へ。お米を買っちゃいました。持ってくれる人がいて良かった!後は食べたいものをちょこちょこ。

夕飯は明珠園。いるところの隣のビル。そうそう、ホテルのチェックインとアウトは一手にその明珠園のフロントが引き受けているので大変。朝は専家楼から移動させられたフロントの人に会いました。

レストランは一番乗り。でも、「ビン」というお焼きのようなものをなかなか持ってきてもらえないで、ちょっと催促。部屋に戻って、荷物を持って、東門までお見送り。

一晩だけでしたが、天津の名物を食べ、周総理の紀念館も見てもらって、こんなかんじかな、ってとこでしょうか。

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2007年8月26日 (日)

天津、二人暮らし

成田第二ターミナルは、出発カウンターの工事が入って、21日から大幅に位置が変わりました。中国国際航空は中央付近だったのですが、全部JALに変わりました。いらっしゃる方はちょっとチェックを!

 まず、持ち込み荷物が重すぎて(卒論対策の本が沢山・・・)いきなりスーツケースをOPENして、預ける荷物に入れることに。預けられるのは20kgまで。でも、まあ、多少サービスがあります。ここには書けませんが・・・。とにかく、無事チェックイン。それからシャトルに乗って更に83番まで。遠~い。下山部長にやっとお会いできました。よかった!入国用の紙を記入して持っていたので、機内でもらわなかったら、健康診断の白い紙を記入していなくて、部長にお待ち頂いて書くはめに。ん~機内で配られる物はもらわなきゃ~。ちなみに私の隣の席の二人も出張らしく、すでに入国審査用紙を記入して持っていて、白い紙はもらっていなかった様子。私と同じことになってるかな~。

 荷物をGETし、カートに乗せて出口へ。ところがお迎えが来ていなくて、ちょっと不安な気持ちに。知人に電話して、運転手さんがいつもの人ではないと聞き、紙を持ってるはずと連絡を受け、探したけれど、実はまだ到着していなくて、やっと会えたと思ったら、「車は3階」と言われて上がることに。ところが、カートでは上がれなくて、荷物の多い私は置き去りにされ、エレベータは1基しかない上にカートが3つしか入らず、散々待ってやっと3階についたら、そこはレストラン街。なんと、本当は2階に車があったと分かり、(この間、カタコトの中国語と英語で人に聞きまくり、冷や汗もの)先ほどの知人と電話がつながっていたからいいようなものの、あのままだったらどうなっていたことか。

そこで、もう、カートはあきらめて、一人でスーツケース2個を持って、エスカレーターで決死の覚悟で降りて2階へ。

 北京はコリゴリ。天津なら平場なので、こんなことはないし、待っている人も少ないからとても便利。北京空港は国際空港なのに、大型エレベータが整備されていなくて、本当にびっくりです。とにかく、車に乗り込んで大学へ。

 部長といろいろお話しして、2時間、あっという間でした。ご一緒させていただき、ありがとうございました。

天津に戻った日の2時間後から、早速、知人のお手伝い。充実したスタートとなりました。

S先生と共同生活。ヘルシーな野菜中心の料理を作って頂き、毎日いい思いをさせて頂いています。

早々に下山部長のカレーパーティーにお招き頂き、後輩達の様子を見せて頂きました。「青い鳥」は探しに行かないと見つからないもの。そして、気づかないと見失うもの。友達づくり、自分づくりから始めるのがいいのかな、と思いました。夜は王さんと三人で、外食。ごちそうさまでした!

土曜日から太極拳再開。朝6時半に出かけるのはその前に朝食を済ませるということで、結構大変です。久しぶりにやったら大汗でした。二十四式は覚えていましたが、四十二式は怪しいところが・・・。四十八式は、すっかり忘れてしまったかんじ。やはり、継続は力なりの真逆。また一歩一歩です。

S先生にコンピュータの基本操作をお教えしているのですが、かなりのストレスのようです。かわいいお孫さんとメールや写真のやりとりができるようにがんばって!と応援するのみです。

前任校の卒業生からメール。いよいよ再会が実現することに。一日、知人の王さんにお付き合い頂いて、天津を廻ることにしました。楽しみです。

中国語のMDをPCに移し替え、復習。忘れてる~。2ヶ月、レッスンがなかったので、まずいことに。日本では思うように勉強出来ませんでしたから、あと一週間が勝負!取りあえず授業の用意が終わったら、中国語を頑張ります。

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2007年8月20日 (月)

明日は天津

健診や歯科やインフルエンザ・A型肝炎の予防接種などなど、目白押し。久しぶりに叔母の家に行き、いつものことながら元気をもらい、現任校の卒業生に会って、おみやげを渡し、別の卒業生には結婚する話を聞き、夫の実家や、古い友人に会って近況を報告。情報インストラクターだった増井さんとの再会。でも、彼女が大阪に戻ってしまうと聞いてショック!国語科の現任校に転勤してきた時のメンバーと再会。ポジティブで有能なメンバーぞろいなので、職場が明るく楽しく感じたものでした。ヘアーカットのためにガラーシャに行き、中国に送る物の買い物とその発送、という具合でバタバタの日々。最後の最後まで忙しく、なんだか回遊魚みたいに暮らしている気がします。それが生きている証なんでしょうか。ん~やりたいことがもっと一杯あったのにな~。

一年ぶりに楊先生との再会。

上級クラスの終わりの時間に中日会話学院へ。先生はお変わりなくパワフル。

先生が易しい中国語で話して下さるので、だいたい理解できて、とてもうれしかったです。でも、話すのはまだまだ。

ハルピンに行ったことや、中国人の友人が出来たこと。人民軍の兵学校に行っている学生と出会ったこと。カタコトの中国語で話せる範囲でお話させていただき、あーもっと勉強しなきゃ、と反省。戻ったらまた、出来る限り頑張ります!

いよいよ成田前泊。そして明日は天津。また、新たなる一年の始まり。

まずは、前任校の卒業生がロサンゼルスで就職し、出張で中国にきているとのことなので、天津で再会しようと話しています。

以後、天津から、また、更新します。

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2007年8月 8日 (水)

第70回記念 国語教育全国大会

8月6日 日比谷公会堂

シンポジウムは、(障害児が健常児と共に学ぶ)混合教育を実践しておられる武蔵野東学園の加藤園長の「協同」する学び合いの報告、「自分のことばから学びが生まれる学習の展開」ということで、(丁度青島で参加した「非言語コミュニケーション」とリンクするような)「沈黙」も一種の言語活動という話も興味深かった、東京の千寿本町小学校の坂本先生、関西弁で「考える喜び、書く喜び」について熱く語って下さった、岐阜、関市立旭が丘中学校の西田先生、「青空文庫」や国立国語研究所の検索ソフト「ひまわり」を使わせた言葉の自覚的調査をさせた、東京大学教育学部付属中等教育学校の鈴木先生、そして、司会の武蔵野大学の金子守先生が、「学び手が育つ言語活動の展開」というテーマで提案をしてくださり、会場からの質問も織り交ぜつつ行われました。

どうも「国語」という観点ではなく「日本語」を扱っているので、違った角度から拝聴している自分に気づいてしまいました。

午後はいつものことながら筑波大学付属中学校の生徒さんがステージで授業を受けるという提案授業。誕生した季節でグループを組み、それぞれの季節の歌を選び、そこからその季節について考えたことを発表するというもの。阿久悠氏の詩のことを、ふっと、思い出しつつ見ていました。

そして倉澤会長の「国語力・言語力・単元学習」という御講演。

在日韓国人初の東大教授、姜尚中(カンサンジュン)「ニッポン・サバイバル」集英社新書や「博士の愛した数式」の小川洋子著「物語の役割」ちくまプリマー新書のご紹介、そして宮沢賢治が亡くなった後、初めて目にした「雨ニ(モ)負ケズ」の手帳の話、等を拝聴。96歳、年男とのこと。

矍鑠としたそのお姿に敬服。

8月7日 筑波大学付属高等学校・中学校

校種別分科会では、高等学校古典に参加。恩師小林國雄先生が指定討論者。司会は院友の先輩、東京学芸大学付属高校、五十嵐一郎副校長。

筑波大学付属坂戸高校の奥村先生と、岡山県の和気関谷高校の三谷先生の精力的なご発表を拝聴し、古典嫌いにしない方法について、勉強させて頂きました。

古典文法をどこまで、どのように取り組ませるか、実践されている方はないか、とのことで、小林先生の御著書をすべてUPした私のホームページについてご紹介。先生も補足説明をして下さいました。

午後は、兵庫教育大学の中洌正堯先生のワークショップに参加。

話し言葉と学習する言葉の開きをどう埋めるのかについて、国語教育の原点とは何か、学ぶとは、といった初心に返ることを考える機会をつくっていただきました。

一年に一回だけ、刺激を受けるために参加している学会。こんなにがんばっている先生方が全国にいらっしゃるのだと思うと、身が引き締まる感じがします。まだまだ、勉強しないと・・・。

夜は恒例、同期の友人と一年に一度の再会。相変わらずパワフル。元気をもらいました。

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2007年8月 5日 (日)

西安・北京、家族旅行

1日目

専用車で廻る西安。ガイドの張さんは30代前半。まず、水のペットボトルをくれました。手慣れた感じ。車もゆったり10人乗れるような車。クーラーは効いているし、乗り心地はいいし、極楽。

陜西(センセイ)歴史博物館で、地下珍品倉庫にある唐墓壁画を見ました。高松塚古墳の壁画を見るようなレベルで、一般人が見ることが出来るなんてびっくりでした。国宝級?の実物も手袋をはめて触らせてもらいました。びっくり!!写真集を思わず買っちゃいました。

輪タクで西安城壁遊覧。城壁の長さは14キロ。その約1/5を、二人乗りの座席を引いた自転車で回ってくれました。煉瓦の城壁の上はかなり凸凹。しかし、後ろに乗せてもらって涼しい思いをさせてもらいました。ここがシルクロードの出発点。ローマへ続く道だと思うとすごいです。

玄奘三蔵が持ち帰った仏典を収めた大雁塔は、黄砂のために壁が黄色に変色し、傾いていました。

解体修理しているお堂が、カバーもなく作業中。始めて見る作業風景にびっくり。

夜はディズニーランドのポリネシアン・テラス・レストランのような料理で、唐代の歌舞ショー。一番前の隅の席。お客さんは西洋人がほとんど。息子位の子供は、どこの国の子もダウンして爆睡。

西安の五つ星ホテル。電気が消えず電気工事、トイレも詰まり。でも、寝心地は良かったです。

二日目

兵馬俑は圧巻でした。始皇帝の強大な権力とその欲望のために虐げられた民衆。どんな思いでこれらの埴輪を作ったのか。その高い技術力。紀元前200年代というのですから驚きです。馬の埴輪もリアルでびっくり。馬のしっぽを縛って丸めてあるのは、身分の低い人の馬。ふさふさしたままだと身分の高い人の馬、とのこと。テレビで何回か見ていましたが、本物を見るって、やはり広さを感じるという点で違います。入り口までは電気自動車で行きました。一人5元(げん)。でも、これは乗るべき。真夏の炎天下に歩くのは疲れる元(もと)です。発見者に写真集の日付をサインしてもらいました。

秦始皇帝陵は下から見ただけ。階段が200段以上有るとのこと。長城もあるので体力温存。

華清池(かせいち)は玄宗皇帝と楊貴妃や歴代の皇帝の温泉地。権力と金の次はやはり健康?

食事に行くのに大渋滞。昼は西安名物の餃子16種類に普通の水餃子と焼き餃子。甘い餃子もあって、皮も鳥の形にしてあったり、色が違ったり、いろいろ。おいしかったです。

その後、オプションで、碑林博物館へ。王義之等の碑文(再刻?)などを見ました。拓本の実演があり、思わず買ってしまった本。確かに拓本だけれど、再刻版だから、ちょっと字が違ったり、白の修正液で直してあったり。観光地でありがちな物。買う人があっての商売。

夜は「楊貴妃のディナー」と銘打ったコースディナー。ナイフ・フォークが有る割には、お箸でOKな料理。楊貴妃って菜食主義者だったのかしら??もう少し中国的に徹底して欲しいかんじ。

三日目

朝一でビュッフェ。空港に行くと、チケットにトラブル。ガイドさんの御陰で、セーフ。こういう時、やはり頼りになります。いろいろ貴重なお話をありがとうございました。ガイドという仕事の厳しさ、大変さを垣間見ました。ガイドをやりたいという学生に、甘くないということを話そうと思います。日本人独特の注文の多さとか、きめの細かさがあるので、神経を使うことなど。とにかく、敏感で、気が利かないと、この仕事は無理。食事も不規則だし、事故に遭っても仕方ないものだし。同僚で、仕事中に、交通事故に遭い亡くなった人もいるとのこと。少々熱があっても、お腹の調子が悪くても、笑顔で、やるっきゃない。やらなければクビになるだけのこと。もちろん、自分が車に酔うようでは話になりません。身体を壊す人が大勢いる仕事。そして、若くないとできない体力勝負の仕事。同じことを毎日繰り返すわけだから忍耐力も必要。彼も転職を考えているそうです。そして、学生に、勉強して、できれば大学院に行って、安定したちゃんとした仕事に就くように言ってあげて下さいと教えてくれました。ガイドになろうと思ってる人!良く肝に銘じて、仕事選びをして下さい。

さて、一路北京へ。今度は若いガイドさん。上海の大学を卒業し、北京で5年目とのこと。やっぱり、経験の違いかな。西安のガイドさんは気が利く人だったとあらためて実感。

まずは天壇。私は4回目。初めて北側というか東側の駐車場から逆に南へ。神の通り道という中央の湾曲した大理石の路が工事中。観光地はいつもどこかで工事中